キリスト教を知った今、「神との対話」をあらためて読み解きたい
高校生の頃でしたが、私は精神的な崩壊を経験しています。
理由は割と子どもらしい多感な時期によるものなのですが、幼少期より虐めや差別的な対応を学校で受け、極度の劣等感に苛まれて自我が悲鳴をあげたのです。
それから1年以上、ろくに起き上がれず、朦朧とした意識で学校にもいけなくなりました。自我の崩壊により、脳が相応の物理的ダメージを受けたのだと思います。
ただ、その時に一冊の本が私の支えになりました。それがニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」シリーズです。
国内ではサンマーク出版から出ていることもあり、当時も今も、精神世界・スピリチュアルムーブメントの一つとして扱われているように思います。
内容的には宇宙論的な話になりますので、日本ですとどうしてもスピリチュアルの文脈で評価されがちですが、内容的にはキリスト教神学のコンテキストで多くの内容が語られています。キリスト教神学の矛盾点が多く指摘されており、本シリーズに対する批判も多くはカトリック派のコンテキストでなされているようです。
私は佐藤優さんや橋爪大三郎さんの著作が好きで、よく読むのですが、お二人は思想的にはプロテスタンティズムの立ち位置です。しかもユニタリアン(キリスト教におけるリベラル派)に近く、キリスト教の神学や聖書の教義について、ある程度批判的観点も交えながら嗜んでいるところがポイントです。
私も、最近は旧約聖書や新約聖書を読んだり、Youtubeで聞くことが増えてきました(そういう番組がたくさんあるので、読むのが辛い方におすすめです)。
私も、ユダヤ教やキリスト教神学を盲信するのではなく、アブラハム宗教の文化圏の思想を知る意味で学んでいます。
さて、本題の「神との対話」ですが、これを「キリスト教神学の再解釈」という立ち位置で捉え直しながら再読しようと私は考えました。おそらく、海の向こうでは一定の読者がそうしたコンテキストで読んでいると思います。
キリスト教は幅が広く、「カラマーゾフの兄弟」等多くの文学作品で再解釈の試みが行われています。それだけ、人類の多くに影響を与えた宗教だということです。
肝心の「神との対話」はどういう内容なのか、についてはまた別の機会でご紹介しようと思いますが、強いていうなら、キリスト教として解釈するならユニタリアン・ユニヴァーサリズムなどに見られる、万人救済説に近いものです。また、キリスト教神学に見られる「原罪」を、良し悪しを超えた別の観点から捉え直しています。
中学生の頃にふと、書店で手に取ったのがきっかけですが、内容は感動的なだけでなく非常に論理的でもあり、人間の発想を超えた宇宙論が展開されています。当時の私の理解力は限定されていましたが、知恵が限られ煩悩に塗れた人間の発想を遥かに超越した世界観に、当時人生が苦しかった(今もそういうところはあるのですが)自分の心に響いたのだと思います。
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