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編集者は黒子。でも、それでもいいと思える仕事。
ちょっと自慢させてほしい。
先日、友人であり作家のゆぴが書いてくれた記事に、めちゃくちゃ反響があった。
私が編集長を務めるWebメディア「CORE Lab.」で、めちゃくちゃたくさんの人に読んでもらえた記事だ。
この「#SNSに書けない話」という連載、そしてアラサーが友だちと疎遠になる問題の企画をしたのは、実は私なのだ。勝手に誇らしい気持ちでいる。
もちろん、内容や文体、書く技術や広め方が素晴らしすぎるので、99%はライターの力だと思っている。だから、自分のおかげなんておこがましいことは一切思っていない。
でも、1%でも自分がこの記事に寄与できたことが、何よりの自信になった。
名前が表に出ない「編集者」という仕事
つくづく、編集者は黒子なんだと思う。縁の下の力持ちというか。
ライターさんや取材先を調べて、企画を立てて、オファーをして……そして世の中に出る時に、自分の名前が載らないこともある。編集としてクレジットを載せることもあるが"顔"にはなれない。
思えば「すごい編集者」はたくさんいるけど、「代表作ってなんだろう」と思うときがある。著者として顔写真も名前も載らないし、あとがきも書けない。本の奥付に、ささやかに名前が載るだけ。
だけれど。たとえ名前がでていなくても、知られていなくても、すごい編集者って思っているよりもたくさんいるんだと実感する。
壁やメモ帳としての「編集者」
この2月から、みずのけいすけさんのもとで「パーソナル編集者」にジョインした。noteを中心に"書く"ことのお手伝いをする、個人向けの編集者だ。
パーソナル編集者をしていて思うのが、当たり前に、編集者は"主人公ではない"ということ。主人公はクリエイターさん。
パーソナル編集者では、「聞く」が基本スタンスだ。クリエイターさんが話す中で、熱量高いことを拾い上げ伝える。本人が気づいていないいいところを伝えて、気づきのきっかけにしてもらう。
時にはネタ出しの壁打ち相手になったり、悩みを聞く壁になったり、気持ちを吐き出すメモになったり。
かくいう私も、パーソナル編集者でのスタンスは「えるもを壁やメモのようにうまく使ってください」と伝える。あくまで主体はあなた。
その結果、ステキなnoteが生み出されるのは、すべてクリエイターさんの力。編集者はリードする存在ではなく、黒子で、壁で、メモ帳でしかないのだ。
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最初の記事の話にもどるが、今回の記事に私の名前は一切載せていない。
それでも、いろんな人の引用コメントや、Xについたリプライをみると誇らしくなる。編集者をしていてよかった、と思える瞬間である。
編集者は、世に名前が売れるとか、目立てるとか、フォロワーが増えるとか、そんな仕事ではない。
だけど、それでもよかった、と胸を張って言える仕事だ。