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倒産よりも怖いもの - 経営者が「虎」にならないために -

事業を立ち上げて、脇目も振らずに頑張っている。誰しも「潰れないように」「もっと稼がなければ」と全力で走っているときは、会社の倒産が最大の恐怖だと思うかもしれない。だが実は、経営者として本当に怖いことは別にある。僕にとってそれは、自分がいつの間にか『山月記』の「虎」李徴のように、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」によって人間としての品格を失ってしまうことだ。

なぜ山月記の「虎」が頭をよぎるのか

中島敦の『山月記』で、才覚を誇る詩人・李徴は、過剰なプライドや孤立のなかでついに虎へと化し、もはや人間には戻れなくなる。これを「たかが小さな会社の経営者と何の関係があるんだ?」と思う人もいるかもしれないが、少なくとも自分はそのストーリーが他人事とは思えない。

「いまは必死で事業を拡大することだけを考えているが、気づけば常識も人としての大切な部分も捨て去ってしまい、もはや取り返しがつかなくなるかもしれない。」

そんな不安が常に頭の片隅にあるのだ。

「会社が潰れる」以上に怖いこと

もちろん事業を畳むリスクは嫌だ。借金や信用の問題で追い詰められるかもしれない。しかし、ある時ふと「会社が潰れるよりも、普通の人間らしい感覚を失うほうがずっと怖い」と思うことがある。

倒産は再起のチャンスが残ることもあるが、人としての感覚をなくしてしまったら二度と戻れない――まるで山月記の虎のように。一度なってしまえば、もはや“人間”に戻れないイメージが頭を離れない。

常識がねじれていく予感

スモールビジネスを興してから、借金の額が数百万円、数千万円と膨らんでも「まあそんなもんでしょ。むしろもっと借りなきゃ。」と感じるようになったり、息を吸うように連帯保証をしたり――そういう瞬間に「あれ、昔の自分ならこんなに気楽にはできなかったのに」とハッとする瞬間がある。

周囲から見れば「よくそんなリスクを取れるね」「怖くないの?」と言われることでも、経営の渦中にいると慣れっこになってしまう。たとえば銀行との交渉や設備投資の巨額支出が続いても、いちいちビクついていたら回らないから、「もう借金が怖くなくなる」のだ。

この「借金が怖くない」感覚や「連帯保証なんて当たり前」と思うスタンスが、もしかすると“常識や人間的な感覚”をどこかに置き忘れている兆しかもしれない――そんな疑問が自分のなかに湧く。李徴は己のプライドが傷つくことが怖くて周囲との関わりを絶ったが、自分も孤立を深めた果てに「獣」に変わりそうな危うさを感じるのだ。

なぜ狂ってしまうのか:経営者の孤立と過剰なプライド

スモールビジネスの経営者は、基本的に会社の中でトップの立場にある。とくに小さい会社だと、思い立ったことを即決できる自由度が高い。その半面、周りに「それはヤバいですよ」と止めてくれる人がいないことが多い

また、誰にも頼らずにやってきた成功体験が、プライドを育てる場合もある。自分の判断を疑わずに推し進めるうちに「会社のためなら何でもアリ」となり、人としての道徳観や優しさがうしなわれる可能性がある。そうやって「虎」へと近づいていくシナリオが見えてしまうのだ。

昔からの友人こそが防波堤になる

自分が本当に怖いのは、ある日突然「虎になっていた」と気づく瞬間。だからこそ、昔ながらの友人と会い続けるのを大切にしている。会社の部下や取引先は社長に遠慮して、厳しいことを言いづらい。でも旧友なら、容赦なく「お前、ちょっと変わってきてないか?」と直言してくれる。

虎になった李徴は、かつての友人・袁傪(えんさん)と再会して想いを伝えようとするが、もう人間に戻れない状態だった。そうなる前に気づけば、まだ軌道修正できるかもしれない

「虎になる」とは、人として戻れなくなる悲劇

倒産より取り返しがつかないもの

経営者にとってのリスクは倒産だけじゃない。いつの間にか「常識」や「温かい心」を失い、孤立して誰からも理解されなくなることのほうがよほど怖い。山月記の虎が、人間の言葉を失い、かつての自分を恥じて吼えるしかなくなったように、一度虎になったら戻れないんじゃないかと不安になる。

行き着く先は狂気かもしれない

もし「連帯保証を当たり前」「借金が怖くない」といった感覚がエスカレートすれば、次第に周囲のアドバイスもシャットアウトしてしまうかもしれない。そうしてどんどん非常識な領域へ足を踏み入れているのに本人だけ気づかない、というパターンが「虎化」だ。

会社が潰れるショックよりも、「気がついたら誰も自分に近寄らなくなるほど人間性を失っていた」ほうが再起は難しいのではないか――そんな懸念が頭をよぎる。

まとめ:虎になる前に戻れるように

会社を経営していると、世間の常識から少しずつ離れていくのが当たり前かもしれない。借金に慣れ、無茶なチャレンジも繰り返し、いつしか普通の人が尻込みするリスクを「やって当然」と思うようになっている。これらは経営者としての胆力にもなるが、同時に人としての感覚を歪ませる可能性も大いにある。

だからこそ、自分は虎になりたくないと思う。会社がダメになるよりも、そっちのほうが実は取り返しがつかない恐怖だ。そこで僕は、昔からの知人に「もしヤバくなったら遠慮なく言ってくれ」と頼み、定期的に会うようにしている。今のところはまだ「ヤバい領域には踏み込んでない」と思っているけれど、油断はできない。

山月記の李徴は、変わり果てた姿を旧友の前にさらし、人の言葉を話せぬまま物語は終わった。僕は虎になる前に気づきたい。まだ人間として立ち止まることができるうちに。

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