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余白の時間を持ったら、手放すものが見えた

ここ数日まさに、ぐーたらな生活を過ごしていてふっと思ったことがある。

よし、固執せずにちょっと離れたいものから離れようと思った。


まずは積み上がった本、読まない本を売りに出す。

その時は興味があって手にしたのだが、読まない。

また読みたくなったら手に入れようと手離す。


服の断捨離もしようと思った。

数週間前に、どれもまだ手に持っておきたいなと思っていたものが、
使ってないなら、離れましょう。と思える服が出てきたのだ。

あと、ある人間関係もちょっと離れてみようと思った。

以前にもちょっと馴染んでいない感じがして離れようか迷っていた。

そのグループ、人たちは離れる前に、そこまで深く関わりを持っていない、まだ諦めきれていないと感じてもう少し相手のことを知ってから、どうするかを決めようと私の方から関わりにいって動いていた。

前よりその人たちのことは知ることはできた。

しかし、私の中で何か乗らない感じがした。

仲良くしなきゃならないと固執していたのかもしれない。
自分の役割を果たそうと、躍起になっていた部分もある。

自分が役立つことがないとそこに存在してはいけないような感じがずっとあったのだ。

そもそも仕事ではない、有志のグループなのだから、自分自身で決めて行って良いのだ。

相談した時に、卒業したかったら本人の意思を尊重しますと言われていたのに、自分でちょっと固執していたのだ。

もうそこまで固執しなくてよい、と思えたのだ。

個人的にまだ繋がっていたいと思える人には個人的に連絡を取っても良いのだ。

離れて戻りたかったら、また戻りたいと言ってみても良い。


それも自分で決めて良い。


手にあるものを一旦手放していきたいんだろうな、まだまだ。

何も考えずに過ごす時間があって離すものが見えてきた。

忙しいと、それすら考えることを辞めるか引き伸ばしになる。

何もしない余白の時間が必要。

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