2022年10月2日
Twitterで興味深い投稿が流れてきて目に止まった。
サビまで待てない「高速化社会」 pic.twitter.com/Ic4VRfAWdY
— 平 均 (@225average) September 30, 2022
この投稿は、日本経済新聞の会員限定記事に掲載された画像を引用して「ヒット曲の歌い出しまでの時間の短さから現代の若者はサビまで我慢することが出来なくなっている」ということを主張したものだ。
日本経済新聞の会員ではないので記事全文を読むことは出来ないが音楽だけでなく動画視聴を倍速再生する人が多い事象にも触れているらしい。
僕はTwitterの投稿を読んで、「それは違う」と感じた。何が違うのかについて論じていく。
音楽____この投稿ではJ-POPのことを指しているからJ-POPに限った話をしていくが、J-POPソングにおいてサビというのは文化的に最も価値が高い部分である。歌の善し悪しはサビが決定づけると言っても過言ではなく、皆サビが好きだからその曲を聞く。J-POPソングは大抵「前奏→Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Cメロ→ラスサビ→終奏」という形式を取っている。1番関心が高いサビまでの前奏〜Bメロはサビへの助走、お膳立てに過ぎない。
日経新聞の記事やそれを引用したTwitterの投稿はそのお膳立てを現代人は待てないという指摘をし、論拠として各時代のヒット曲の「歌い出し時間」のデータを出している。僕はこの論の組み立ては間違っていると思う。
まず、選曲が恣意的だということだ。これはTwitterの投稿のリプライ欄でも指摘があった。昭和・平成に流行った曲にも歌い出し時間がゼロ秒の曲はあるし、逆に令和に流行った曲に前奏が長い曲はある。例として残酷な天使のテーゼと逆光のふたつを挙げておく。この点については、日経新聞の記事の方に「ヒット曲のイントロの平均が6秒になった」という記述が無料部分にあることからその事実を用いれば論拠として通用するという納得がある。ただ、ヒット曲のイントロの平均時間という恣意性の少ないデータがありながら曲をチョイスして歌い出し時間を書き並べるという無意味なことはしなくても良いのではないかと僕は感じてしまったのでここで指摘しておく。
そしてもうひとつが、歌い出し時間はサビまでの長さが短くなったことを示す指標にはならないということだ。「サビを待てない」と言いたいのなら「サビまでの長さ」をデータとして持ってくるのが妥当なはずで、「歌い出しまでの時間」は適切なデータとは言えない。J-POPの各メロディーは今も昔も変わらず大抵8×4または16×2の32拍で構成されていることが多い。Twitterの投稿の画像に挙げられた曲の中でもM八七に関してはAメロの前に前奏の代わりにAメロを置くような歌い出しで、夜に駆けるはサビの後ろの16拍のメロディーを持ってくる歌い出しで、いずれも「サビまでの時間を減らすために前奏を省く」ものではなく、歌で始まり、一呼吸置いてAメロというフォーマットを採用しているだけに過ぎないと僕は解釈している。つまり歌い出しまでの時間が短くなったのはサビまでの時間が短くなったのではなく、単に「そういうスタイルが流行っているだけ」なのではないかという分析をしている。
「サビを待てない」という主張をするのではあれば、「サビまでの長さ」の平均なりボリュームゾーンなりを論拠としなければいけないのではないか、とTwitterの投稿を見て僕は感じた。
ここまでが僕が「違う」と感じた部分であり、ここからはこの投稿を見て触発され、僕が最近のJ-POPに感じていることについて書いていく。
散々上で「サビを待てないなんてことはない」という論調で投稿や記事を否定しておきながら、実際にはその論は当たってはいないもののそこまで外れてはいないと感じている。
最近の曲は全体の曲の長さが短くなったと僕は思う。これはデータとして平均値を出すなどということはしないから完全に体感であり主観であり思い込みであるが、2015年より前は4,5分ほどあるのが当たり前だったように思う。ただ近年の曲は3分台のものが多く、たまに4分5分のものはあるが長めの曲だと感じるようになった。この要因としては、1つはBPM、もう1つは構成の変化だと僕は考える。
ここ最近の曲はBPMが10年前に比べると大きいと思う。ゆず、GReeeeN、コブクロなどのゆっくり情熱的に歌い上げる時代とは違い、今はロックミュージックやボカロミュージックの影響を受けた速く高く流れるような刺激的な曲が好まれる。結果同じ32拍の連続であっても、その1拍の時間が短くなれば曲はキュッと短くなる。
そして最近は微妙にJ-POPミュージックの構成が変化している。大枠は「前奏→Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Cメロ→ラスサビ→終奏」で変わらないが、2番のAメロを16拍にまとめたり、1番のものとは変えたものを置いたりしてさっさとBメロ、サビへと向かうパターンの曲が増えている気がする。他にもCメロ前の間奏を省いたり、Cメロそのものを省いたり、終奏を省いたりするものも多いと感じる。構造全体が根底から覆るということはないにしろ、少し変化を入れて曲を縮めるという動きはよく見られる。
こうした傾向から、「現代人はサビを待てない」と言うより、「現代人は1曲5分の曲を聞く体力、集中力が無い」という仮説を提唱する。これは動画を倍速で視聴するという話にも繋がる。全体の流れ、大枠は捉えつつもそれにかける時間を短くしたいというのがコンテンツが豊富な現代を生きる人の消費スタイルだと僕は思う。サビだけが欲しいのであればサビだけの曲が流行りそうだが現実はそうではないし、映画のオチだけが観られれば良いということはなくちゃんと起承転結を摘んでおきたい。速く短く全体像を捉えたいという欲求が曲の短縮化や動画の倍速再生という現状から垣間見える。
僕はこれを「お子様ランチ」と形容する。お子様ランチは小さいオムライスやハンバーグ、エビフライやプリンなどがワンプレートに載ったメニューだ。現代人の文化消費はお子様ランチを食べるようなものだと思う。エビフライを一口食べたいのではなく、エビフライ1尾を食べたいのだ。そしてエビフライだけでなくハンバーグも食べたいのだ。エビフライ定食やハンバーグ定食は途中で飽きるが、小さいエビフライやハンバーグがワンプレートに載ったお子様ランチなら飽きずに美味しく食べられる。サブスクが主流でCDを聞かない今の時代、現代人は短い曲をいくつも聞くというお子様ランチ型の楽しみ方をしているのだと僕は思った。
ただ、「お子様ランチ」は元来「お子様」に向けられたメニューだ。大人向けのお子様ランチというものが出てきていたり大の大人がお子様ランチ型の文化消費をしていたりするというのは、考えなければいけない問題なのかもしれないと思った。
10月2日日本時間23時5分、フランスパリのロンシャン競馬場でG1凱旋門賞が行われた。
長い歴史の中で日本馬が跳ね返され続けてきたこのレースを、ついに日本馬が優勝するその日がやってきたと思った。
雨季のフランスの馬場は日本ではなかなか経験出来ないほど重く、高速馬場で普段走る日本馬には普段求められない適正を要するために実力を出し切れず苦杯を喫していたとされている。
僕が応援したのは今年の日本馬ドウデュース。「ユタカが凱旋門賞を勝つのを見たい」というのももちろんあるが、それ以上に僕はこの馬自体のファンでもあった。昨年の朝日杯フューチュリティステークスでは本命ではなく相手に入れるほどの注目しかしていなかったものの、4コーナーを回ってきた時に「あ、後ろからヤバいのが来た。」と感じ本命ダノンスコーピオンの優勝を諦めた。日本ダービーでは単勝1点の本命を打ち、皆がやれダノンベルーガだのやれイクイノックスだの言う中ドウデュースだけを見、これまた4コーナーを回ってきた時に「これは勝った。ぶっちぎるな。」と思いテレビの前で吠えた。
あの走りをフランスの最高舞台で_______。
そう期待せざるをえなかった。
結果は散々だった。いつもと同じように後方から競馬を進めたドウデュース。フォルスストレートあたりから進路を確保し上がっていくのだろうと思って観ていたが、上がっていくどころか手応え悪く1頭ポツンで早くも鞭を入れられていた。頭が真っ白になった。嘘だろ?あのドウデュースがここまで走れないなんてことあるのか?どこか怪我をしたりしていないだろうか?心配をよそにレースは進み現地で1番に推されたアルピニスタがG1・6連勝を達成し日本馬は軒並み下位に沈んだ。
ドウデュースはダートでも走れる馬だという評価を目にする。もちろん日本の芝の高速馬場でも力を出せるが、ドウデュースのピッチ走法は日本の芝2400mという日本ダービーのコースには不向きな走り方で、むしろダートやフランスの芝のような力の要る馬場の方に適性がある。僕は実際に馬に関わる人間ではないので真相は不明だが、ドウデュースはパワータイプの馬で血統的には難しいが走りを見る限りフランスでも闘えるだろうと思っていた。しかし壁はあまりにも高かった。
「本当に日本馬が今年勝てると思っていたか」と問われると、正直微妙だった。ただでさえ力が要る馬場のフランスで雨が降ってしまった。そして今年は日本には無い20頭立てのレースで位置取りが難しくなるレースだった。日本馬にとってマイナスな要素しかなかった。勝った実績が無いから日本で最強と言われるタイトルホルダーやダービー馬ドウデュースが世界レベルでどれほどなのかということについてもよく分からず自信が持てなかった。
ただ現実としてやはり日本馬はこの条件では適わなかった。見せ場すらほとんど無いままレースが終わってしまった。
今思うのは、全馬にダメージや怪我が無いと良いということだけだ。また挑戦するも良し、日本で強い走りを見せてくれるも良し、いずれにしろまだここで終わってほしくないと切に願う。