焦燥感と消耗戦
時折、わかって欲しい。のに。でも、この我儘な自分
**みっともない瞬間を 全部 無かったことにしたい 局面がよくある。 **
近しい人たちと分かり合うことに、無理したくないのに。
それでも、その人のことを 言葉のやり取りで
1歩でも分かり合いたい。
そんなわかって欲しいは一向になくならないのだ。
今回はこんなありがちな焦燥を複雑な言葉にしてみる。
こんなおれは、なんなんだろ、
なりたい自分語りとか矛盾を抱えてる自分苦しいな じゃなくて、、、。
時間軸の話しで
特に過去→現在地→少し先の未来への 調節期間を持つことは 大事なんだと 痛感している。
”無理に断ち切る必要はない。” 生活の時間軸(イメージ横の時間軸) と 孤独と実感との調節は 穏やかな日常とその反動で心地よく展開されていく。(ヤマシタトモコ著 違国日記 2巻参照)
もう少し掘り下げてみる。
僕は 少しの成長を感じる時
日々 積み上げていくものと
揺れて 歪んで 学んでいくもの
そんなふうな分け方をしている。
後者の場合、長い時間軸と 短い時間軸と その狭間の瞬間は、深く潜って 息が苦しくなるまで、歪んで 戻るんだけど、
形骸化された日常やお馴染みのSNSの乱立 発信者たちに 量産されたい乗っかりたい欲 と一部では支配されたくはない抵抗もあったり、
そんな 短い時間軸の連続の中にずっと居ると、慣れてしまうし、
そこでずっと止まっているだと、錯覚させられているのかなとか。
だから、自分が何に飽きて 何に興味のアンテナを立てているかを 分類して抽象化する。
物凄く簡単に言うと、 いつもいるその場から離れたい感覚… と
これなんだろってわからないものを分からないままにしなくて 言葉に何とか置き換える作業みたいな、、、
もちろん零れ落ちるものもあるし、全然違う解釈もしてる場合もある。
だけど、
自分の中でやる分は 傷つくことも無いわけで、、、
べつにその歪んだ解釈自体を だれかに伝えて
それって意味あるの? 意味不明だけど、、、って瞬間で
むりやり傷つきたくもないわけで、、、
言葉を尽くして 過去の自分を乗り越えることに没頭するに近い。
歪んだって 理解されなくても
僕は自分の言葉で 生き延びようとかひっそり思っている。
わかってほしいって気持ちをわかってってのも絶対言いたくないし、
偽善的に同調され 無視され 既読スルーされたって
自然に他者と向き合うと 何したって傷つくこともあるわけで
(ほとんどの場合、時間差で傷つくことに気づくのだけど)
自分を回復させるやり方は自分で試していくしかない。うまくいかない苦しさも処方箋として 必要なのかなとか。
それでも
いつまで経っても 焦燥感は消えてくれないのな。
苦味のある過去との自分と向き合ってく、、、そんな
消耗戦は始まったばかりだ、、、、。