やっぱり瞑想が必要だ
前回の日記から、2ヶ月も経ってしまった。
noteを続けようと意気込んでいたけど、自分の性格はすぐには変えられないことを改めて実感。
今日は、瞑想について、書きたい。
最近、瞑想をあまりしていなかった。瞑想は一昨年?くらいから、始めていて、自分にとっては欠かせないものになっている。けれど、瞑想をある程度続けると、自分のメンタルが落ち着いてくるので、瞑想をしなくても気持ちが落ち着く日が続く。それで、周りの誘惑に負けてしまい、瞑想をしない日が続く。そうすると、また不安定になってくる。それでやばいとおもって、また瞑想をする。最近はこの繰り返し。やっぱり、調子が悪い日はもちろんだが、調子が良くても瞑想は欠かさない方がいい。(と、何度もこれまで思っているのに、怠けてしまう)。。。
多分、人によって瞑想のやり方はそれぞれだと思う。その人によって、合う方法も違うだろう。私の場合は、安楽座の姿勢で目を瞑って準備をする。心理療法の中で、フォーカシングという考え方があり、私はその中のクリアリングスペースというものを瞑想中に行っている。
つまり、私にとっての瞑想は、クリアリングスペースをすることだ。このクリアリングスペース、これがけっこうすごい、と自分の中では思っている。気持ちが落ち着くのもあるし、神秘的な体験となることも多い。
まず、自分の心に、ご機嫌いかがですか?と問いかけてみる。その時気になっていることが、待ってましたと言わんばかりに即座に浮かんでくる。
浮かんできたら、やっぱりあれは気になるよね、と、自分の気持ちに気づいてあげる。次に、その気掛かりなことが、どんな雰囲気を伴っているかをみてみる。私の場合はもやもやとして感じられることが多いので、このもやもやがどこに行きたがっているかをイメージする。例えば、公園のベンチ、森の中や、海の見える浜辺、お寺の中、ポケットの中や瓶の中に入れたり、毛布にくるんであげたり、など。本当にどんな場所でもいい。その気掛かりが落ち着くことができる場所に置いてあげる。一つ置いたら、また次の気掛かりが浮かんでくるので、それを同じように繰り返す。
これを繰り返すと、けっこう気持ちがスッキリする。(ゴミ箱に捨てるというのは、気掛かりが、反発して、戻ってくることが多いため、しない方がいいらしい)
クリアリングスペースは、気掛かりなことと、距離を取れることに意味があると思う。人は、悩みなしには生きられない。どうしたって、悩みは出てくる。悩みと自分が一体になってしまうと、苦しくなる。悩みと適度な距離を取れると、悩みに巻き込まれずにいれる時間が長くなる。気づいたときには、不思議と、悩んでいたことが気にならなくなっていたり、悩んでいたこと自体、忘れていることもある。
私はこれで自分のメンタルを保っているし、これはアンガーマネジメントにもなると思っている。特に怒りなどの強い感情はお寺などの神聖な場所に置くのがおすすめだ。それくらい、守りのある場所の方がしっかりと包み込んでくれる気がするからだ。とてつもなく強いマイナスの感情も、お寺をイメージしてそこに置くことで、その感情と距離を取ることができてきた。
クリアリングスペースについては、書きたいことがいっぱいある。神秘的な体験をこれまで何度もしてきたからだ。今後は、1日坊主にならないように、こまめに更新していきたい。