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発達障害と呼ばれる人が自己肯定感を低く抑えられている件

ここまで発達障害という言葉をキーワードに4篇の文章を書いてきた。書いているうちに、いかに私も含める発達障害の範疇に入れられる人たちが狭い社会の価値観の中で自己肯定感を落とされてきたのか改めてふりかえっている。

話が長くなりそうだから結論から先に言っておこう。

発達障害と言われてきた人たちが自己肯定感が低くなりがちなのは、戦争中に素地が作られ、戦後にも強化され続けてきた、一億総なんとやら、という総動員的な日本の在り方が大きく関わってきたのではないか、というのが私の仮説だ。

私はこの前日本の1960年代から90年代をサブカルチャーを通して振り返る、というドキュメンタリーを見た。
世界サブカルチャー史欲望の系譜 日本逆説の’60−’90s 

1960年から1990年代というと1955年生まれの私はもの心ついてからの人生のかなりの時代がかぶっていることになる。
まさにその時代に育ち、その時代に青春も、また成人としても過ごしてきたわけだ。

それを見ていて思い出したのは、この時代は標準的であることが今よりずっと大きな意味を持っていて、マイノリティー差別は当たり前のような時代だったことだ。
だから相対的にいえば今の方がずっと多様な生き方が可能になったんだな、と改めて思った。


経済の高度成長の波に乗り、貧しい敗戦国はあっという間に物質的豊かさを得て、やがては一億層中流などという言葉が出るところまできた。

ただ、この一億総なんとやら、という言い方はそもそも一億総動員、一億玉砕のバリエーションであることは忘れてはいけないと私は思っている。

つまり日本の国民すべてが一方向を向く、という素地は戦争中に作られたものだ。

もともと江戸時代には日本国という意識は支配階級のもので、85%を占めた農民にとっては「くに」と言えば故郷を指していた。
日本国という意識は鎖国を開いて明治維新から日清、日露、太平洋戦争と戦争を中心にして作られていったものだと言っていいと思う。必ずしも自然発生的にできたものではないと私は思う。

1938年の4月1日国家総動員法が施行され、太平洋戦争も終盤に差し掛かると一億玉砕がスローガンになった。
今考えれば一億玉砕したら国がなくなるんだから、ナンセンスこの上ないのに、それを大真面目に唱えていたのだ!

1945年8月15日終戦を迎え一夜にしてそれまでの軍事国家から民主国家に転換しても、車は急には止まれない!人間もそう簡単には変われない。

先日の3月13日、マスク着用は任意、ということになったけれど、ほとんどの人が外してはいない。
花粉症もあるだろうけれど、大方はそれまでのマスク生活に慣れすぎてしまって、外すのが怖いのが現実ではないかと思う。

それと同じように、一億玉砕のメンタルも敗戦したからと言って終わるものではなかっただろう。それどころか、大量生産大量消費のシステムによく適合したことも手伝って、高度成長の波に乗り持続し続けたのだと思う。

日本の’60年代から’90年代の映像を見ていると、髪の毛は皆真っ黒で恐ろしいほど同じような姿をしている。

人々が自分の好きな格好をし出したのはほんのこの10年かそこいらではないだろうか?
85年の歳月とグローバリゼーションやIT化によって、ようやくその一億総なんとやらが薄まり始めているのじゃないかと思う。

それとともにようやく個人の自由やマイノリティーの権利などが表に出るようになったのはごく最近のことだ。

ただ、素地として日本にはまだまだ一億総・・・のベースが色濃く残っているように思う。
同調圧力とよく言われるけれど、それはそういう歴史のもとに作られていることをもっと意識すべきじゃないかと私は思うのだ。
決して自然にできたのではなく「作られたもの」だということを。

今はもう戦時中でもなければ、敗戦後の復興期でもないのだ。

もう日本人が一丸となる必要はない。むしろそういうことはあってはならないと思う。その必要が起きるときとはすなわち他国との戦争を意味するからだ。

一丸とならなくても、日本人が日本人らしさを発揮するのはそれぞれ個人的にいくらでもできることだ。実際に多くの日本人が国際的に活躍している。日本人の特性を生かすことと一丸となることは全く関係がない。むしろ邪魔にさえなる。一丸は個人の特性を殺すことで成り立つから。

その意味から言ってもこれからの日本人は一億総・・・の呪縛から意識的に抜ける必要があると思うのだ。
そして、そのためにも発達障害と呼ばれる集団になじみにくい人間の役割は今後大きくなっていくのではないかと私は思っている。
同調したくても同調しにくいというのはこの場合大いにアドバンテッジになりうるではないか!








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