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ただそこにいるだけのニューヨーク日記

マンハッタンへ向かうメトロの中、周りに注意しながら本を読む。ふと外が明るくなり、ブルックリンブリッジを通っていることに気づく。
ブルックリンのわたしの住む場所からマンハッタンに向かうのは決して近くないけれど、この車窓からの景色がけっこう好き。
小田急線で和泉多摩川渡る瞬間が好きなのと、多分同じ感情。多分比べるものじゃないけど。
とても遠くに来た、と思う。

ニューヨークの地下鉄の車窓と村上春樹のスプートニクの恋人の文庫本
メトロの車窓から見えるマンハッタン


本に目を戻すと、登場人物のひとりが、主人公に宛てて旅先から書いた手紙のシーンだった。

「なぜわたしは今こうして(よりによって)ローマなんかにいるんだろう?」と考え出すと、まわりのすべてのものごとが、不思議でしかたなくなってきます。もちろんこれまでの経緯をたどっていけば、「わたしがここにいること」にはそれなりの理由がつくんだけど、実感として納得がいかないのです。どうリクツをつけても、ここにいるわたしと、わたしの考えるわたし自身とがひとつになじまないのです。

村上春樹「スプートニクの恋人」

ここまで読んで「ローマ」を「ニューヨーク」に変えたら、今のわたしかもしれない、と思った。

アメリカにいて(よりによって)ニューヨークにいて、マンハッタンへ向かう電車で、小田急線のことなんか思い出して。どうしてここにいるんだっけ、子どもの頃の将来の夢ってなんだったっけ。どうやって生きてどう終えたいの?それは「ここ」で?
はっきり答えは出せない。

この街にはまだ受け入れてもらえてない感覚がある。だけど、東京だって育った街なだけで受容されているかの実感なんて、考えたことなかった。
東京側のお気持ちなど知る由もない。わたしがただ東京を受容していたのかもしれない。
育った街は静かな東京郊外の街で、馴染みはあるけど、絶対に帰りたい土地かと言われれば、そうでもない気がする。多分、そんなに愛していない。
ただ、ずっとそこにそのままあってほしいと思う、出ていった人間の我儘だけがある。

様々な理由で自分の国にいることが難しい人々がいる一方、自分の国でのんびり暮らすことも(色々なことに目を瞑ったり抗ったりしながら)できる人間が、望んで別の国にやってきた。
そうすると、どのような苦労もパッション(と少なくないお金)で明るくサバイブしなければいけなくなるようなところがある。
自分で選択したんでしょ?と言われればそれまでだが、他人が住む場所を変えたとき起こる災難に、その選択に、「じゃあしょうがないじゃん」なんて言えない。
その選択は、その選択をしたものだけの聖域だと思う。

VISAをはじめ、ここにいることへの許可を取って生きていくことが前提にある。
海外に移住するということは、ただここにいるということが簡単ではないということ。

日本より高い給料がもらえて、ヴィンテージ家具の似合うアメリカ仕様の家に住めて、近くにタイムズスクエアやメトロポリタン美術館があっても、ラーメン一杯が2000円以上するし、薄切りの豚肉は限られた場所でしか買えない。そういった些細なことが、心のどこかをつめやすりのように細かな傷を付けて削り取っていく。そして磨かれるようにタフになっていくんだと思う。薄切りのお肉にうれしく感じる。幸せのハードルが下がったとは思わない。
折り合いをつけることと小さい喜びを見つけることは似ている。

ただここにいるだけで何かを成し遂げられるわけじゃない、それはどこにいたって同じこと。
ニューヨークで、ただここにいることからはじめていく。