私的指摘ジャッジ①

○彼らあいつらの存在

普段から考え事をすることが多い。

その内容は普段の生活で感じたこと、観た映画の内容、将来について、その日何をするかなど様々である。至極一般的だと思う。

しかし、その考え事の矛先が自分に向いた時、僕は停滞しベットの上から動くことができなくなる。

僕たち人間には肉体が与えられ、有限の時間が与えられる。

それらが全人類に平等に等しく分配されているかは定かではないが少なくとも僕たちは有限の中で生きている。

僕はベットの上で停滞している時、それら有限であるものを自分に向ける。考え事をしている時、頭の中で議論が始まることがある。

それは時にかなり熱を帯び、議論というより喧嘩に近しいものになる。

まるで一国内における、保守派と改革派の争いのように互いを鋭利な言葉で批判する。

肉体の持ち主としては(少なくとも今まで生きてきてこの身体は僕自身のものだと思っている)自分の家の庭で誰かが喧嘩をしているような、他人に自分の領域を荒らされている気分になる。

彼らは家主である僕になんか目もくれず、自分の正しさばかりを主張する。

僕は彼らの喧嘩のようなやりとりを傍観することしかできない。

早く出ていってほしい。

毎度そのように思うが、彼らは自分たちの気が済むまで僕の中に居座る。

そして、唐突に、急用を思い出したかのように僕の中から出ていく。

僕は自分の有限なるものの一部を彼らに独占されている。

しかし、彼らは実体を持たないと思う。

少なくとも僕の身体の外にある何かと彼らの存在を繋ぐものを見つけられていない。

彼らは僕の身体に巣くう一種の観念なのかもしれない。

かもしれないというのは、僕が彼らという存在に関して知っていることがほとんどないからだ。

僕は彼らのことを知りたいと思うが彼らは気まぐれにしか僕の領域に現れてくれない。

僕は彼らのことを知らない。

彼らは一体何者なんだろうか。

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