2022年7月15日

バイトで赤ちゃんを抱いたお客さんを接客した。対応中、ずーーーっと赤ちゃんは興味津々な目をして僕を見つめていた。とてもやりづらかった。去り際、微笑ましそうに申し訳なさそうに、お客さんは僕に軽く会釈した。僕も微笑みつつ申し訳ない感じで会釈を返した。こんな感じのことが、割としょっちゅうある。僕ひとりしかいない時ならまだしも、複数人いる時でさえ僕を選んでひたすら見ていたりする。
赤ちゃんとは言えないくらいに成長した子どもにも見られる。何なら、コミュ力の高い坊やは僕によく分からないことを話しかけてくる。僕は赤ちゃんとか子どもがどうも苦手で、どう対処していいか分からないからやめてほしい。
もうひとつ言うと、同じ要領で犬にも好かれる。前を歩いている人には無反応だったのに、僕とすれ違う時はめちゃくちゃ見てきたり向かってきたりされるなんてことがある。犬は好きなのでこれは嬉しい。

ただ、別に僕は人あたりが良いとかいつもニコニコしているという訳ではない。むしろ陽か陰かで言ったら間違いなく陰のオーラを発している。それはもう言うまでもない。あまり社交的とは言えないし、そんなに友達が多いほうじゃないし(というか少ないし)、人を惹きつける側の人間ではない。
だから、とても不思議に思う。なぜ人間の大人からはそうでもないのに、赤ちゃんや犬からは興味を持たれるんだろうか。
もしかしたら、何か直感的に思うところがあるのだろうか。理性が発達した大人には見えない何かが、赤ちゃんや犬の目には写っているのかもしれない。いや、犬はそんなに目が良くないから匂いなのかもしれない。それが何かは僕には分からない。僕の知らない『』を感じとって懐いてきてくれているのだとしたら、何とか自覚したいものだ。


今日も今日とて、客の態度にイラっとする。アルバイトを初めて半年も経つのに、未だにこれには慣れそうにない。でもおかげで客としては良い客でいようとすることが出来ている。反面教師だ。
よく、女性が男性を選ぶポイントとして『店での店員さんへの態度を見ておきなさい。』と言っているツイートを見かける。確かにその通りだ。そこで我を出してオラつく奴なんて人間のクズだ。間違っても選んじゃいけない。「お前が良い人間と出会えると思えるなよ。」などとしょっちゅう客に対して思ってしまっている僕は深く頷く。
でも冷静に考えてみたら、そんなに関係ないような気がする。そもそも僕がどれだけ店員に敬意を払えようと、別に誰かに評価されるわけじゃない。どれだけ指先がピンと伸びていようと、まず目に入る顔だとか背格好だとか、体軸に沿った部分が綺麗じゃなきゃ始まらない。要するに「お前は店員に対してどうとか以前の問題なんだよ。」という話だ。世知辛い。
顔採用の店員とやりとりするのが辛い。僕はいい客かもしれないが、アンタは人としてもっと立派だ。勝手に劣等感を憶える。だから僕はセルフレジを使う。(セルフレジしか無かっただけ。)


久々に東京に行った。野暮用があって、渋谷と池袋に行った。
雨が強く、渋谷の街は埋まってたドブが浮き出たのか鼻を曲げる汚臭が漂っていた。最悪だった。池袋は何というか、そもそも人が汚かった。さすがサブカルの街と言ったところか。
意味もなく東京を下げる発言をしたが、僕は東京の街が嫌いじゃない。色んな人がこの街をあらゆる言葉で表しているが、僕はこの街を素直な街だなと思う。
人には興味無いくせに、周りの人が気に入らないと憎悪の視線を送り合う。言葉を使わずに目と足で自分を主張する。現実世界とインターネット世界を半々で生きている。家の無い人が何かを悟ったように座り込んでいる。みんなが思い思いに情動を抱いて、自分の人生を生きている。全く綺麗にそれが現れている。素直な街だ。こんなにも個でありながら社会が成立しているなんて、とても不思議だと僕は思う。
そこに僕はたまに行き、僕の人生を生きる。スマホ、イヤホン、本。それだけあれば歩いてようが座ってようが、僕は街を作りつつ自分の人生を生きていける。

友人が「東京は寂しい。」と言っていた。確かに寂しいかもしれない。社会動物である人間が、こうも個別に生きながら社会を形成しているなんて直感的におかしいし、それを寂しいと言えるかもしれない。でも、ちゃんと東京には愛がある。素直な人は、何の関係もない赤の他人にはただ素直に愛想を振りまかないだけだ。愛し愛されれば、東京だって寄り添ってくれそうな気がする。そんなことがありえるのかは知らないけど。

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