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2025年1月(受け入れる、伸ばす)
年末、パンデミックぶりに断捨離スイッチが入った。30ガロンごみ袋5つ分のごみをもりもりと捨て、段ボール箱5つほど衣類や雑貨を寄付した。でもまだやり切ってない気持ちを抱えながら、新年の初散歩に出た。
暖かい新年だったので、軽いジャケットを羽織ったけど、実はこのジャケットそんなに気に入っていない。でも、あまり着ていないのでまだ新品と言えるぐらいのコンディションだ。ハイネックで、丈短めで、ボタン大きめのどちらかというとかわいいデザイン。「正直、自分に似合うのはテーラードジャケットなんだよなあ…」と思ってから、びっくりした。
どうして似合わないことが分かっている服を持っているんだろう?
1. 似合うか似合わないかは別として、ジャケットとしてかわいかったから
2. 同じようなデザインの服ばかりだと、ワードローブが単調になってしまうから
理由としてはそんなところ。ジャケットとしてかわいい、とか、バリエーションのあるワードローブを、とか、服のマスターはわたしのはずなのに、主従が入れ替わってしまっていることが分かった。服は自分をよく見せるためのツールなのに、敢えて似合わない服を取り入れるなんてあまりに馬鹿げた話だった。ちょっとエウレカ。
もうひとつ、理由2の後ろに隠れているのは、昭和の日本に生まれ育ったわたしに染みついている「苦手分野を克服精神」だ。得意分野を伸ばしていこう!という最近の教育はほんとうにすばらしい。昭和世代は、苦手の凹みを埋め立てて、平地にすることばかりにエネルギーを費やしてきたような気がする。好きなことばかりやっていては人間として偏ってしまいますよ、という呪いからまだ逃れられない。その弊害として「自分に」ではなく、「なりたい自分に」似合うものを買ってしまったりするんだろうな。
2025年は今のわたしを受け入れて、いいところを伸ばしてやりたい。そういうわけでバイバイ、かわいいジャケット、フレンチスリーブのワンピース、もこもこのタートルネックセーター。そしてこれは服だけではなく、全てのことにも。ずっと続けている仕事も「苦手分野を克服精神」の最たるもので、向いていないことが分かっているのにがんばり続けてしまった。もうとっくに人生の折り返し地点を過ぎてしまった自分を自由にしてやりたい。今さらながら、自分のよさが存分に活かせる仕事を見つけたいという気持ちが強くなっている。
以前にもこの気持ちが苦しくて、作った歌を。乗り越えることができたら新しい歌を置きに来ます。
不得手こそがんばる子だと褒められて寒天質のプールを泳ぐ / 毛糸