2022年10月19日
嫌な夢を見た。
人によっては必ずしも嫌な夢ではない。というより、良い夢かもしれない。それぐらいに内容は明るいものだった。
猫を飼う夢だった。ハチャメチャな過程を踏んでいた夢だったから詳細を理性のある文章で書き起すことは出来ないが、とにかく猫を飼うことになる夢だった。非常に愛くるしい、茶トラの猫を抱きかかえた感覚は目が覚めても腕の中にあるようだった。
僕は猫が好きだ。犬派か猫派かと言われると間違いなく猫派だ。犬が嫌いということではない。犬も大好きだが、軍配が猫に上がるというだけだ。だが、猫を飼うということになると複雑な心境になってしまう。
昔飼っていた猫を思い出す。僕が3歳の頃にやってきた白猫。そこから16歳の頃までの13年ほど、彼女は僕にとって1番心が通った友達だったし、妹のような存在だった。亡くなった日のことは鮮明に覚えてしまっている。忘れられないし、忘れたくもない。その日から、僕は猫とは距離を置いている。僕の猫好きは間違いなく彼女との生活があったからこそのものだ。あれほど自由気ままで自分の意志を第一に動く生き物を他に知らない。どんな人間よりも素直で裏表のないのが猫という生き物だと知った。だから僕は人間なんかよりも猫のことを信用しているし、逆に言えば人間とまともに友好関係を築けなくなってしまった。それほどに猫という生き物は素敵だと思っている。
彼女が生きていた頃はただの猫好きだったが、亡くなってからというもの、簡単には猫と接することが出来なくなってしまった。彼女に対する敬意のようなものがあるからなのだろう。地元で僕に擦り寄ってきたパニッシャーと勝手に呼んでいる他所の子以外の猫とは長らく触れ合っていない。僕ぐらいの猫好きなら、猫カフェで猫と戯れたりするのだろうが、そこの猫たちにはそれぞれの生命が宿っているということを考えると、自分の娯楽だけのために何の関わりもない人間が簡単にベタベタと触るのは畏れ多いことのように感じる。他の生き物にも同じことが言えるのかもしれないが、猫以外にはこれほどまでの思い入れが無いので水族館にも行くし江ノ島でフクロウと戯れたりしてしまう。勝手な事だよな、とは自分でも思う。
そういう訳で、夢で出会った茶トラの子には複雑な気持ちを抱き目が覚めてしまった。飼うということになると、そのことに責任を持ち可能な限り最高の環境を用意し、最期まで面倒を見るのが飼い主としての義務だ。当然大学生の自分にはそんな義務を全うできるわけがないため、その茶トラの子に対して申し訳なさを抱いてしまう。同時に、僕と猫の関わりは高校までの思い出としてしまっておき、それを更新されたくないという思いがある。僕は再婚出来ない人なのかもしれないなと、ちょっとおかしくなった。