死にたい夜を乗り越えられなくても生きている。
死にたい夜が時々やってくる。
怖くてたまらなくて、布団にくるまって流せる時は涙を流して、流せない時はぎゅっと目を閉じて太陽が昇るのを待ち続ける。
わたしが死にたいと思い始めたのは中学2年の頃。意味がわからない言いがかりをつけられていじめの対象にされて、トイレに軟禁されたことがある。
ヒエラルキーの頂点に立つ怖い同級生の女の子6人に囲まれて、トイレの個室に閉じ込められた。1時間か2時間か。彼女たちから暴言を吐き続けられて、誰も助けに来てくれずにわたしは絶望した。その中の一人とは学校を出ると話せるのに、その時はみんなと一緒にわたしに攻撃を仕掛けてきた。あなたもなんだ。何かあったら助けるからって言ってくれたのに、裏切られたと思った瞬間死んだらいいやと思った。信じていた人に裏切られることの悲しさを知った。
そこからことあるごとに死にたくて、眠れない夜に手首にカッターを当ててみたり、首にタオルを巻きつけてみたり、屋根で朝を迎えたり、死ぬ気があるのに最後の勇気が出ずに死ぬことは結局なかった。
わたしは未だに死にたい夜を乗り越えられてはいない。朝になっても死にたくて、仕事に行っても死にたくてまた夜になっても死にたいままで。気がついたら1日が過ぎているだけで、世の中のすごい人たちはこうやって乗り越えてという話をよくされるが、わたしはなんとなくで生かされている。
ホテルで働いていた時、本当にしんどくて仕事が終わった後岸壁で泣いていたことがあった。ここから一歩踏み出したら泳げないわたしは死ぬ。さぁ死んだらあの理不尽な部長はどう思うのか。何も思わないだろうな。誰か心配するかな。しないだろうな。
飛び込もうと思ったとき、アメリカ時代から可愛がってくれた先輩がふと頭に浮かび、あの人にお礼を言わないと死ねないなと思い半分かけで電話をかけた。
先輩は電話に出てくれて、泣いているわたしの話をただ聞いていた。何時間も。
そして電車がなくなりそうな時間になって、「ご飯食べた?電車なくなるからご飯買って帰りなね」
と一言言ってくれた。その言葉がわたしを死から少し遠ざけてくれた。
おにぎりを買って家に帰って、食べて、気がついたら眠っていた。人の言葉に助けられた経験だった。
その時ばかりは死を乗り越えたかなと思った。
ただ相変わらず今も死にたいのは変わらない。今も死にたい。なんのために存在してるかわからないから。ご飯を食べていいのかも、化粧をしてもいいのかも。
夜中に眠れなくてそれでも朝になって仕事に行く。乗り越えてはないのだ。時間が過ぎているだけなのだ。
それでも生きている。
生きているのだ。
生かされているのだ。
わからないまま生きている。
死にたい気持ちがあるわたしもわたし。