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心地よい嘘の誘惑 〜なぜ私たちは誤情報に惹かれるのか〜
私たちは実は、心地よい嘘を信じたがっているのではないか。
この言葉に違和感を覚える人もいるだろう。しかし医師として日々、診察室で向き合う現実がある。それは「患者が、明らかに科学的根拠のない健康情報を熱心に語る瞬間」である。
その目は爛々と輝き、表情はこの上なく生き生きとしている。すぐに否定すべきだろうか、それとも専門家として正しい情報を伝えるべきか。即座に否定したい誘惑への衝動を抱えながら、私は患者の言葉にひとまず耳を傾ける。
なぜ人は誤った情報に惹かれるのだろう。その答えは、意外にも私たち自身の心の中に潜んでいるのかもしれない。
確証バイアスという言葉がある。
自分の信念や価値観に合う情報だけを選んで受け入れ、反する情報は無視する心の働きだ。
例えば、ある政策について調べるとき、自分の支持する政党の主張には進んで耳を傾け、対立する政党の意見は十分な検討もなく退けてしまう。特に最近の選挙戦では、この傾向が顕著に表れている。相手を理解しようとする前に、自分の陣営の正当性を必死に探そうとするのだ。
認知的不協和という現象もある。
自分の行動や信念と矛盾する情報に出会うと、人は不快感を覚える。その不快感を解消するため、都合の良い解釈を探そうとする。
ヘビースモーカーが健康被害の警告には目を向けず、「タバコには脳の活性化作用がある」という未確認情報に飛びつくのは、その典型例である。
一方で私たち医療者が常に正しいデータや選択をとることができているかというと、決して例外ではない。
新薬の副作用データを前に、処方を続けている自分を正当化するような解釈を無意識に探してしまうことがある。ある患者の予後が悪化したとき、自分の判断ミスを直視せず、患者側の要因にばかり目を向けてしまった経験も思い出される。
そして興味深いことに、このような心理的な歪みは、インターネット時代においてより顕著になっている。
かつて情報は限られていた。しかし今や、スマートフォン一台で世界中の情報にアクセスできる。その中から、自分の好みに合う情報だけを選び取ることが容易になった。まるでyoutubeのレコメンド機能が私たち好みのコンテンツだけを次々と再生し続けるように。
そして、デジタルプラットフォームのアルゴリズムは、この傾向をさらに加速させる。
「いいね」を押した記事と似た主張ばかりが表示され、共感するコメントだけが目に入る。まるで、自分の声が壁に反射して返ってくる部屋にいるように(これをエコーチェンバーと呼ぶ)、自分と同じ意見だけが行き交い、それを聞くたびに「やっぱり自分は正しい」という確信が深まっていく。
異なる意見や反論は、そもそも目にすることさえなくなってしまうのだ。
では、この現代社会で誤情報に飛びつかないようにするために、私たちは一体どうすればよいのだろうか。具体的な対策として、以下の三点を提案したい。
第一に、自分の中にある確証バイアスを意識的に認識することである。情報に接する際は「なぜ自分はこの情報に惹かれるのか」と一呼吸置いて考えてみる。
第二に、意図的に異なる立場の意見に触れること。たとえそれが不快に感じる情報であっても、その背景にある理由や文脈を理解しようと努める。
第三に、エビデンス、つまり情報の出所を確認する習慣をつけることである。特にSNSでの情報は、一次情報にさかのぼって確認することを心がける。
難しいかもしれないが、ネット社会の情報収集では欠かせない技術であると私は思う。
以前、診察室でこんな場面があった。
「先生、インターネットでこんな治療法を見つけたんです」
患者は、科学的根拠のない代替療法について熱心に語り始めた。以前の私なら、即座にその非科学性を指摘していたかもしれない。しかし今は違う。そんなことをすると患者は心を閉ざし、むしろ対話の可能性を奪ってしまうことを知っている。
まず、その情報に惹かれた気持ちに耳を傾ける。なぜその治療法に希望を見出したのか、その背景にある不安や期待を理解しようとする。そして、患者と共に科学的な情報を探していく。
時には「私にもそういう情報に惹かれた経験があります」と、自分の弱さを認めることで、患者の心が開かれていくのを感じる。
この問題の本質は、単なる情報リテラシーの欠如ではなく、人間の深い心理的特性に根ざしているのだと私は考える。誤った信念を抱いている人を馬鹿にするのではなく、誰もがそういう状態に陥る可能性を腹の底から理解する必要がある。
私たちは、互いの弱さを認め合い、誰もが間違える可能性があることを理解しあう必要がある。この不確実な世界の中で共に真実を探していく姿勢が大切なのではないだろうか。
真実は時として痛みを伴う。しかし、その痛みを分かち合える関係性こそが、情報の海を泳ぎ切るための命綱でありアンカーであると私は信じている。
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