通勤日記9/12 同時多発テロとイラク戦争のころ、若者だった私たち
昨日、日記を投稿するときに9/11と打って、同時多発テロの日だと気がついた。もう18年前のことなのか。
当時、私は中学生だった。
近所のおじさんが、庭のプレハブで個人塾を開いていて、そこで在日米軍の奥さんや旦那さんに英会話を教えてもらっていた。
同時多発テロの翌日、軍人の奥さんは「悲しいことが起こってしまった」とため息をついた。そして、私たちに「どう思った?」と聞いた。
私は拙い英語で、ライクアムービー、と言った。本当は、「現実とは思えないようなことが起きてしまった、ショックで信じられなかった」と言いたかったのだが、英語が拙すぎてライクアムービーになってしまった。
彼女は悲しそうに、ノー、イッツノットアムービー、と言った。そりゃそうだよな。
以前同じプレハブで英語を教えてくれた人のひとりは、どうやらペンタゴンにいて連絡がつかないらしい。彼女は、その悲しみや怒りを、早口で何度も繰り返した。
今思えば、彼女は、テロの翌日には「これから戦争になってしまうかもしれない」とわかっていたのかもしれない。テロへの怒り、犠牲への悲しみ、夫や知人がこれから犠牲になるかもしれない恐怖、それらをすべて抱えた人の気持ちを、私は理解できなかった。
彼女たちは、いったいいつもどんな気持ちで、映画やドラマの戦争の描写を見るんだろう。
✳✳✳
それから、年内にはアフガニスタンへの侵攻が始まり、あれよあれよという間に、2003年の3月20日がやってきた。
その日は、高校で先輩たちの卒業式があった。母校はホールが狭くて、在校生は卒業式に参加できなかったのだけれど、「校歌を歌うときだけは、通路になだれ込んで歌っていい」ということで、たくさんの在校生がホールの前で待機していた。
そこに、アメリカがイラクに侵攻したぞ、という一報が入った。当時はスマートフォンなんて誰も持っていない。
まだ校歌までは時間がありそうだ、ということでみんなで体育準備室に駆け込んでテレビを見た。
テレビの前のソファは、体育の先生と運動部の面々が陣取っていて、私たちはその周りに群がって、戦争のニュースをむさぼった。
誰もが黙り込んでニュースを見つめる中で、体育の先生が「あーあ、はじまっちまった」と言っていたけれど、今だったらこの発言も政治的中立性とかいうワードで突っ込みをくらうんだろうか。
あのときの、よくわからない高揚感と戸惑いを、未だに覚えている。
それまで、戦争というのは、「大人たちが必死にがんばって、でも本当にどうしようもなくて起こってしまうもの」だと思っていた。でもこの日、もしかしたらそうでもないのかもしれない、と気づいた。
✳✳✳
あの日の卒業式では、校長先生が祝辞でイラク侵攻に触れながらも、卒業生の前途にエールを送ったという。
あのあとの泥沼を経て、一般庶民の私たちですら、なんとなく「他国の紛争やトラブルには介入しないほうがいい」「目をそらしたほうがいい」と感じてしまった気がする。
イギリスでは、2016年に、独自の調査委員会が「イラク参戦は失敗だった」と発表し、その発表直後に当時の首相トニーブレアが謝罪している。
国として、こうやって調査が働いて、当時の首相が謝る、というのは日本では考えられないことだ。すごいなぁと思う。
一方で、自国民が100人以上も犠牲となった戦争に対して、10年足らずで「失敗でした」と言われたときの、その徒労感はどんなものなんだろう。私たちはあまりにも戦争に慣れていない。受け止められる気がしない。でも、それだとずっと反省ができないことになってしまうから、耐えなければいけないんだと思う。そういう強さは必要だし、持っていなければ。
そういえば、イラク侵攻について、学生時代に読んだ村田晃嗣さんの「アメリカ外交」では、最後にひとつの問いを立てていた。
あのとき、イラクに侵攻しようとするアメリカを止められるとしたら、それは誰だったんだろう?というものだ。
読み返そうとしたら、もう絶版になっていた。確か、「それは、フランスでもドイツでもなく、もちろん日本でもなく、アメリカ国民だった。アメリカ国民が本気で反対していたら議会も承認できなかった」みたいな答えだった気がする。今度図書館で読み返そう。
これからもきっと戦争がなくなることはないし、どの国が100%正しいとか間違っているとか、断言できる日は来ない。最近、なんでも白黒つけようとするような傾向が見られるけれど、国と国である以上、そんなのどう考えても無理だ。
ちゃんと主張すべきことは主張して、相手国を出来る限り傷つけないよう配慮しながらも、ゴリゴリと自らの要望を通していくしかないんだろう。外交官って長生きできなそうだな、、
補足
イラク戦争については、開戦時にイラクにいて、レポートをしていた山本美香さんのルポタージュ「中継されなかったバグダッド」が素晴らしかった。現代戦の、インプットされた標的に向かってぐいんぐいんと弾が曲がりながら進んでいく様子、戦争の最中でも生活が営まれている様子、記者たちも毎日生活をしている様子、その中で人が死ぬということが描かれていた。戦争は、映画じゃなくて現実、ということを教えてくれた。山本美香さんは、2012年にシリアで銃撃されて亡くなっている。
通勤中に文章書くのいいかもしれない。時間が早く過ぎる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?