風景写真 | Somewhere not here
時折二人は、誰にも告げず山に登った。朽ちた丸太が打ち付けられた階段を登り、夜露に濡れた石は少し滑る。ロープを手繰り寄せ、力を入れて岩を一つ一つ乗り越えて進む。汗が、首にいくつもの筋を作る。
近くに巣があるのだろうか。時折、偵察係のスズメバチが二人を威嚇した。それはまるで近づきかけた二人の距離に、警笛を鳴らしているかのようにも思えた。木立の葉の上には、鮮やかな赤色をした幼虫がはっていた。緑の葉の上に、赤色。そのことについて二人は首を傾げながら、それぞれの考察を話す。昔は見るも悍ましかった小さな虫の子も、母親になった今は赤ん坊のようにすら思え、慈しみすら感じるのだから不思議なものだと彼女は思った。
山に登り、降りてくるまでの間、二人はただ取り留めのない会話を続けた。絵画や本、音楽について。過去の恋人のこと。先週食べたものや、子供の頃の話。互いに深く共感する価値観もあれば、同じくらい相違するそれもある。特にどちらにも寄らない時には、その言葉だけがふわりと空中に放たれたまま煙となり、森の樹々に吸い込まれていった。それでも二人は、互いの距離の空白を埋めるかのようにとめどなく話し続けた。下界から遮断された深く親密な森の中。二人の言葉に耳を傾けているのは、目を閉じて二人が通り過ぎるのを待つ、無数の小さな虫たちだけだった。
いつも登る山の人影まばらな登山道入口の脇には、時に見捨てられ朽ち果てた遊園地があった。彼女は部屋でひとりその写真の隣に、新たに撮った森の樹々の写真を並べて貼る。心はずっと重く痛い。例え山に登っても登らなくても。ただ、その度にそっと一枚ずつ増える風景写真だけが、二人が確かに『そこにあった』証なのだ。
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