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息子の成長
先日、私が勤めるペットホテルに「職場体験」の中学生が来ました。
1年前はまだ小学生だった彼ら。
初々しいその姿を見て、息子の職場体験の出来事を思い出しました。
息子がお世話になったのは、種や苗を販売する会社です。
いろいろな品種の野菜の種を全国各地へ発送したり、種の発芽率を調べたりする初めてのお仕事に、息子は楽しんで取り組んでいたようです。
実はその当時、息子はあまり体調が良くありませんでした。
骨髄移植によるさまざまな後遺症が出ていたのです。
筋肉の損傷
関節の痛み
皮膚症状の悪化
筋肉がダメージを受け、一度転ぶとなかなか起き上がることができません。
関節も損傷を受けているので、腕や足、指の曲げ伸ばしにも支障がありました。皮膚も薄くなり直接触れると痛みもあったため、常に綿の手袋をしている状態です。
口には出さなかったものの
「職場体験は無理かな・・・」
そう思っていました。
しかし、息子から「無理」という言葉は一切出ず、3日間の職場体験を無事に終えることができたのです。
後日聞いた話ですが、職場体験の前日に会社の担当者さんと打ち合わせがあったそうで、息子はそこで自分の体調をお伝えしていました。
自分の病気のこと
骨髄移植の後遺症が出ていること
後遺症の影響で、できることとできないことがあること
それを聞いて、我が息子ながら「立派に育ってくれたな」と思いました。
子どもがまだ幼い頃に病気になると、本人はその痛みや症状をうまく医師に伝えらません。親が代わりに伝えるケースがほとんどです。
小児がんのように「退院して終わり」ではない病気は、治療が終わって退院してからも、後遺症による全身検査のため定期的な通院が欠かせません。
そこでも、医師といろいろ話すのは親がメインです。
「まだ体力が戻らなくて、学校から帰ってきたらずっと横になってます」
「食欲がなかなか出ず、ごはんの量が増えません」
「体育の時間に日差しを浴びて湿疹が出てしまいました」
医師から子どもの様子を聞かれるので、親も注意して観察するのは当然です。
小学生になり、さらに中学高校へ進むと、小児科から成人の科へと移行する時期を迎えます。
このとき問題になっているのが、病気を経験した子どもたちが自分の症状を自分で伝えられないこと。
親に伝えてもらうことに慣れてしまい、自分から不調を伝えられなかったり、自分の不調を認識すらできていなかったりするケースが多いのだそうです。
免疫が低いので学校内の感染症情報を共有してもらう
紫外線を浴びられないため教室の席や体育の授業で配慮してもらう
入院や治療の影響で体力が低下しているため保健室対応をしてもらう
(退院後の子どもが学校で1日過ごすのは、大人が満員電車で1日中過ごすのと同じくらいの疲労度だと、以前医師から言われました。)
大きな病気をした経験、さらには、医師から学校での過ごし方についてこうした注意があるので、子どもの学校生活において親も慎重にならざるをえません。
息子が病気になったのは小学生、まだ2年生のときでした。
3年生で復学したのですが、当初は必要な情報を担任や学年主任と共有し、まずは2時間程度の学校生活からスタートしました。
筋力がなくランドセルも背負えないため、車での送り迎えです。
それをクリアしたら4時間過ごす、それもクリアしたら給食を食べて午後まで過ごす、そうやって最終段階の「ランドセルを背負って登校班で通学」まで進みました。
そこまでクリアした後、私には心がけていたことがあります。
それは、息子が大きくなったときに「困ったら自分で助けを求められるようになること」です。
慎重になるあまりすべてをシャットアウトして囲い込み過ぎてしまうと、子どもは困った状況になりません。
いざ困った状況になったらどうするか
じゃあ、困らないようにするにはどうしたらいいか
それを自分で身につけていってほしいと思いました。
大変な病気になって後遺症に苦しんでいたとしても、それをなかなか理解してもらうのは難しいものです。
私が守れない環境にいる中で、なんとか自分の力で解決して乗り越えていってほしい、そういう願いがありました。
私自身、守るべきものと本人に任せるもののバランスやさじ加減がとても難しいと感じながら過ごした6年間。
中学生になった息子の職場体験での出来事を通して、息子の大きな成長を感じ、とても嬉しかった記憶がよみがえりました。
残念ながら、大人になった息子を見守る願いは叶いませんでしたが、元気に成長していたらきっと頼もしい息子になっていたはずです。
そんな息子を、私は今でも誇りに思います。