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『医師はインフルエンサーではいけない』は本当か?健康知の再定義と発信の自由

多くの医師が様々なプラットフォームで医療情報や健康情報を発信するのが珍しくない時代が到来している。かくいう私も、世界一周から帰国した2018年よりX(旧Twitter)の発信を始め、2020年3月よりVoicyの音声配信を行なっている。

私自身、発信活動を始めた当初は現状は全く想定できておらず、その後書籍の出版や各界の著名人との対談を行うなどある意味インフルエンサー的な立ち位置として役割を果たすことになったのはある意味では予想もしないことであった。

同時に、医師たるもの人の健康に大きな影響を及ぼしうるネットで情報をばら撒くインフルエンサーになどなるべからずという声も少なくない。
特に匿名性が高く、本音や罵詈雑言、ルサンチマンも垂れ流し状態のSNSプラットフォームにおいては「医師✖️インフルエンサー」として活躍する者に対しむしろ否定的なニュアンスの発言(ほぼ特定可能な形で揶揄しているケースも多い)がウケているのをなん度も観測してはその都度苦々しい思いを抱くのは事実である。

そこで、改めて医師が情報発信をすることの意義について考えてみたい。

医師が情報発信をすることの意義と課題

かつて、医療知識は病院の壁の中や診察室の中のもであった。知識は容易に閲覧できず、専門書のページの間に厳重に保管されていた。一般の人々がそれらにアクセスするには、図書館を訪れ、専門家のセミナーに出席し、もしくは信頼できる医療者に直接相談しなければならなかった。

ところが、インターネットが情報のハブとなり、あらゆるトピックについて手軽かつ瞬時に接触できる時代が到来すると、情報の「正確性」という従来の価値基準が揺らぎ始めた。特にYouTube、SNS、音声配信などを通じた「健康情報」の発信は、専門の医師のみならず、著名人やインフルエンサーにも容易になり、その影響力は医療従事者の活動範囲を超え、多くの人々の意識形成に深く関与している。

情報発信の必要性:予防と健康観の再構築
医療者にとって、病院という場は「病気を治す」ことに特化している。我々医師にとっては臨床の治療は当然重要で、私自身この14年間はがむしゃらに目の前の患者と向き合ってきた自負がある。

しかし、インターネットを媒介とした情報発信は、予防やウェルビーイングの向上という別次元の価値を社会に提供できると信じている。人は病に倒れる前に、より健全で充実した人生を送るための知識と動機づけを必要としていると私は思う。

それは単なる医学的データの提示ではなく、生活習慣やメンタルヘルス、社会的つながりの築き方、趣味や創造的活動の重要性、人生における充足感といった「広い意味での健康」を示唆するメッセージである。ネットを通じた発信こそが、こうした「未病」の段階で人々を支えるツールとなり得る。

「正しさ」と「わかりやすさ」のジレンマ
専門家は正確性に拘泥しがちであり、それ自体は医療行為において不可欠だ。だが、現代の情報空間では、正しさを厳密に追求するあまり、硬直した無味乾燥な表現に陥れば、受け手は振り向かない。この事実は多くの専門家が認めたがらないが、発信活動の「専門家」として間違いないと断言できる。精度95%、残り5%がやや不正確であっても、多くの人を「行動につなげる」メッセージが時に社会的価値を生むのである。この感覚がないと、むしろ現代社会では現実が見えてないと言わざるを得ない。

もちろん医学的内容は常に根拠が重要だが、その根拠を「どう伝えるか」「どの段階で社会に役立てるか」が問われる。誤謬が決して許されないわけではないが、ファクトチェックや適宜の訂正のシステムを持った上で、興味を喚起し、社会的関心を高める工夫が求められる。この塩梅を保つには、非常に高度な能力と不断の努力が要求される。

インフルエンサーとの比較から見えるもの
ここで、中田敦彦氏や堀江貴文氏などの巨大な視聴者をもつインフルエンサー、医師免許を持たぬ発信者との対比が浮かび上がる。彼らはときに膨大な視聴者にリーチし、結果として多くの人々を健康意識へと誘導する可能性を秘めている。

医師は専門的訓練を受け、エビデンスに基づいた知見を有しているにもかかわらず、その知識が一般大衆に広がらなければ「治療室の秘宝」に留まる。私は専門家こそ、彼らのような影響力や、わかりやすく伝える技術に学ぶ点が大いにあると考えている。医師が自ら情報発信を強化すれば、間接的に病気の予防や健康維持を後押しし、延いては社会的費用を抑え、人々の生活の質を向上させることに繋がることに疑いはない。デメリットを過度に煽り、膨大なメリットを捨て去るのは得策ではないだろう。

多様なプラットフォームの活用と自分らしい発信
インターネットの発達は誰もが発信者になれる時代だ。テキスト、動画、音声など現在は多様なメディアが整い、医師は自分の得意な形で発信できる。当然だがら、全てを網羅する必要はない。それぞれの専門家が自分らしい語り口やスタイルを見つけ、情報伝達者としての新たなアイデンティティを確立すればよい。上も下もなく、得意領域や個性によって相互に補完し合うエコシステムが構築され得る。

教祖化への警戒:自律的思考の促し
一方で、発信力を高めることは、「教祖化」というリスクを孕む。発信者が絶対的な権威として振る舞い、受け手が批判的思考を失うと、誤情報の温床となりかねない。したがって発信者は常に「この情報はあなたが考えるための素材であり、最終的な判断はあなた自身に委ねられている」といったメッセージを添えるべきだろう。そうした態度は、受け手のレジリエンスや自律性を高め、長期的な健康行動の定着に役立つ。一般的な推し活の対象や心理的依存の対象となっていることを自覚しながら活動を続ける場合、情報の受け手にデメリットが生じ得ることは肝に銘じておきたい。

価値観の多様化と「生き方」としての健康
健康とは単に病気がない状態を指すのではない。日々の生活に意味と充足を感じ、人とのつながりや趣味に喜びを見出し、自らの人生を主体的に歩むこともまた「健康」の重要な側面である。

慢性疾患を抱えていても、適切な治療と休息、趣味と社会参加を通じて豊かな人生を送る人がいる一方、身体的には「健康」でも日々を無為に過ごし、意義や楽しみを見出せずにいる人もいる。医師が情報発信で示すべきは、この「健康観の再定義」である。健康を「数値」と「データ」でのみ語らず、価値観や生き方、心理的ウェルビーイングを含めた幅広い概念として提示することで、人々は自らの健康戦略を再構築できる。

結論:情報を超えた「意識改革」へ
今日の情報過多社会では、正確さよりも速さやわかりやすさが先行しがちで、誤情報による混乱も懸念される。しかし、医師が自ら発信者としてエビデンスをベースにしつつ、生活者の視点に寄り添うことで、予防医療への道筋が拓ける。

情報発信は単なる「知識の伝達」ではなく、人々の意識に火を灯し、生き方を見直すきっかけを提供する行為だ。医師がその責務と可能性を自覚し、多様な手段を用いて新たな「健康知」を広めることで、より多くの人々が未然に病を防ぎ、豊かな人生を享受することができるだろう。

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精神科医kagshun/EMANON
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