授業、人の話についていけないということ


・話が理解できない
・授業についていけない


ということわたしはよくあった

まぁシンプルに怠惰なのもあった
あとそもそも最初からやる気がないとか
だからまぁ基本的におばかさんであった
そんなわけで人にどうこう言えた口ではない



ただ今でもよくあるのは



一個の要素にいつまでも引っ張られる
その要素が不透明もしくはズレてたりする場合

それをとりこぼし続けて
それを気にし続けて

先に進む授業や人の話

それはすさまじいストレス

わからないを放置続けるストレス

たった一個
最初の小さな一個で
つまづくという

それが連続したり、追いつかなかったりで
心の中で転びまくって
そして立てなくなるということもある


まぁ予習してたり、その物事がすき
個人に最適化されてるなど
そういうある程度恵まれた環境であった場合は
きっと結果は違うのだろうけど


社会はそうでない方が多いし
生まれる環境という運がある

何が言いたいのかというと

それはバカなわけじゃないという話
どこにでもあるような話だけど

バカを演じ続けていたりすると
より自らをバカだと思い込む


直線的に記憶力よくて
シンプルにすげえと思う人もいる
今話したこと全部覚えてるのとか

でもそれは優劣でなくて

根本のあり方が違うというはなし

・直線なのか
・広さや深さ、飛び飛びなのか

そういう話

広ければ広いほど、飛びすぎたりするほど
その時点では必要な要素が辿れない場合がある
授業のかなり後のほうに補完されるとかね

すると結果的に
授業に追いつけない
自らはバカだという結果に至る

やる気も削がれちゃうし

そういう人は
アプローチが違うといいのかもしれない

具体策はよくわからないけど


教科書じゃなくて、
図書館とかで視点の違う本でも読んでみたら
超絶理解が進むということあるかもしれない

同じ分野の本で例えば5冊比較すると
吸収できる内容が
全然違かったりする

ということは内容ではなく
視点によって違うということ

これがいわゆる直線的な読み方をすれば
集まる内容は同じなのだろうけど

広さ深さ、視点の軸で読む場合は
全く違ってくると思う

だからアプローチの違いはあるのかもという話



授業に素直についていけている人に
素直にすごいと感じそれと同時に
強い違和感を感じる過去であった

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