国際女性デーに思うこと
3月8日は国際女性デーということで。
インスタを開くと、ミモザの花がいっぱい。
数日前に、ご近所さんの庭先のミモザの花が剪定されていて、「take free」と書かれて置かれていた。
とても素敵なお花をお裾分けしてくださる優しさに心の中で感謝しつつ、その後にすぐに家に帰るわけじゃなかったので、そのお花を貰い損ねて帰ってきた。
日本語は、とても難しい。
日本で生まれて日本で育った私だが、理解し切れていない言葉や概念がたくさんあり、結構、スンとした顔でやり過ごしていることも多い。
お裾分け、という概念を自分なりに解釈すると、自分だけではなく相手を思い遣りつつ、自分の持ち分の何かをどのくらいか差し上げること…と説明するかも知れない。
分けっこ でも、 分けてやる でもなく、お裾分けとは、その言葉に風情と美しさを感じる。
と、同時に…
日本語の難しさ、曖昧さ、含みって、難しいわ…とも思っている。
私たちの社会には、曖昧がたくさんあることを、発達障害者と共に生活していると気付くことが多いと思う。
まず、聞かれても自分が説明出来ないことが多かったりする。
そんなことを考えたことがなかったよ!と私は言ってしまうのだが、確かに、とても気になるくらいに疑問に思うほど、曖昧って溢れている。
何故、こんなことをこの題名で書き始めたのかというと、Twitterで渋谷区に新設されたトイレの話題からの多様性問題がとても気になったからだ。
多様性とは、何なのだろうか。
そして、どうしたいのだろうか。
多様性、ダイバーシティ…
そのワードを持ち出して議論しているうちは、そこには、統合よりも分離を強く意識していると感じるのは、私だけだろうか。
記事によると、どうもこのトイレには女子専用のトイレは無いらしい。
しかし、男子専用の小便器はあるらしい。
便器の形の違いでトイレの配置を決めたのか?
なら、そう書けばいいのに。
多目的トイレの社会的な問題もあることは、きっと誰もが想像が付くだろう。
犯罪の可能性が一番によぎってしまう。
だが、多目的トイレの存在によって助けられる人も多いだろう。
性自認の問題だけではなく、身体的な多様性もある。
なのに、何故、一番に犯罪が起こることが想像されてしまうのか。
まぁ、このトイレの場合、ダイバーシティ問題だけではなく、構造的にも危険すぎる。
緊急車両が停めやすいからなのか、トイレ前に駐車スペースまで設けているらしい。
女性専用トイレがないということは、どこか、女性であることが虐げられる対象となる様な印象がある。
女性がトイレを利用するなら、多目的トイレを使ってね。
ただ、男性は小便器も用意してますよ…。
ん?
もはや、いろんなことが崩壊した概念のもとに計画された様な印象を感じてしまうのは、私だけだろうか。
多様性って、そういうことなのか?
元々、外出した時にトイレを利用することにはかなりの抵抗感がある。
多目的トイレも、よっぽどの用事が無ければ入らない。
近寄らなくてもどうにか出来る。
私には、そういう選択が出来る理由が今はあると思う。
だが、多目的トイレが必要な人もいる。
自分の身体的な理由によって、そこしか使えない人がいる。
モラルの低下と何かによって、それまた、虐げられる人が生まれてしまう。
もはや、何のための公共のトイレなのか。
そして、危機管理はどうするのだろうか。
私がその辺りの住人だったら近寄りもしたくないほどの…嫌悪感。
誰かの考えた多様性のその概念を、徹底的に聞いてみたくなる。
それぞれみんな、いろんな思いを持って、多様性という概念を捉えていると思う。
それで良い。
だからこそ、こんな出来事を、ダイバーシティを目指しているからこその事業、だなんて、思えはしない。
というか、そんな曖昧で説明も付かないことを通すなんて、あり得ない。