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初めて救急車とドクターヘリに乗った話 -山で家族が倒れた!-

ご無沙汰しております。
実はほかの記事の加筆修正はたまにやっていたのですが、新作記事は数か月ぶりです。さっそく表題についてどんな出来事だったか話しましょう。
※超絶怒涛の「ました」文です。後ほど修正します。

2024年9月のできごとでした。
私は父と二人で避暑地=上高地に訪れていました。
その時は何ともなかったのですが、白馬付近のホテルに宿泊した朝、父が玄関ドア付近で車いすに座りながら過呼吸になり倒れました。
私は救急車を呼んだことも乗ったこともなかったので、ただただ放っておいたら死んでしまうのではないかと顔を真っ青にして、父が玄関に車いすを運んだ後に、車いすに座れず倒れてしまったため、あかなくなったドアをどんどんと叩いていました。
そうすると、チェックアウトの時間をすぎても退室していない人がいることに気づいたホテルの女性が気づいて、救急車を呼んでくれました。(この時点でドアはまだきません)

しばらくすると救急隊員の方が3名ほど担架を持って私たちの部屋の前に来ました。ドアは隊員の腕一本がぎりぎり入り込む隙間しかありませんでしたが、私と退院で無理やり車いすをドアがもう少し広くあくように押しました。こういうときはやはり男手が必要ですね、プロが来てくれたととても頼もしかったです。おかげさまで私も何時間も閉じ込められていた部屋の外にでることができました。
隊員三人で父を担架に乗せると、すぐに「大きな病院でなければ助からない状態です。ドクターヘリです」と言われました。
私の顔はますます真っ青。
母に「お父さん今日死ぬかも。覚悟して」ってラインしました。

ホテルを2人分の旅行荷物を持って急いで出ると、救急車の後ろの扉が私のほうを向いて誘うように開いていました。
状況はパニックだったけど、ドラマで見たまんまなんだ・・・って第一印象思いました。急いで救急車に乗ること実際には20分くらいでしょうか。
1時間とは言わずも、すごく長い時間に感じました。
崖の上で救急車は停車。
そこから5分ほどドクターヘリを待ちました。
私はてっきり自分もドクターヘリに乗れるものだと思っていたし、救急車やヘリを呼んで一体いくら請求されるんだろう数百万はくだらないよな?と怯えていました。
ヘリから降りてきたお医者さんに「あなたが乗れるスペースはないから、自分で信州大学医学部付属病院まで来てください」と言われました。
まさかそうくるとは・・・よく知らない崖でグーグルマップを開いて現在地をとりあえず確認しました。あれえ・・・白馬じゃないぞぉ??・ここはどお・・・となりました。
お医者さんに「この辺りに来るのは初めてでどうやっていけばいいのでしょう…?」と聞いたら、反対側の崖を指さして、「あのあたりに駅があります。山を下って、橋を渡ってください。あそこから電車に乗って2時間くらいで病院につきますよ。」と。

・・・・?頭がパンク。

気温は35度ほど、2里分の旅行鞄を持って、山を下り、大きな橋を歩いて渡る・・・?
都会っ子。聞きなれない言葉が多すぎて固まってしまいました。
しかし、それを見かねたのか別のお医者さんが「ヘリまだ乗れますよ」と気を利かせて、乗せていただくことができました。
ヘリの勝手なんて知らなかったのでとりあえずiPhoneを機内モードにしました笑
両肩のベルトをして、大きな音に備えるイヤーマフをしました。
父は別の担架に移し替えられてタオルを顔にかけられ、同じくイヤーマフをしていました。

出発進行。へりはゆらゆらと揺れながら上空へ。
「結構揺れますので気持ち悪くなったら、ここに吐いてください」と容器の場所を教えられました。私は飛行機や船にはタイで乗りなれていたので問題なかったのですが、確かにけっこう気持ち悪くなるタイプの揺れ方だなとは思いました。
日本アルプスの美しい山々を顔を真っ青にしたまま上空から堪能しました。
コードブルーって本当にあるんだなあ、まるでドラマの世界に来たみたいだ…そんなことを長いフライトで考えていました。
30分くらいは乗ったと思います。

ヘリコプターは予定通り信州大学医学部付属病院に着陸しました。
到着して早々、私は救急外来の待合室に案内され、父は緊急救命室に運ばれました。
私は入院の準備書類を記入。父の保護者になる日が来るなんて・・・と思いながら空欄を埋めていきました。親戚や父の職場にも連絡をしました。
数時間たってようやくICUにいる父と対面しました。
意識が戻っており、バイタルは正常ではなかったけど元気そうにしゃべっていました。ひとまずよかったです。
お茶屋や衣類の買い出しを看護師さんに頼まれたので、とりあえず松本城のほうに歩きました。35度灼熱、大体30分で着きました。
素泊まりする予定のホテルで自転車を借りてイオンモールへ。
イオンモールを出て病院に向かう頃には大雨でした。
それでも父が待っている、父は外が雨だなんて知らない。面会時間の締め切りまであと40分。びしょびしょになりながら知らない道を全力疾走笑
なんとか面会時間に間に合い荷物を届け、帰りもどしゃぶりの松本を全力疾走しました。次の日も、子供のころから夢だった松本城の中を見学したのち、心配で駆けつけてくださった叔母とお見舞いに行き、その後あずさで東京に帰りました。

最終的に、父は1週間以上入院し、これ以上病気がよくなることもないということで、母と車で迎えに行き東京に帰りました。重い病気に荷はかかりましたが命に別条がなくてよかったです。

昨日まで元気だった家族が朝目覚めたら突然命の危機に。誰だってびっくりしますよね。
子供のころに見た親の顔って、自分が年をとっても同じに見えてしまうもの。重い荷物を子供の時は持ってもらっていたのに、いつのまにか自分が重い荷物を持ってほしいと頼まれてふと、親も年を取っているんだ…なんて気づかされることばっかりです。
こんなに大変なことがあった後でも、父の顔は私がまだ10歳にもなっていないときと同じ顔に見えていて、「なんだかこのままでいいのかな私。」なんて思うこともよくあります。

今回、旅先で家族が倒れ救急車に乗り、ヘリに乗り、知らない土地の知らない病院で、はじめの入院手続きを経験しました。
こういうことはいつ誰の身にでも起こる可能性があるでしょう。
だからどうしろということはありません。
ただ、人は老いればいつか倒れたり、死んだりする。
あたりまえのことだけど、それを家族や友人、自分にあてはめることってあまりないので、もしものときのために自分はどう動くか事前に想定しておくことがよいでしょう。

説教がましいオチで申し訳ございませんが、今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。



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