あの頃の君にあって今の君にないものなんてないさ
竹原ピストルの歌に「Forever Young」という曲がある。今夜(11月7日)、40歳最後の日を迎え、ふとこの曲を聴きたくなった。
「何をどうしても眠れない夜は 何が何でも眠っちゃいけない夜さ」の歌詞が、若かった頃の自分を思い出させる。
父親との確執、友人との行き違い、恋人との別れ、将来への漠とした不安。
眠れないほど心が騒いで、時には自暴自棄な行為へ走ったこともあった。
あの頃は不安も希望も、すべてが激しく胸の中で渦を巻いていた。
この30代を振り返ると、当時のような激しい感情の波は、いつしか静かな凪に変わっていたことに気づく。
長い間、引け目に感じていた計画性のない無鉄砲さや、感情的になりやすい性質は、月日とともに自然と薄れていった。
でも不思議なことに、「広い世界を観たい」という溢れ出るような好奇心や、「弱っている人へ手を差し伸べたい」という思いは、むしろ強くなる一方だ。
まるで、若さゆえの衝動が、年齢を重ねることで深い望みへと昇華したかのように。
「くたびれた言葉で 新しい約束を交わし 萎れた声で 新しい歌をうたおう」 歳を重ねた声だからこそ伝わる何かがある。そう信じている。
余分な角が取れて、日を追うごとに、「あの頃の私にあったもの」が静かに、しかし確かに輝きを増しているように感じる。
これまでの人生で感じた挫折や失敗、悔しさや悲しみは、確かに色褪せた枯葉のように心の中に積もっている。
けれど、ピストルの歌が教えてくれたように、そんな枯葉の上にこそ、満ち満ちた若葉は開いていく。それが人生という不思議な営みなのだろう。
古いアルバムをめくってみる。
そこには、驚くほど無邪気な自分がいる。
「Forever Young あの頃の君にあって Forever Young 今の君にないものなんてないさ」というフレーズが、今夜は妙に胸を締め付ける。
さあ、明日は生まれ変わろう。そして愛する者たちと共に、この人生を歩んでいこう。
少しずつ、でも確かに前へ。