人間関係とは摩擦である。引っかかるし、痛くて、煩わしい。でもだから素晴らしい。
海外を旅していて、気づいたことがある。と言うよりも、帰国してまずはじめに感じた違和感というのだろうか。
多くの国では、すれ違いざまに知らない人同士が、目を合わせて笑いかける。道を尋ねれば、その場で立ち止まって丁寧に教えてくれる。まるで、昔から知っている友人のように。
そんな光景を目にして、子どもの頃のことを思い出した。近所のおばあさんが、帰り道の私に声をかけてくれた。友達の家に遊びに行けば、その家のお母さんが夕ご飯まで作ってくれた。そんな距離感が、当たり前だった。
でも今の私たちの生活はどうだろう。
隣に住む人の名前も知らない。エレベーターで会っても、スマートフォンを見て目を合わせないふりをする。親子でさえ、一つ屋根の下で他人のように暮らしている。なぜこうなってしまったのだろう。
便利になった分、私たちは距離を取るようになった。傷つきたくないから。面倒なことに巻き込まれたくないから。
あなたにも経験があるのではないだろうか。相手の機嫌を損ねないよう、本音を隠して笑顔を見せる。心にもないことを言って、その場をやり過ごす。少しでも違和感があれば、すぐに距離を置く。
でも、本当にそれでいいのだろうか。
心を開くのは怖い。でも、それが関係を深める第一歩になる。まるで、水風呂に入るときのように。最初は水が冷たくて躊躇し回避するけれど、一歩踏み出せば、そこには新しい世界が広がっている。
もちろん、一人が頑張るだけでは足りない。お互いが一歩を踏み出す必要がある。両輪が動いて初めて前へ進むのが世の法則である。
お互いが相手をよく見て、相手を知ろうと努力し、心を開こうとするとき、そこには思いもよらない喜びが待っている。
人生の喜びは当然1人でも味わえるものも多いが、誰かと分かち合えたときにはそれが何倍にもなる。美味しい料理も、感動的な映画も、嬉しいニュースも。一人より、誰かと共有したほうが断然楽しいし幸せを感じる。
ときには言い争いになることもある。相手の言葉に傷つくこともある。でも、そんな経験を重ねながら、少しずつ分かり合えていく。むしろ、人間関係をただ広げるのではなく深めていくためには摩擦が必要なのだ。
私たちは、自分を守ることに必死になりすぎていないだろうか。SNSの向こう側で、何も傷つかない関係を求めすぎていないだろうか。
摩擦とはとにかく不快なものだ。引っかかるし、痛くて、煩わしい。
ただ、人間関係とは摩擦そのものである。その煩わしさを認めることからスタートしよう。その摩擦を、人生という宝石を磨くための砥石として受け入れよう。
確かにそれは痛い。確かにそれは煩わしい。しかし、その先に深い感謝や信頼、そして本当の愛がある。
あなたも、今日から少しだけ勇気を出して進んでみよう。エレベーターで会った人に、小さな挨拶を。お店の人と、ちょっとした会話を。
その一歩が、きっと新しい何かを生み出すはずだから。