私的指摘ジャッジ②

○彼らあいつらの救済

向き合う対象・モノとの距離や角度が変わるだけでこんなにも心持ちや見え方が変わるのかと痛感する。

自分の運転に絶望して頭の中がもやもやしていた時もあったが、今はなんかすごく頭がすっきりしている。

この角度や距離の変え方を自分で調整できるようになればもっと生きやすくなる。

人生において暗い部分は誰しもが抱えているのかもしれない。

大事なのはそれをなくすことじゃなくてどう向き合っていくかなのかもしれない。

現実逃避をしつつ闇と向き合うことを避けながら生きるのではなく、闇との向き合い方を学び危機的な状況を回避しつつ生きる方がいい?

○両者の違いは?両者共に闇を避けていることに変わりはないように思われる。

両者の違いは思考停止する段階の違いである。

前者は課題を先送りにして逃避行動をとる。

しかし、後者は、そもそも課題と認識せずに闇が出てきた際に対処できる術を持っておき、一対一で解決していく手法だ。

前者においては、闇の根本解決、消滅を望み一時退避するのに対し、後者はそれと共に生きていく(対処療法により闇すらも人生の一部であると考えて生きていくこと)。

前者は後で考えるから今は先送りにしようという考えであるのに対して、後者は、そもそも闇の存在を認めそれが存在することを前提として物事を考える。

こういった点で両者の考え方を区別する。

→このように考えると、何かしらの観念に対して自分の中で名前をつける(先に挙げた、前者「現実逃避をしつつ闇と向き合うことを避けながら生きる」や後者「闇との向き合い方を学び危機的な状況を回避しつつ生きる」のように)。

この名付け行為による区別が他者に通じるかは別であり、僕のように言葉の使い方が乱暴な場合は特に通じずらいと思う。

名付け行為はもっと慎重に、明確に行わなければならない。乱雑なカテゴライズは伝えたい要素を削ぎかねない。

そういった部分が僕には足りないと感じる。自分の頭の中の観念を具象化するためにもっと解像度の高い表現を行なっていかなくてはならないと感じる。

ピンぼけであやふやな映像では何が何だか分からない。

絵は下書きで評価されるのではなく、全てを描き終えた完成形をもって初めて評価の対象となる。

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