ばーばの大学院な日々〜自主勉強会の中で
大学院の前期の授業は終わりまして、後期の開始は9月末です。
その間は何をするかというと、留学生の子はお国に帰省する子が多いかな…
私はといえば、特に夏休みっていう感覚はなく、通常通り登校して、論文を読んだり、自主的な勉強会をしたりしています。
自主勉強会は休みにしているものもありますが、今のところ継続しているのは「差別を理解する会」「英会話の茶話会」「質的研究相談会」です。
「英会話の茶話会」はお題カードをひいてそのお題に関したエピソードをおしゃべりするという会で、私以外はめっちゃ喋れる方たちです。
私はなかなか話せなくて、単語の羅列とジェスチャーゲームみたいになっていますが、英語の会話の中に身を置くだけでも違うなあって思います笑。
年齢も背景も違うメンバーなので、出てくるエピソードに「おおお⁉︎」となりながら笑顔の絶えない会です。
「質的研究相談会」は博士課程の先輩が立ち上げたものに参加しています。
自主ゼミ形式で、毎回誰かの発表と本の紹介という感じです。
加えて相談ができるということで、私はもともと量的研究をしようと思っていたのですが、テーマの方向を変えたら質的研究になる可能性も出てきたので、仲間に入れてもらいました。
前回は先輩が修論の時にとったインタビューの、インタビューイーの言葉に、「こんな言葉を引き出せるのがすごいなあ」と感じ入りました。
私は人の話を聞く仕事でしたが、文字通り「聞く」でした。
クライエントは自分の話したいことを話しに来るので、それを聞いていただけだなぁ・・・「訊く」はなかったなあ・・・と思います。
「差別を理解する会」はかなりガチの3人会です。
メンバーそれぞれが、この会をやろうという目的が違っています。
私は、人前で話すことが多いので、そのつもりなく、知らず知らずのうちに差別してしまうことがあるんじゃないかというところから、いろんな視点を知りたいと考えて始めたものです。
メンバーの1人は、研究テーマがジェンダーで、ジェンダーの課題には常に差別が隣接しているところから差別について学んでいます。
もう1人は自分がかつて被差別者だったという背景から、かつての自分に何が起きていたのかを客観的に考えたいとのこと。
話し合いは時に激アツになります。経験則から振り返りたい私と、それを理論的背景から見るメンバー。
今は、インターセクショナリティの話から、インターなのはセクショナリティだけに限らないという論議になっています。
それぞれの役割の不自由さがあると私が話したことから、それもまたインターだろうということになりました。
となれば、セクショナリティではなくインターロールだったりインターラベルなのではないか…役割や看板的なものを複数重ねて持っているところには、見えない差別がある可能性を否定できない。という話し合いが続きます。
昨日の会の後に、何やらたくさん気づきがありました。
経験則で語る時、いかに自分の視点が一面的だったのかを他者の言葉から知れるということ
たまたま話し合いが終わった後に、別の会のメンバーにどんなことをやっているのかを訊かれ、その日の議論の元になった私の経験と、当時の考えをかいつまんで話したところ、「それって、そうする環境とか社会の問題じゃないのか」と言われ、そう言ってしまったらどうにもならないじゃん。と思ったこと。じゃあどうすれば環境や社会を変えられるのかまで考えないとなぁって思ったのだった。
じゃあ、私はそのためにどうするのか、どうしたいのかというと、やはり働きかけ続けたい。誰にかというと、私の話を聞いてくれる子どもたち、若い人たちに。差別がいけないことだというのではなく、「人へのリスペクトを持とう」ということを。
そして博士課程の先輩にそのことを話しながら、私がなぜ大学院に行きたかったのかを改めて思い出した。「私は、私の意見や考えが全て通ってしまう世界にはいたくなかった」のだということ。前職では、私が白といえば黒いものでも白くなる状態だったから、それが嫌だったんだと改めてわかったのだった。
そして、入学して4ヶ月かけてわかったこと。私は研究して、学んで、知ったこと、わかったこと、考えたことは、やっぱり「教えたい」のだなぁということ。どう伝えるかを考えるのがとても好きだということ。
アツい夏を過ごしています😆
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