読みたいけど読みたくない
病識(自分は病気だって意識)、少しはあるけど、でも、
「私は病気だ」と言ってしまうと、
言い切ってしまうと、
自称する=病気を認めてしまうと、
自分を保てなくなりそうで。
「私は気分循環症って言われてる」と言う。
主治医ちゃんは「病名は救いだ(大意)」と言っていた。
私は 「精神疾患」 らしいよ。
主治医ちゃん曰く 「病気」 らしいよ。
昔々は「病気だったらいいのに」 とか、 よく思っていた。
そんな気がする。
そんな橘エリーでも、 いざ 「病気だ」 と言われると、それはなんか違うらしいよ。
なんとまあ身勝手なことか。
主治医ちゃんに「発達障害の傾向」と診断が下りるまで、
私は、昔から、周りと違う、と思ってきた。
私の、この、周りと違う感覚は、間違ってなかったんだ。欠陥品の欠陥に理由があったんだ。
「理由があった」からといって、「生きやすくなった」わけではないけど、
それでも少しは「発達障害(傾向)だから仕方ない」と思うことが増えた。
病名は救いだよ。
私の身体障害(肢体不自由) は
もう、動かないから。
受け入れるしかないわけよ。
諦めるしかないわけよ。
それに、
10年以上前の出来事だから。
風化や忘却は救いだよ。
だってもう、二度と○○できないから。
○○してた自分を思い出せない。救いだ。
車椅子に乗るメリット
・移動が楽
・見た目でわかる
期待されない。手助けがもらえる。
だって〜できないでしょ?」 でことが進む。
昔は「かなしい」 とか 「くやしい」 とか、思ってたと思うけどね。
そんなエネルギーは、 とっくの昔になくなった。
私の精神疾患は、さ
目には見えないけど、生きづらさは存在する。
外界からの刺激の受け取り方、思考のパターンなど…
生きやすい「これから」を目指すんなら修正していかないといけないだろうね。
目指したくないけどなあ
「疾患」と「障害」の差異
これを疾患と捉えるべきか障害と捉えるべきか。
主治医ちゃんは
「疾患はひとつの概念」
「障害は行動に関して支障がある症状や病気」と話した。
私は
「疾患=治癒する可能性がある」
「障害=治らない」だと思っている。
短絡的に。
もちろん主治医ちゃんの考え方のほうがより正しいと思うけど。
だから私は
私には「身体障害」と「精神疾患」がある。
と自分を説明している。
身体(肢体不自由)はもう変わらないけど、
精神が、少しでも楽になったら、喜ばしいのだろうね。
私は喜ばしいと思わないけど、
私の周りの人からししたら「喜ばしい」んだろうね。たぶんね。