側面
「日本の地方では、若者の都市部への人口流出により生産性が低下している。人口の半数が65歳以上である限界集落が年々増えており、少子高齢化の影響もあり集落の高齢化が非常に大きな問題である。」
中学で社会の先生に教わったことだ。実際、自分も大学生の年齢になって地元を離れ関東圏に住むようになり、先々の就職先を考えるにあたって都市圏にするという考えも大きくなってきている。都市に人やお金が集中するというのは国全体にとっても由々しき問題だと思う。その問題意識を中学生の頃にちゃんと仕込まれたのだから、僕は優等生だったと思う。「地元を捨てて都会に出ていくのは良くないことだ。地元に残って地元を活性化することに貢献することが地域への恩返しになるし、個人レベルでそれをやっていけば都市に集中する問題を解決することに繋がる。」というほど意識が高いわけではないが、問題意識を刷り込まれた以上自分の生きやすさだけを考えて「やっぱ都会っしょ。」と言い切ることが出来ない程度に、僕は生真面目だった。
だけど中学を出て、高校も出て、大学もある程度謳歌してしまった頃には、別の側面がようやく見え始めてきた。それは地方の保守性だ。特に限界集落と呼ばれるような高齢化が著しく進行した自治体では、昔ながらのルールやご近所付き合いというしがらみが強く残っていて、一度人間関係で失敗するとその集落で住むのが困難になるという。僕の地元はそこまで田舎ではないからそういう心配は無いのかもしれないが、都市圏に近づけば近づくほど自治体の縛りというものを気にしなくて済むようになっているのを感じる。人口流出問題では、「地元には何の問題も無いのに、ただ便利だ、ただ憧れだという理由だけで若者は無情にも地元を切り捨てて都市へ流れていってしまう」というようなお涙頂戴構造が裏に透けて見えた。だから利口な僕は自分の生きやすさだけを考えるのは視野が狭い発想だ、と中学生の頃に思い至った。しかしもっと視野を広げれば、地方には時の流れに着いていけていない悪い一面もあって、だからこそ切り捨てるべきだという考え方があってもおかしくないはずだ。もっと言えば、そういう悪い部分がある以上衰退は免れることが出来ず、そんな社会は、そんな国は淘汰されて然るべきものなのかもしれない。きっと人口の集中がさらに進めばむしろ都会の人々は不幸を憶えて生きづらくなり、やがて物質的にも貧しくなるだろう。
インターネットが普及して地方の方が生活がしやすいから都会に来るメリットは減ったなどと言っても、流れ自体はまだしばらく変わりそうもない。そうした中で、地方は都会とは別の方向に、都会よりもずっと速いスピードで変化していき、役割を持ち、メリットを提示する形で能動的に人を引き寄せないと本質的に人口流出問題を解決することは出来ないと思った。お涙頂戴構造を中学の頃に社会で学ばせても何の意味も無いのだと哀しくなる。
「見せ方」はとても大事だと思った。大体何にでも良い側面と悪い側面がある。わかりやすさを追い求める時、簡素化するためにあえてある側面を隠すことがある。それは必ずしも悪いというわけではないし、良い時もあるだろう。けれど、問題意識として考え、行動しなければいけない概念に対してはむしろ複雑なものをきっちり複雑なまま捉えることに我慢して取り組まないと、先に進むことが出来ないのかもしれないと思う。中学の先生は、それを教えてはくれなかった。