小さなどんぐりと何やら啓示らしき壮大な私のテーマを抱えて帰路についたあの日から、4年の月日が経ちました。 迷い・不安が完全に払拭されることはありませんが、あの一言が響き渡った後は作品を創る意味を問うより、この道に生きることに腹を括れたことが大きな進歩だったように思います。 自分で言うのもなんですが、若い頃の方がよほど現実主義だった私が最終的に行き着いた道。 それはなんの保証もなく周囲からも心配され一見お先真っ暗のようでした。 しかし決して元に戻らない時間の中で生きるのなら
続きです。 独立してからというもの、仕事には喜んで向き合っていましたが 同時に、自分に足りないものが浮き彫りになっていた時期でした。 ほんの些細なことでも構わない。 伝わる人にしか伝わらないことでいい、ここまで苦しくても作品を描かねばならないのなら生涯をかけるテーマがほしい… そしてひたすら、そう真剣に天に投げかけたのです。 すると… 『愛と平和』 それは聞き返しようのない、 毅然たる響きで 声でもなく、イメージでもなく、 ただただ私の中にずしりと回答が来たのです
東京も緊急事態宣言が解除され、お陰様で個展は予定通り開催の運びとなりました(^人^)感謝。 さて、京都エピソードはまだまだ盛り沢山なのですが… 神無月に因んで、今回は少し出雲での出来事を。 潔斎展では、出雲に因んだ作品も幾つか展示します。 『神在月に詣れ』 そう言われて大急ぎで出雲へ出向いたのは2018年11月のことでした。 スケジュールに余裕がなかったので早朝から出雲大社と稲佐の浜、その周辺をぐるりのトンボ帰り。 神在祭の時期でしたが、朝靄立ち込める境内はまだ人気も
前回、東寺の講堂にて不思議な体験をした私でしたが、そもそも誘ってくださったのは空海さんでした。なるほど、訪れてみれば直ぐそこに空海さんの氣が立ち込めていて、門をくぐると同時に、私は悲しくもないのに勝手に涙が溢れて止まりませんでした。 東寺鎮守八幡宮挨拶をしていると、どんよりと覆った梅雨らしい厚い雲から頭上にぽっかりと穴が開き、スポットライトのような陽射しが降り注いでみるみるうちに真夏の暑さに見舞われました。眩しいのと嗚咽とで到底人様に向けられない顔だったと思われますが、誰も
これは、もう逃れようがない・・ そう解ったのはまだ書の道をゆくと決めて間もない頃です。 もう争うことなく導きを受け入れるようになり、その圧倒的な力に背中を押されるように、初めての土地へ旅するようになりました。そして、それらは十年近く経つ今だからこそ点だったように思えた出来事が線になり繋がってきたのです。 ここではっきりと申し上げておかなければと思うのですが、私はそれまで霊感もなければどこかの宗教を信仰することもなく、ただただ感じるがままの興味でその場所へ赴いているので、
本題に入る前に、、今気づきました。 思いつくままに更新していますが、noteの最適な使い方について調べてちょっと改善したいと思います… もう少し内容別に本棚を作って整理しないと、後々とても読みづらいですよね((゚∀゚; )すみません。 さて、あまりに根詰めており毎日更新が途切れました。 だいたい落ち着ける時間になった時には下書途中で突っ伏してまして。ま、そんなこともアリで続けていきます^^ それで、今回は私の制作スタイルについて書いていこうと。 私の場合、ご依頼のお仕事
今朝はお茶稽古に向かっていますが電車に乗ったらワンピース裏返しに着てた(゚o゚;;!!、、タグ、、、 … 書についての私の見解です。 古典書など様々に書を学ぶとどうしても通るのが、目の肥えた玄人向けの仕上がりにするか、万人にわかりやすいウケの良い作品にするか、というところ。 これはどんなジャンルにも通ずると思います。実際私もオーケストラ、オペラ、歌舞伎、、それらに生で触れることさえ特別な素人なので感動の沸点は低いのだと思います。 経験を重ね教養を深める過程でみえてくる
この辺で、ちょっと昔話は置いておいて。 徹夜が続いて記憶が曖昧になるといけませんので、今朝はこの度の個展に込めた想いを。 潔斎と聞くと、精進潔斎を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。 法会・神事などの前に、酒肉の飲食その他の行為を慎み、沐浴(もくよく)などして心身を清めること。 【精選版 日本国語大辞典より】 少しばかり仰々しいでしょうか(^_^;) 書のお仕事を承るようになり、更に水墨画にまで手を広げ、表現方法を広げなければ伝えられないものがどうして
ここまで書いてきましたが、、 ついについに 書という原点に戻ってきました! 理想をこねくり回し、遠回りして、漸く帰ってきましたよ〜^^; 幼少〜社会人の間に 暫く離れた時期もありました。 ただ好きだから、得意だから、では済まされない重圧も感じ 本気でやるなら教える立場でもある。 それならもう一度、勉強し直す!と、私が門を叩いた学院の週3回(うる覚え)の師範コース。 そもそも入学シーズンではなかったので、本来であればお断りされるところでした。 当時の私の技量を審査し、入
グラフィックを経験してみてとことん感じたことです。 私、アナログ人間でした(~_~; 痛恨。 作業は楽しいのですが、とにかくポンコツ(´∀`)なのです。 現場で働ける方々、ほんと尊敬します… サラリーマン時代は事務職でしたので徹夜ほぼ皆無でした。 『こういう業界って、〆切前とか徹夜なんだろうな… いやいや絶対ムリ…そういの、ムリ…』 って、言える立場でもないですが_:(´ཀ`」 さて、今からまた作業に戻らないと。← 個展に向けての最後の大物を2つ仕上げます
「好きなことで食べて行くことなんてできない」 とうの昔に割り切った人間だと思っていました、が。 思考で抑え込むよりも動き出さなければという衝動に抗えなくなったため、先ず昼は会社に行きつつ夜間のデザイン学校通い。(ここでも諦めが悪く需要が高そうな分野にしがみつく) 当時の内容はPhotoshop、Illustrator、Indesign、広告、色、カメラのこと・・・こんな感じだったかと思います。元々興味もありましたしこんな機会でもないとMacを有効活用できなかった気もしま
前回の続き。 私たちは、なんとOさんのご自宅にお招きいただきました。 迷子になりそうなご自宅・・もう言葉が出ないくらい素敵な秘密基地のようなお宅にて、はしゃぎっぱなしだった記憶があります^^; そんな中、Oさんが手がけた仕事の資料(ラフ)を見せてくださいました。某局のCG番組のラフでした、その可愛い絵を見て胸がときめきっぱなしだったのを覚えています。。 ここまで書いていて、おいまだまだ書家とは程遠いぞ。。と思いました笑 でも、全くの畑違いな私が「何かを表現する」こと
一見、全く関係もない「マラソン」。 ホノルルマラソンで繋がった、普通じゃない仲間達。老若男女、二十歳くらいの子から、70代の大先輩まで。 いつも尋常ではないエネルギーで個性豊かで、いろんなことを一緒に体験しました。 そんな中、私たちは和歌山のとある自転車レースに出場することになります。 レースで出場された片山右京さんや、バットマンのスーパーカーに乗ったOさん(CGのスーパーバイザー)らとご一緒し、私たちは当時流行りのAKBコスプレをしてレースで特別賞を受賞・・朝から晩
そもそも会社勤めが向かなかった私。 幼少期から何かに熱中できるといえば、お習字、お絵描きという子供でしたが全く食べていける気がしないという理由から、冷めた社会人になったのです^^; 持ち前の適応能力だけでなんとか生きていたのですが、本来やりたいことからあまりにもかけ離れている気はしていました。そんなモヤモヤ期。。何かを払拭すべくとあるチャレンジをしたのです。 それが、「ホノルルマラソン」です。 前回の「はじまり」をお読みくださって、 お参りしたら進むべき道が開けてみ
10年ほど前だったか、親友と伊勢の外宮「月讀宮」にお参りをしていた時のこと。 当時、普通の会社員でした。 なんとなく忘れ物した気がするのに出発したときのような、、 どこかに違和感を抱えたままそれに慣れるのか、もう一度立ち止まって考えるのか。 人生においてはそんな時期でしたので手を合わせて、聞いてみました。 「実は、どうしてもやり残していることがありそうなんです。 でも、進んでよいものかどうかわかりませ、 !!!!!? 大地震だと思ったのは一瞬で、全く感覚が違う
ってくらい、ヤマトさんが運んできてくれてます。(お酒じゃないです) 1ヶ月前ってだいたいこんな感じで大量の作品たちがおめかししてもらって帰ってきます。アトリエに仕舞い込むのは億劫ですが、出来上がった子達を眺める至福の時。 今日は終日作品撮り。(おかげでnote早速1日坊主になるところでした; で、 「絵が生きてる・・」 そう感じたのは、カメラマンも。 なかなか貴重な体験です。 今回の子達はこれまで以上に 書かされた、描かされた、という感覚でした。 一応産み落