【入院日記】 「病棟動物園」
大部屋へ戻ってきてはや1ヶ月。一度病院の大部屋の状況について改めて書こうと思う。
二つの病棟
入院当初、一週間だけ糖尿病内科の病棟(W5と書く)の大部屋に入っていた。W5については大して詳しくは知らないが、脳神経外科・内科、眼科、糖尿病内科の患者が多く、もっと言ってしまえば変な奴はだいたいW5にいた。ここにいた時にイヤホンを使わずにテレビを見るオッサンが同室に居てうるさいなと思ったが、割と話もできて嫌だとは思わなかった。最初に一言でも挨拶なりのコミュニケーションがあれば全然違うものだ。
ところでこの人は本当は退院が決まっていたが前日に容体が悪化して退院は延期になり、僕が1回目の手術に行く時も見送ってくれたりした。W5にいた時、僕の隣にいた人が痛みが激しいようで一晩中呻いていた事があった。当然眠れやしない。真夜中に看護師が来て痛み止めの処置などもしてはいたがそれもあまり効果がなかった。翌朝その看護師が僕の所に来て昨夜は眠れましたかと訊いてくるので眠れなかったと正直に答えた。病気由来の音に関しては致し方ないですよと付け加えたのだが、それからすぐに婦長(看護師長の事だがうちの病院では何故かまだ婦長という呼び名を使っている)が飛んできて平謝りだった。呻き、咳や咳払い、荒い呼吸や呼吸時の雑音などはお互い様ですよと婦長にも言ったのだかどうやら夜通し患者を呻かせた責任は最終的には看護師にあると言う判断なようだ。こんな経緯があって苦情はとても言いにくい、何か言えばすぐ婦長が飛んできて丁寧すぎる応対をされる。
その後糖尿病のプログラムが終了すると病棟は整形外科病棟へと転科して移動、この病棟をE5と呼ぶことにする。W5に比べるとE5は前回の入院時におよそ10週間お世話になり、数人の交代はあったものの看護師はほとんど馴染みの顔だったので安心できる場所に帰ってきた気分だった。
E5に移動するとすぐに手術期間に入る。その間は重症患者になる事も見越して個室に入れられた。実は去年の入院の時も一時的に個室に入っていたが個室には個室だけの恐ろしさがある。それはこの後で。
屁こき太郎
二度の手術を経て一般の大部屋に戻って来たのは二度目の手術の一週間後のこと。この時にまずビックリする事があった。それは前回の入院時に同じ部屋にいた患者がまだいた事だ。この患者は声と態度がでかくて言葉も乱暴だったので最後は婦長に苦情を言って自分の退院を早めさせてもらった経緯からある。当時必ず一日一回はでかい音を立てて転倒し、そのたびに看護師を呼び来るまでの間世話をしていた事もあって気が気ではなかった。この患者このすぐ後で転院していった。もう二度とは会うこともなかろう(つか絶対に会いたくないし。)
その人と他に2人患者がいたが僕の隣にいた一人は翌日手術のために転室、そこに入ってきたのは呼吸器関係の手術を終えて運ばれてきた患者だった。直接見たわけではないが入院も長いと動いている機械の音と巡診で来るドクターで何科の患者なのかわかる。E5は整形外科の他にも総合呼吸器科と皮膚科の病棟だった。
呼吸器科関係の病気で咳が多く、咳の後機械が反応して動く音を聞いてこりゃ自分も大変だがこの人も大変。果たしてどっちが大変なんだろうと気にはかかっていた。ところがこの人、とにかく屁の回数が多い。しかも音を立てないようにだのといった心遣いがまるで感じられず、最初から最後まで豪快かつ大音量ときたから困った。呼吸器の疾患と屁との関係などわからないが、この遠慮のなさが気にかかった。以降この人のことをこっそりと「屁こき太郎」と呼ぶことにした。
屁こき太郎の病状は横で聞いていても良いものではなく、かなり大がかりな処置なども施されていたようだ。咳も屁と同じくらいに頻繁になっていた。それでも屁だけは安定していてこれだどうにも我慢ならなかった。また多少元気になると明け方に荷物をゴソゴソさせたり、何か取り出して食べていたりと病室を病室とも思わぬ音の立て方をするようになってきた。食事の時でも屁は忘れず、食べるときもクチャクチャと音を立てる有様だ。とにかくあらゆる嫌な音を平気で発し、締めはゲップで終わる。また屁こき太郎は囁き声ができないのか、昼でも真夜中でも大音量で話をする。声のトーンも下げられない、声のボリュームも絞れないのかと呆れる。さらに看護師と話をしているのを時々聞くと「〜できない」のネガティブな自慢話がとにかく大好き。機械の操作がわからない。字が小さくて読めない。食事を全部は食べられない等に始まり、ラーメンをスープまで飲んだことがないだの、「〜できない」、「〜したことがない」、「考えたことがない」と言った類いのしょうもない自慢話ばかり聞かされとにかくイライラする。声は大きいので聞きたくなくても聞こえてしまう。
この屁こき太郎以外の人達は入れ替わり立ち替わりも激しい。手術前日でやって来た人、手術が終わって退院まで数日間だけの人、いろんな人が出入りしていったが屁こき太郎だけは居座っていた。一番居なくなってほしい騒音のデパートがいつまでも居座っている。しかも屁こき太郎は顔を合わせても挨拶するでもなく、睨みつけるのでこちらとしてもコミュニケーションが取りにくい。
ハゲ
この屁こき太郎と隣同士の生活が半月以上も経ち、最近になって新手の騒音メーカーがやって来た。それが向かいのベッドにいる通称ハゲ。よく髪の毛の薄い人を卑称するのに使う言葉だがそもそもこの人はスキンヘッドで毛がない。まあ自分も通常の生活では似たような頭をするが今は髪の毛も伸び放題。とにかくこのハゲ、屁こき太郎が生理的な不快音を色々出すのに対し、物理的なノイズを数多く立てる。レジ袋ガサガサだの引き出しをゴトゴトだの、気をつければいくらでも出さなくて済むような不快な生活音をいちいち出さないと気が済まないのか、とにかくうるさい。また屁こき太郎と違って独り言がうるさすぎる。それも朝昼真夜中とお構いなしだ。この手のブツクサうるさい奴はW5によくいそうなタイプのノイズメーカーでもある。また咳がとにかくうるさい、ただし咳は致し方なきものとこちらでも我慢できる(屁とは違って)音ではあるが放っておけば何十分でも咳が続きさすがにどうにかしろと言いたくもなる。(その分気の毒で心配にもなる)
さらに屁こき太郎と同様食事の音がクチャクチャと下品なだけでなく、食べ始め5分くらいからガチャガチャ、ズルズルといろんな音を出し最後は咽せて終わる。要するにがっついて最後は咽せるのだ。食べ方の習慣とはいえ学習しないんだな、これまでもずっとこうして食事をしてきたんだと思うと哀れだ。
アニマルアワー
そんなわけで毎食事は非常に不快な音で病室は満たされる、屁こき太郎とハゲのクチャクチャ二重奏に始まり、ハゲの独り言ソロ、第二楽章かよと言いたくなるハゲのソロすすり込みと咽び、第三楽章に屁こき太郎の屁ソロが混ざってそのまま二人のゲップで締められる。この地獄そのものの食事時間を最近ではアニマルアワーと呼んでいる。音で様子だけ聞いているとまさに動物が餌を食べている風にしか聞こえてこない。朝はクラハで知り合いがやっている日経ピンポントークからおちょやんへとシフトし、昼はR1のニュースから昼のいこい、そして夕方もR1ニュースと食事時に聞くものは楽しみで固定もされていたのにそれもすべてアニマルアワーに毒されてすっかりディープ・パープル、レッド・ツェッペリンやクイーンなどの美しいロックを大音量で聴く時間となってしまった。ハンパなジャズだのポップスなどではアニマルアワーは誤魔化せないのだ。
現在自分の居る大部屋はかつてのような人の入れ替わりも滞り、僕が部屋でも最長、そして屁こき太郎とハゲの「アニマル兄弟」ともう一人中学生のガキが一匹いるのだが、そんな大部屋の中で一番かわいそうなのは恐らくこのガキだと思う。僕などは我慢ができなくなればすぐにデイルームに逃げてしまう(そのかわりその分座っている時間も多くなり脊椎にはちょっと障るのだろう)、けれどもそれも容易くはできない身体のようだ。
アニマル兄弟なんて序の口
ざっと大部屋の同室の患者について書いてみたが、自分はまだこんな程度でぼやいているだけ幸せなのかも知れない。と言うのもデイルームへ行くとE5の患者だけでなく先にも書いたW5の患者もいて、こんなの同じ部屋にいたら嫌だなと思ってしまうような連中を見てきている。ひいき目に見てもW5はそれこそ魑魅魍魎界で変人ばかりが廊下でウロウロしているイメージしかない。
またE5には認知症の患者も結構多く、だいたいは個室に入れられて対応されるのだが、中には言葉ではコミュニケーションが取れない患者もいる。そして往々にして攻撃的になっている。こういうタイプのものは凶暴というのではなく「譫妄(せんもう)」という別の言葉が用いられる。ナースコールなんて機械は使わず絶叫で看護師を呼ぶ、たまに手術から戻ってくる患者がいると看護師側も夜通し罵られ殴られながら看病をしなければならず、その辛い現状を吐露してくれた看護師も数人居たくらいだ(これが譫妄患者に対する応対なのだそうだ)。実際自分も個室に入っていたとき、個室が並ぶ廊下に雄叫びが響く。意味不明な言葉から助けて、連れて帰って、殺される、殺してやる、死ねなどという言葉が一晩中響き渡るのだ。個室に入ってもタイミングが悪いとこんな地獄の体験が待っていて、これが一週間以上続くこともある。だから個室もいいことばかりではないのはよく知っている。
そんな体験をしながらもやっぱりアニマル兄弟のアニマルアワーもやっぱり苦痛に感じるし、入院中心穏やかに居られるにはまずは自分の心の持ちようとたとえ嫌でも必要最低限のコミュニケーションは必要なんだなと感じる。たとえば先のアニマル兄弟でも屁こき太郎からは敵視されるような目でいつも見られるのに対し、ハゲはコンビニなどで出くわすとそれなりに挨拶はする。このそれなりの挨拶があるおかげであんなにうるさい患者でもまだ我慢しようという気持ちになる。片や屁こき太郎などは何かつまみ食いしてクチャクチャ音を立てているだけでも看護師に通報してやろうかと思うものだ。
己の肉体的苦痛もあるというのに、こんなつまらない外的要因でさらに苦痛を背負うのも馬鹿馬鹿しい。真顔で文句や苦情を訴えれば婦長が飛んでくるかもしれないが、それで解決にはならないと思う。ならばせめて勝手に渾名くらいつけて話のネタにでもしなければやっていられない■