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お父さんは、ずっと見ていた
人はみな誰にも見せぬ自分を持っている
友人にも 恋人にも 家族にさえも
張りつけた笑顔や虚勢で本音を隠し 本性を隠し
そうやって世界はーー
かりそめの平穏を取り繕っている
僕は今、実家のパソコンの前に座り、一つのフォルダをクリックしようとしている。
フォルダの中にあるのは、もうすぐ80になる父親のブックマークたちだ。
中身がどんなものかは、まったく想像がつかない。しかし、あらゆる「悪い未来」が頭をよぎる。
まず頭に浮かんだのは、電車の中で見かけた高齢者の姿だ。その人は延々と中韓を嘲るテキストが流れるYouTubeを視聴していた。「久々に実家に帰ったら、父親が陰謀論者やネット右翼になっていた」といった話もよく耳にする。
あるいは、多数の成人向けサイトという未来もあるかもしれない。陰謀論にハマるよりは遥かにマシだが、身内の、ましてや実の父親のそういった部分など知りたいはずがない。ノーマルなものならまだしも少し偏ったものだったら、どのように受け止めればよいのだろうか。
そんなとりとめのない思考が続く。
「ちょっと、早くしなさいよ」
僕の逡巡をよそに、後ろから母親が急かす。
考えていても仕方がない。僕は意を決してマウスをクリックする。
少し動作の遅いWindowsがゆっくりとフォルダを展開するーー
◆◆◆◆◆
我が家は両親と兄、そして僕の4人家族だが、父と最も仲が良いのは次男である僕だ。父がどう思ってるかは知らないが、僕は勝手にそう思っている。
とはいえ、40過ぎた中年と80手前の老人だ。いわゆる一般的な父子がそうであるように、必要以上の会話をすることもない。
僕は常々、小6の息子に対して「こいつは本当に俺の言うことを聞かないな」と思っているが、父親と話しているとふと気付く時がある。「あ、俺も父親の言うこと半分以下ぐらいしか真面目に聞いてないな」と。つまり、世の父と息子というのは、そんなものなのだろう。
よって、お互いに仕事について、じっくりと話をしたことなどもない。
ただ、自動車メーカーの品質保証部で働いた父は、故障履歴を全社的に管理するシステムを導入したことが自慢で「俺の退職送別会にはシステム会社の営業マンが10人以上来て、感謝していた」というエピソードをよく披露してくれた。
このエピソードはかなりのお気に入りで、誇張や比喩ではなく10回やそこらでは聞かないぐらいの回数を聞かされている。よって、話の途中で「いっつもおんなじ話ばかりして!」と母親がキレるところまでがセットで僕の記憶には定着している。
製造業の企業で新卒から定年まで勤め上げた父にとって、5回も転職した上に、週3回も在宅勤務でいつもカタカタとPCをいじっている息子の仕事などよくわからないものであろう。
僕もいちいちあえて説明しようとは思わない。だから、父は知らないはずである。
出版社でキャリアをスタートした僕が、この10年はWEBメディアの運営に携わっていることも。BLOGOSやみんなのごはんといったサイトを担当していたことも。そうしたサイトの一部はクローズしたり、更新が止まっていることも。
父にとっては、すべてあずかり知らぬことであると信じていた。
◆◆◆◆◆
家族にいつまでも元気でいてほしいと思うのは自然なことだが、加齢によって身体のアチコチに不調を来すのも自然の摂理である。
2024年5月。
我が家の父の身体にもご多分に漏れずガタが到来し、それは以前から膨らみ続けていた大動脈瘤が「これ以上の放置は危険で手術が必要というレベルまで肥大する」といった形で表出した。
数年前から、こうした未来を予測していた父はスケジュールを消化するように淡々と入院し、手術に臨んだ。手術のリスクはそれほど高くないとのことだったが、医師の説明は丁寧な分だけ、僕と母に安心材料の100倍以上の不安を提供するものだった。このご時世、「私に任せていただければ大丈夫ですよ!」などと胸を叩かれても、それはそれで不安だが、説明を尽くされれば尽くされるほど不安になる。
結果的に、そんな不安を感じた己が馬鹿らしくなるぐらい手術はあっさりと終了し、父は無事リハビリ期間に入った。
父の入院中も母の日常生活は続く。住んでいるマンションに関わるあれこれ。普段父がこなしていたタスクは、母に引き継がれているはずだが、母もバリバリの高齢者である。そもそもタスク実行能力が怪しい。
というわけで、近所に住む現役世代代表の僕が駆り出される。家族間で業務的なやりとりをした経験がなかったが、そもそも父の引継ぎ資料の出来も怪しい。退職した前任者の残した資料であれば、一つや二つどころではない悪態をつきたくなるレベルのものだ。
不足している情報のピースを埋めるためには、父が普段使っているPCをチェックしなければならない。
かくて、僕は父のブックマークを開くことになったのだ。
◆◆◆◆◆
普段使っている銀行のサイト、住んでいる自治体のサイト、天気予報…。
展開されたフォルダの中に、目を引くようなものは何もなかった。
思わず胸をなでおろした次の瞬間。僕の目に飛び込んできたのは、意外な文字列だった。
BLOGOS。
それは2018年まで僕が編集部に在籍し、2022年にクローズしたサイトだった。
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おそらく、このサイトをいまだにブックマークしているのは、この世で父だけなのではないだろうか。
幸か不幸か、想像していたような「悪い未来」はそこにはなかった。だが、まったく異なる角度の予想外の未来が待っていた。
父はずっと見ていたのだ。息子の仕事を。
興味のないように見えて、それなりに関心があったのだろう。
僕は、どのような感情を持つべきかわからず、こなすべきタスクをこなすと黙ってフォルダを閉じたーーーー。
◆◆◆◆◆
その後、父は当初予定より早く退院し、その要因が「これまで毎日1万歩あるいていたことだ」と触れ回っている(たまに「1日1万km」と言い間違える)。このエピソードも披露しすぎて、話し始めた途端に母親がキレる。我が家の変わらぬ日常だ。
当然のことだが、BLOGOSはもう更新されない。よってブックマークしておく必要もない。だが、あえて父に削除してもらうほどでもない。
今後も父と自分の仕事の話を深くすることはないだろう。
だが、父はいつも僕の仕事を見ている。
僕の心の中には、そんな漠然とした緊張感が刻まれている。
※TOP画像は素晴木あい@ AI絵師さんのもの。既存の画像でありながら偶然にも父親にかなり近い。