サブカル女がどんどんサブカルに傾倒していく近況
私は今本当に幸せなのです。
幸せで、もう周りの人誰も死んで欲しくないし私も死にたくないと思います。最近ふと気づいた事なのですが私が好きな人や作品は常に【死】があります。私の好きな坂本慎太郎さん(ゆらゆら帝国)、そして横尾忠則さんの作品にはいつも生死がテーマにありました。これは最近気がついたことで、私はわざわざ「この人は生き死にを考えてるから好きだ」と思ったわけではなく、好きだと思ったら共通して生死があった、ということです。
私がつい【死】にフォーカスしてしまうのはそれが未知の世界だからです。言わないだけで皆そうなのかも知れません。父や友人が亡くなった時にも、悲しみと同時にこの人はもう死を経験してしまったのか?今どんな世界を見てるのか?と、先を行く人を尊敬するような気持ちになったものです。
私はサブカル系が好きでサブカル系の女と自称してますが、サブカル系といっても定義は幅広く、時にアングラと呼ばれる系統も混じっています。ですが私はあまりアングラは好まないし、メンヘラとかオカルトとかもちょっと受け付けない。あと現実的に痛いこととか血とかもちょっと無理なのでホントそういう現場も見れません(貧血したことあります)。つまり死に惹かれるというのはそういうことではなくて、【死を見るから生を見る】、そういう物の見方に興味があるのです。
そういえばグラデーションや多色(配色)が好きだという私の嗜好もそうで、赤があって青がある、赤を知って青を知る、そういう世界が好きなんじゃないかと思いました。極論【ないを知るからあるを知る】という概念はまるで禅のようで、人が本来の姿に立ち返った時のもののような気がします。だからか、その瞬間私は「生きている!」と思う。坐禅の経験ないけど。
今私はサブカル嗜好に拍車をかけている。私の言うサブカルとは、「独自の信条を貫くスタイル」ということです。心の赴くままに過ごすことがいかに素晴らしいことかを後に誰かに語れるまでになりたいのです。好きということは共鳴であって、その瞬間を感動といいます。
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