日記:ホーム・スイートホーム
・アニカニお疲れ様でした(ディレイ) 終わった直後から体調を崩して寝込んでしまい、治ったら治ったでそのまま師走の喧騒に呑まれ、危うくフェードアウトしかかりました。本当は今も日記とか書いてる場合じゃないくらい忙しいです。
・とはいえ今日は書かざるを得ない。なにしろ青春の苦楽を共にした俺のヤサ、第二の故郷とも言うべきホーム「寺町a-cho」の閉店がついに決定的になってしまったのだ。2024年、多種多様に悲報が飛び交っていた中でも個人的に指折りのショックな出来事で、こうして供養しない限りはこなすべきタスクに立ち戻れそうもない。
・俺とa-choとの出会いは模試の成績が良いのを盾に、午前中の授業を親に無断でズルけて新京極〜寺町で遊び呆けていた高校生時代にまで遡る。当時属していたネットの界隈ではゲーセンで音ゲーをシバくのがメインカルチャーであり、俺自身も同コミュニティの大学生に誘われるがままにドカドカと床を踏み鳴らしていた。
・とりわけ京都河原町駅から最も近いこの寺町a-choは(当時は)導線上にメロンブックスやゲーマーズ、とらのあなといったアニメショップが一通り揃っていた事もあって、素行がマイルドヤンキー憧れ系のナード学生であった砂塚ユート少年にとっては間違いなく、この世で最も天国に近い空間であった。死後、転生か地獄行きでない限りはここをそのまま再現した空間に堕とされると思う。(ちなみに同じ筋のアニメショップも移転縮小したメロンブックスを残して壊滅済み)
・1階と地下はパチ屋。大学に入ってから1回だけ打ってみたけど、ビギナーズラックがイマイチ振るわずに3000円負けてから二度と行かなくなった。a-choは2階と3階のツーフロアからなるゲーセンで、下階がアミューズメント・アーケード・格ゲー、上階が音ゲー・STG・レトロゲーに分かれている。学生時代に週3〜5日とかで通い詰めていたのは3階の音ゲーフロアだったが、いつの頃からかDDRが撤去されてしまい、長じるにつれて俺自身が音ゲーから離れてしまった事もあって、近年では専ら2階でガンダムやってる事の方が遥かに多くなっていた。なんか下手くそなガーベラ・テトラ乗りがいるなと思われたなら、それはまず間違いなくアタクシです。すみません。
・2016年にカード切れによる物理的限界を迎えるまで初代「アイドルマスター」(通称アケマス)を稼働させ続けていた事も未だ俺の記憶には新しい。この頃は実機をずっと間近で見ていたので、少しくらい触っておくべきだったと後悔した。
・なおこの時期には店内で小規模ながらフードコートを設けられており、唐揚げやポテト程度の軽食ならばそのまま済ませることも可能だった。今にして思えば画期的な気もするが、少なくともコロナ禍以前にはほぼほぼクローズされていたようにも思う。あと健康条例の施行前までは分煙とはいえ店内喫煙も可能であり、奥でヤニを吹かす格ゲーマーの多かったこと。当時は嫌でたまらなかったが、今となっては全てが善き思い出だったようにも感じられるのだから不思議だ。
・俺が2階に移行した主な理由としては、音ゲー文化の急速な凋落(BeatStreamやリフレクがコケた辺り)が一因に挙げられるが、それ以上にこの店が京都で唯一の「AC北斗の拳」設置店舗だった事が大きい。TRFの実況動画ばっか見てるワナビーなりに実機を擦るのは本当に楽しかった。もっともこれも常設のレギュラー稼働ではなく入れ替わりで姿を消してしまったが。ついこないだ一日限定とかで久しぶりに帰ってきて嬉しかったんだけど、それがまさか特大の死亡フラグだったとは……。
・実は今でも密かに、多ければ週2くらいのペースで足繁く通っているほどなので、よもやこれ程に追い詰められているとは思わず、その点に関しても衝撃が大きい。確かに思い返せばここ数年で京都駅前の七条キング、MOVIX横のゲーパニと好立地な店から次々と倒れていき、京都のゲーセン界隈には暗雲が立ちこめていた。このa-cho自体も存続が危ぶまれ、事実コロナ禍の折にはクラファンで辛うじて乗り切ったところだったが……。こんな一等地で、しかも多くの人から聖地と崇められている店さえもう保たないほどなのか。いや、むしろだからこそとも言えようが……。
・今までありがとう、寺町a-cho。まだ実感は持てないけど本当にお別れなんだね……。ガンダムでボコボコに負けた挙句、向かいのサイゼで味のしないペペロンチーノをやけ食いするのが、正直なによりも楽しかったよ。君との思い出(階段で当たり屋にぶつけられて4万騙し取られた事)、今でも忘れてないよ。残る1ヶ月、たくさん思い出を作っていこうな。2階のトイレでもっとも多くウォシュレットを使用した客、砂塚ユートより。