物語は情報の楽しみ(か)
情報が詰め込まれた早口めな映画が好きで、ぱっと思い浮かぶだけでもソーシャルネットワークやバイス、神の見えざる手、シン・ゴジラなどがある。
それはなぜだろうと考えていたけれど、身もふたもないことを言えば、時間当たりに受け取れる情報量が多いと「楽しい」と感じるような気がする。
ただし、これは「受け取れる」情報量のことを言うので、早口な映画以外でも、同じように受け取れる可能性もある。
絵画の見方を紹介した本(https://amzn.to/36N4jpV)によれば、絵画教育を受けた人の視線は絵の中の一か所にとどまらず、まんべんなく全体を見るという。
たとえばモナリザを見た場合、何も知らない人は顔に注目するが、絵を見ることに慣れた人なら例えばこの手の重ね方は?服の色の意味は?背景のこの荒野は?といろんなところに着眼ができる。
絵に詳しくなると、一枚の絵から受け取れる情報が多くなって、絵を見ることが楽しくなる。
映画も同じで、情報量の多い映画というのは個人によって異なる。
好きな俳優が出ていれば、その人の表情や細かな反応までを見るため、受け取れる情報量が多くなる。
好きなシリーズなら、出てくるキャラやその背景に関する知識がこちらにあるので、やっぱり受け取れる情報量が多くなる。
絵画と同じく映画にも詳しくなれば、有名作へのオマージュやカット割りなども読み解けるようになるのでより受け取れる情報量が多くなって、映画を見るのがより楽しくなるだろう。
反面、本来は小説など情報の塊のように感じられるけれど、アマチュアの小説は繰り返しが多く、そのため情報量が少なくなりがちである。(参考:https://note.mu/elsur00/n/n18605c6dedd1)
邦画や国内ドラマに多いのだけれど、「どこかで見たような場面」を「どこかで見たような芝居」で「こんな感じだよね」と読者の理解に寄りかかって説明してしまう作品が個人的には苦手だ。つまり記号的で、情報量が少ない。
not for meとしか思えない作品もあるけれど、情報量を多く受け取れるかどうかは受け手の問題でもある。ロッキーシリーズを全部見たり、MCUを全部見たりハイローを予習したりしてから新作を見に行くのは、自分の中に文脈を理解する素養ができていたのでとても楽しかった。書きながら思ったけれど、旅行に行く前にも歴史や文化を予習をしてから行くとより楽しい。
すべてを理解することはできないだろうし、突然の出会いも大切だけれど、受け取れる情報量が多いと「楽しい」と感じるとわかっていれば、受け手側である程度対処もできる。早口な映画はやっぱり楽しいけれど、そうでないものも、もっと楽しく受け取るために映画でも何でも勉強したい。
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