2022年8月22日
甲子園決勝は、下関国際高校-仙台育英高校が1-8で東北勢が初の甲子園大会優勝という結果に終わった。
前半はほとんどお互いに点が入らず、互いの投手の安定した制球により静かにゲームが進んでいた。ここ数試合球が高めに浮きがちだった下関国際高校のエースがこの場面でしっかりとエースの役割を果たしていて、さすがここまで勝ち上がったチームのエースだと感心した。ただ4回裏仙台育英高校が1点をもぎ取った後、5回表で下関国際高校がノーアウト1,2塁のチャンスを作るもこれを守りきると一気に試合の流れが仙台育英高校に向いた。その裏にさらに2点を追加、そして7回にはここまで安定した投球を見せていたリリーフから満塁ホームランを含む5点のダメ押しで、試合を決した。この試合はなんと言っても5回表で下関国際高校が攻めきれず、仙台育英高校が守り抜いたことが勝敗を決したのだと僕は素人ながら思う。
序盤はジリジリと沈み込むような静かに熱い接戦を繰り広げていただけに、終わってみればこの点差というのは意外な結末だった。チームレベルとしては点差ほどの開きは無いと感じる。ただ「甲子園」「決勝」「満塁ホームラン」というあまりにカッコよすぎるパフォーマンスを見せた仙台育英高校は本当に凄いと思った。
優勝インタビューで、仙台育英高校の監督が「青春は密」という言葉を残した。本当にその通りだと思う。僕はコロナ禍を大学生で経験しているわけだが、高校生でコロナ禍を経験するというのはさらに可哀想な事だと同情する。野球強豪校に入って3年間部活を頑張ろうと思っていたいたいけな高校生には辛い3年間だっただろうと思う。その辛さを計り知ることは到底できない。どこまで行っても青春は人と思い出を作ることであり、それはオンサイトでのライブ感を伴う。もちろん1人で掘り進むことも1つの青春の形ではあるが、燦然と輝く甘酸っぱい歪な形をした愛くるしい「青春」には他人と自分という関係が必要になると僕は思う。「青春」は「関係」であり、「関係」は「唯一性」であり、「唯一性」は「不完全」であり、「不完全」は「愛着」である。そんなことを青春の中心を通り過ぎた今、何となく思う。
練習量が限られた中で、決勝は両チームとも失策が0だった。決勝以外にも多くの高校で守備のファインプレーが沢山あった。それは機会が少ない分より色濃く青春を詰め込んだ球児の努力の決勝なのだと思う。プレーの質が見劣りしなかったというのは凄い。
彼らの青春を見て、どこか羨ましいと思っている自分がいる。高校はなあなあで過ぎ去り、1年遊んでコロナ禍に突入して迎えた大学生活は、思っていた以上に薄いものだった。高校よりも人間関係の深みがなくなることは想定していたが、思っていた以上に薄かった。直接人と会って話すことが激減し、それは精神的に安寧をもたらしたから悪くない事だと思っていたが、高校球児を見て「色々足りない」と感じた。人生低カロリー主義の僕が「もっと複雑に、激しく、上下に振れていたい。」と高カロリーなことを思ってしまうほどに彼らはキラキラと輝いていた。今更同学科の子としつこく仲良くするなんて出来やしないが、あまり話したことのない人と話して仲良くしたいなどと軽薄なことを思った。
球児たちの青春が青空に吸い込まれていった。その流れに僕も心が軽くなった。泥臭さと爽やかさの併存。どこまでも濁った美しさ。そんな歪さが、わがままが、青春なのだと感じる。鮮烈な青春への憧れを忘れられないでいる。それが甲子園に僕を惹き付けるのだろう。
今日急にアルバイト先の店長に打診されて4日後から4連休が発生した。そんなわけで、3泊4日のソロ旅行をキメることにした。わ〜〜〜!!!
行先は大阪。3泊4日もすることがないので京都とか、あるいは神戸まで足を伸ばすかもしれない。何しろ独りだ。どこまでも無計画にまごまごすることが出来る。ちょっと浮き足立っている。この性急さ、整わなさが僕にはちょうど良い。楽しみだ.......。
甲子園が終わったら勉強を頑張ると言った。本当だ。僕は頑張る。これからが夏本番だ。