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AIがなんだ

と頭を悩ませながらの残業終わり、フラフラと二郎系ラーメン屋に吸い込まれるように入ると、外国人店員2名が丁寧な接客で迎え入れてくれて一気に気合いが入った。疲労とは関係なく、そもそもの語学力が欠如しているので、海の向こうではマシマシのことはモアモアなのだろうかと、モヤモヤしながら注文を済ませた。
その後入店してきたサラリーマンが「野菜マシ!ニンニク無し!ニンニク、無し!ね!」と強調しているのを見た。
過去に、伝達不足で望んでもいない大量のニンニクを盛られた者だけが見せる神妙な面持ちであった。
日常に字幕が付いていれば、そんなすれ違いも少なくなるだろう。

最近は、SNSなどで流れている動画にも字幕が付いている。やがてサムネイルは動き始め、字幕がぴったりと伴走しているので、今までクリックするまでもなかった動画をそのままぼうっと眺めてしまうようになった。そしてその動画もまた、AIによるトラッキング機能により選別されているだという。その人の嗜好などを分析し「こんな動画が好きなんやろ」とご丁寧に選別してくれている。そのため今日も「卑猥だ!猫だ!卑猥だ!猫だ!猫だ!猫だ!卑猥だ!」と振り回されている。
膨大な量の善意をただただ投げつけるAIは、結局私のことをどうしたいのだろう。
そう、それこそがまだ我々がAIに勝ることができることのひとつだ。そこに「愛」はない。

AIは愛を知らないのではないか。

我々の生活は、愛で溢れていると思う。
例えば今飲んでいるコーヒー、これは大切な友人からもらったものなので、賞味期限を3ヶ月過ぎていても飲む理由がある。
祖母宅の庭の木の写真をGoogle レンズで分析させても「柿の木」ということはものの数秒で判定するが、祖母が亡くなってもなお、母が空き家を管理して、いまだに毎年元気な柿を実らせていることまでは分からない。当たり前のことだが、そうなのである。

彼らの持ちうる力そのもので、愛を理解させようと思う。私が普段感じた生活のなかの愛を、文字起こし機能を用いて学習の機会を与えよう。




①結婚式

最近は毎月のように人と人が結ばれていて、愛に溢れている。そんな大変めでたい場所でスピーチを務めさせてもらうことになった。愛を感じるには大変イージー。AIよ、これが愛だ。



愛なくない?

全然愛がなかった。男さんの目線に合わせるとは何?この内容での拍手喝采は恐怖すらある。AIが拍手の音を認識して絵文字をつけているところは、可愛い。



②旅行

愛なしでは旅行はできないだろう。大体の旅行は愛する人としか行かないので、何も気負わず考えず、夜遅くまで現在のことから将来のこと、家族や愛する人のことを話し合うのだ。
AIよ、これが愛なのだ。



愛なくない?

乾杯時に証拠を問われている自分が不憫で仕方ない。イビキがうるさすぎて、同部屋の友人を引っ叩いた軽井沢の夜も思い出した。もう、手を出すことでしか、止めることができなかった。


③動物たち

アニマルセラピーと言われるほど、我々は動物に対して愛を感じている。抱きしめてしまいたいくらいのフワフワの愛がそこにはある。
AIよ、これマジで簡単だから。

愛あるやん

いい調子。流石に可愛いので、それ以上もそれ以下でもない。ようやくAIに愛を少しずつ理解してもらえそうなので、この調子で動物を続けていこう。



愛全然なくない?

最初のワンちゃんは、あまりにも可愛いのでカメラを近づけたら「ア゛!!!」とブチ切れられた時のワンシーンである。ワンシーンって別に被せてませんからね。心臓止まると思ったんだから。
競馬の最後の一枚、実際にそんな心無いことは言っていないと思うが、おおよそそのような事を言っていた気もしてきた。


結局のところ、愛がなんだかわからなくなってきた。自宅で一人、二年間一緒にいるアレクサに向かって「アレクサ、愛ってなに?」と恐る恐る尋ねてみた。すると少し考えて、下記の回答が返ってきた。

「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは愛についてこう述べています。「愛とはお互い見つめあうことではなく、共に同じ方向を見つめることである」と」

アレクサ


愛がなんだ!

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