Ema. | 自分らしく生きたいあなたと。

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制限という自由

制限・自由 この言葉たちを聞くと、一見自由の方が幸せのように そして、2つは相反することのように感じる でも、ある出来事がその考えを変えてくれた 病気の時、私は嚥下障害になっていた 喉の力が弱くなり固い物や固形の物を殆ど食べることができなかった その時、食べていたものがお粥 当時は何でも自由に食べることができる人がいいなと感じていたりもしたけれど、 元の生活に戻った今、あの時の環境がすごく役に立っている それは、 制限された状況だったからこそ”創造“できたということ

    • 選んだ道を正解にする

      私と父と祖父の話 10年前に他界した祖父とは、離れて暮らしていた。 祖父の元を訪れるのは、お盆やお正月 父と祖父は、お酒が好きで飲むとすぐ言い合いになるが いつも次の日には元に戻っていた。 でも、ある日 『お前の世話になった覚えはない』 祖父かそう父に言ってから二人には目には見えない距離ができた。 父は長男だった。 祖母は、病気がちだったために早くに天国へ行き祖父は長年一人暮らしをしていた。 祖父からしたら、長男は実家に戻って一緒に住むのが普通だと思っていたのかもしれな

      • 薬を飲めなくなった時...

        もしあなたが病気だったとする 薬が飲みたくないとする そんな時は想像してみてほしい。 もし 来月最愛の人との結婚式があったら・・・ 押しの人との食事会があったとしたら・・・ ずっと行きたかった旅行先にいけるとしたら・・・ 薬を飲む、治療を受ける選択肢を考えるのではないか? 私が間違ってしまったのは、この【目的】と【手段】だった。 病気になる前の私は、東洋医学の事を勉強していたからか 実際自分自身が病気の症状が出始めた時に病院に行く事、そして薬を飲むことにすごく抵抗

        • 病気で変わった友人関係

          私が友人と関わる時、自分に約束していることがあります。 それは 【本当に好きな人とだけ関わる】 →その人の幸せを心から喜べる人 【GIVEは自分が出来る範囲】 →お金・時間・体調で無理しない 【あくまで自分がすることは自己満】 →見返りを絶対求めない ということです。 というのも、私が病気をしたことで価値観が変化したのは友人に関するものが一番大きいからです。 それまでの私は、世に言う≪優しい人≫でした。 上京してくる友人のために1ヵ月近く家に泊まらせたり 彼氏に振ら

          初めまして。

          Ema.です。 この記事に目を止めて下さり有難うございます。 このnoteは、 ・私が2度の病気と臨死体験の中で見えた世界 ・本来の自分自身を取り戻すために行動して感じたこと ・そこから変化したものの見方・捉え方 を、形にしてみようと思って作成したものです。 病気になった当初は、 それまで持っていた人間関係・経済・夢や希望・自信など 沢山の物を失ったと“勘違い”していました。 けれど、時間がゆっくりと私を癒してくれて 私に覆いかぶさっていた何かが一枚、また一枚と剥がれ