会社では息ができなかった。社会に適合できなかった私を救ってくれた「フリーランス」という選択
私は、周りに合わせて動くことが苦手だ。良く言っても、悪く言っても「マイペース」。
だから、学校や会社などの「組織」にいるとき、私は息ができなかった。
生きていくなかでやっと身につけた、心ばかりの協調性のおかげで、なんとか学校や会社でやってこれたものの、ずっと息苦しさを抱えていた。
女子のグループに馴染めない…
小学校も、中学校も、高校も、私はいわゆる「ハブられ」を経験してきた。いじめほどの大層なものではないものの、仲のよかった人にはいつの間にか無視をされ、グループから外されることもしばしばだった。
一緒にトイレに行く文化が理解できなかった。みんなが盛り上がっている芸能人の話が理解できなかった。「空気」が読めなかった。
そうしているうちに、移動教室は置いていかれ、挨拶しても無視をされ、グループから爪弾きにされた。
(その後、私が背伸びをしなくても一緒にいれる友だちと出会えたので、当時の友だちには感謝しかない。)
社会人になってからも「馴染めなさ」が顕著に表れた。30人ほどいた同期。みんないい子だったけど、飲みの席では会社の愚痴、内輪話ばかり。ニコニコして話を合わせていた。
ブログや朝活をしていれば「意識高いね」「私たちとは違うよね」と、一線を引かれていたように感じた。
社会に適合できなかった私が、初めて息ができた場所
自分ではうまく取り繕っていたつもりでも、私は「社会不適合者」の部類なんだと思う。
そんな私が、初めて「息ができる」と感じたのが、社会人になってすぐに入った朝活コミュニティだった。
別に朝は得意ではない。でも、そこに行けば色んな職業の人がいて、多様な働き方の人がいて、さまざまな価値観の人がいた。
朝からブログを書き、ビジネスイベントに参加してから会社に行った。コミュニティでは、会社の愚痴ではなく、価値観や仕事について、ワクワクする話ばかりだった。
そして気づいたら、会社を辞めて「フリーランス」になっていた。
組織という場所は、私には合っていなかった
新卒から入って2年半ほど勤めた会社は好きだった。
一方で、組織というしがらみを不便だとも感じていた。会社の事情で決まる異動、理不尽に決まる方針。(それでも大きな挑戦ができた環境には感謝をしている。)
何より「自分のやりたいことができない」という不自由がいちばん嫌だった。
フリーランスの良いところは、仕事も、一緒に働く人も自分で選べること。
もちろん、フリーランスといえど組織に属することもあるので、大なり小なり、組織を感じることはある。でも自分の心が「つらいなぁ」だと感じたら、離れるという選択もしやすい。
そんな働き方をしていたら、私の周りは、自然と大好きな人ばかりになった。
いつの間にか、人間関係で悩むことはなくなっていった。
息苦しさを感じているあなたへ
フリーランスと会社員、それぞれに優劣をつけるわけではない。私は今でも、会社で働く人を尊敬するし、組織の中で大きな仕事に挑戦できる環境も魅力的だと思う。
ただ、組織で働く中で「息苦しさ」を感じるなら、フリーランスという選択肢にも目を向けてほしい。
もちろん、フリーランスだっていいところばかりではない。有休も育休もないし、働かないと生きていけない。駆け出しの時期は仕事がなくて、目減りしていく口座残高に不安を募らせる日々もあった。
でもそれ以上に、息ができて、自分らしく生きられるフリーランスという選をしてよかったと思う。
もしもあなたが息苦しさを感じているのなら、その場所から一歩ふみだしてみてほしい。そんなnoteでした。