テキトーな雑記。里山の終活。
トロッコ問題みたいな感じで、
1人のために誰も使わない道を維持するのと、100万人の為に大通りを整備するのでは、当然前者のコスパが悪いと言われて大多数が後者を選ぶだろう。
でもそれは1人の「暮らす自由」という人権を無視しているわけで、少なからず罪悪感を抱くものもいる。となると、残された1人を看取ってから「終活」に動かざるを得ないわけで。
子供を産むって言うのは根本的には集落存続(土地という不動財産の維持)の為にあるけど、娯楽が増え、独身が増え、少子化は進み、子供任せでなく自分で自分の一生面倒見れる人生にしなければならない時代になってきている。(別に娯楽が増えることや独身が増えることが問題なわけではなく、子持ち家庭が貧困化していることが問題だと思っているけど、それは別の話。)
子供が減れば年金の終焉。社会福祉費に多額の税金が必要となる。そして遂には地方交付税とふるさと納税のアンバランスな関係によって不交付自治体が謀反を起こしかねない状況になることへ危機感を抱かざるを得ない。
国を維持する為に、地方交付税の減額、さらには町や村、集落単位で終活を考えねばならぬ局面まで来ているわけで。
道路の維持、里山の維持の為に税金が投入すべきところに投入出来なくなっている部分も多い。だから一時的には金欠になるだろうけど、里山復興のためにソーラーパネル貼ったりふるさと納税するより、里山の終活を考えてほしいなって思う方が、「国単位」で見たら存続のために大切な判断だと思うのは私だけなのだろうか。