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【緑十字機 決死の飛行】時系列表あり 真の太平洋戦争終結は9月2日だった



【1】はじめに

終戦記念日である8月15日は
太平洋戦争の真の終戦日ではなく

実は、太平洋戦争の真の終戦は、
『平和の白い鳩』と呼ばれた降伏軍使を乗せた
緑十字機決死の飛行によって
9月2日にもたらされていました

降伏軍使とは
アメリカに降伏するため日本軍がアメリカ軍に派遣した天皇勅使である使者

緑十字機とは
飛行機全体を白色に塗り緑色の十字を着けた飛行機


この緑十字機極秘ミッションが成功していなければ、8月15日以降に戦争がいつ再開しても
おかしくない危機的状況にあったという驚くべき事実

このことを5年くらい前に知り、
こんな重要な歴史が埋もれていたなんて!と…

2022年9月7日の日経新聞にて
「日本終戦史の裏側を描く『緑十字機 決死の飛行』
(岡部英一著)」
の内容が取り上げられ
緑十字機の認知がさらに広がったと思われます

この本を元に制作されたドキュメント
「太平洋戦争ラストミッション
 戦後日本の命運 を分けた緑十字機」
(54分)の
主要な項目についてまとめ

※過去に民放で120分バージョンが放映され、
詳細にわたり紹介していたようです
 



【2】日本存亡の危機 その背景と緑十字機

実は8月15日は、戦争終結の条件を満たす
真の終戦」ではなかったため、
その翌日から日本は存亡の危機に晒され、
一刻も早い戦争終結が急務となっていた

______________

【戦争終結の3条件】とは
①無条件降伏の調印  ②日本の占領  ③全武装解除

______________

1、 8月15日が真の戦争終結ではない理由

天皇陛下の玉音放送は、
あくまでポツダム宣言受諾を知らせるものであり、
実は8月15日時点では
戦争終結の3条件全て実行されていないため、
世界的には「戦争終結」ではないとされていた

真の終結には、 
・アメリカ進駐軍と占領(進駐)交渉
・占領(進駐)開始前に日本国内全武装解除
・アメリカ進駐軍による日本占領(進駐)実行
そして、最終的無条件降伏調印
という対応が必要であった

よって、まず日本は8月15日以降に
アメリカ進駐軍から指定された
日本占領(進駐)の交渉の地マニラへと
日本の降伏軍使派遣する必要があり、

そのフライトを緑十字機が担うこととなった


2、 8月15日以降も徹底抗戦態勢だった反乱軍

1)厚木航空隊の反乱軍は米軍に対し徹底抗戦態勢
玉音放送を聞いてもなお
日本各地の部隊は徹底抗戦の構えで、
日本海軍最強といわれた厚木航空隊の司令は
『天皇の降伏の勅命は真の勅命でない』という
声明を発表し、反乱軍として戦闘体制に入っていた

武装解除」どころか
アメリカ軍との戦争再開の危機」状態にあり、
反乱軍を抑えない限り
進駐軍との衝突が起きる危険にあった


2)反乱軍は緑十字機を攻撃対象としていた
戦争を終わらせたくない反乱軍としては、
戦争終結のミッションを行う緑十字機は敵であり、
攻撃の対象だった

徹底交戦状態にある反乱軍の存在で、
正式な戦争終結に必要な日本の占領全武装解除の実行が非常に難しい状況にあった


3、 北海道 ソ連侵攻の危機

1)ソ連の侵攻の状況
正式な終戦ではないことを理由に、
ソ連は8/18樺太に侵攻開始
日本の降伏が完了しないうちにと、
急ぎ北方四島への侵攻を進め、
北海道の占拠をアメリカに主張するなど
真剣に北海島を占拠することを考えており、
北海道侵攻は時間の問題だった

2)ソ連の侵攻を止めるため急がれる戦争終結の3条件
ソ連の侵攻は待ったなしであるうえに、
日本国内には反乱軍が存在
戦争終結に必要な日本の占領全武装解除
難しい状況である中で、
一刻も早く戦争終結の3条件全て実行し、
ソ連の侵攻を止める必要があった


 

4、 反乱軍の存在を隠しての困難な進駐交渉

日本軍がマニラへ派遣した降伏軍使は、
マニラで降伏文書を受け取り、
アメリカ進駐軍を一刻も早く受け入れないと
ソ連に侵攻される危機にあった

1)反乱軍を隠し武装解除の時間稼ぎの交渉
 進駐には全武装解除が前提であり、
 厚木反乱状態にあるという事を降伏軍師は
 アメリカ言えるはずもなく、隠して交渉していたが
 その存在を隠している反乱軍の
 武装解除時間を稼ぐ必要もあったたため、
 交渉でなるべく進駐を遅らせなければならないという
 非常にピンチな状況を抱えた交渉だった

2)不可能な進駐日程しかし完遂必須ミッション
 交渉によってアメリカ側から突きつけられた
 進駐日程は、日本国内の受入態勢を整えるには
 およそ不可能と思われるタイトな日程だった
 しかし、果たさないと
 戦争再開の危機天皇制維持が危うくなるため、
 必ず成し遂げなければならないミッションだった





【3】緑十字機 極秘ミッション



日本政府からもGHQからも公表されず
国民の誰も知らなかった、
玉音放送の翌日8月16日から8月22日までの
空白7日間、日本存亡の危機を回避するため、
緑十字機は極秘ミッションを決行

緑十字機の極秘ミッションは、
真の戦争終結」に向け
 ①マニラへと降伏軍師を運び
 ②天皇が署名する降伏文書受取進駐交渉を行い
 ③降伏文書持ち帰る
というものであり、

緑十字機反乱軍から狙われ、
乗っている降伏軍使と搭乗員は
自決覚悟・命の保証無の状況だった

さらに、その緑十字機の決死の飛行の道中は
数々の予期せぬアクシデントに見舞われ
度重なる窮地に陥るものだった


この決死の飛行にまつわる
アクシデントと奇跡の出来事は、
日本は見えない何かに守られていたのでは
と思わずにはいられないエピソード満載

決死の飛行の最後に、
降伏軍使を乗せた緑十字機の飛行中の最大のアクシデントの原因に関わる「封印された歴史の闇」があり、
まるで映画!!


次の項目で、
この極秘ミッションがいかに困難であったか、
8月15日以降に日本が抱えていた
厳しい状況について時系列で分かりやすく整理

戦争終結までの降伏軍使の動き
緑十字機の決死の飛行
降伏文書調印までの流れ
反乱軍の状況
ソ連侵攻の動き

(注意)緑十字機をほぼ知らない or 動画未視聴の方
この緑十字機の飛行にまつわる出来事は、
ほとんど知られていない歴史ばかりで、
史実であることが信じられないほど映画のような展開

動画を初めて視聴される予定の方は、
これ以降の情報を見ずに視聴することをオススメします

ネタバレがあっても大丈夫であれば
このまま読み進めていただければと





【4】(時系列表)緑十字機極秘ミッションと状況

日本が抱えていた状況を分かりやすく整理
(クリックして拡大可)

時系列表 緑十字機 極秘ミッション



【5】最後に

この緑十字機の決死の飛行を知ると、
戦争を終わらせることこれほど大変なこと
だったのかと考えさせられます。

北方領土問題もこの歴史を知ると理解が進みます

国民に知らされることのなかった人々の奮闘により、
今の日本がギリギリのところでなんとか保たれたこと、これは奇跡であり、感謝でしかないなと

このまとめでは伝えきれない
感動エピソードがたくさんあるので、
動画の視聴をされていない方は
ぜひ視聴をおすすめします





【6】(関連情報)世界最高齢パイロット高橋淳さん

緑十字機と同型機に搭乗されていたということで、
緑十字機の動画内(37分45秒)あたりで
説明をされていた高橋淳さん
2021年12月7日に99歳で逝去されました
下の動画は96歳当時の講演のもので、
明朗快活にお話されていて感動します




【7】(関連情報)動画元の本の著者岡部英一さん





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