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夏なので、博物館に行ってきました。

東京駅前の「インターメディアテク」で「海の人類史」を見学してきました。


(1)特別展示「海の人類史」、ワンダホー。


2024年8月7日の日経新聞の記事にフローレス原人の腕の骨の化石(のレプリカ)がインターメディアテクに新たに展示される、って、書いてあったのを見つけて、
鼻の穴を膨らませて行ってきました。
(日経新聞の記事 ↓)

(インターメディアテクのHP ↓)


あの、わたしの大好きな、日本列島に渡ってきた先祖たちの物語の展示です。
特別展示『海の人類史 − パイオニアたちの100万年』2024.07.05-2024.10.06

特定の展示以外は撮影もOKだったので、何枚も撮影しました。

最近読んだ本に載っていた石器とか、カニを食べた痕跡とか、
貝で作った釣り針とか、腕輪とか、実験航海に使った櫂とか、

ひゃーこれか! ひゃーすげー! ひゃーたまらん!

って、マスクをしているのをいいことに、百面相で展示物を観ていました。
日本にやってきた祖先の皆さまがた、ありがとうございます。
子孫です。いろいろありますが、不肖「ひよこのゆうこ」もがんばっております。

刃部磨製石斧。この刃こぼれ。この斧を使っていたご先祖の声が直接聞こえてくるようです。

フローレス原人は、驚異の世界でした。

(2)インターメディアテク、ヴンダバー。


特別展示の次は常設展示場なのですが、ここに広がっていたのは、ザ・博物館。

乾燥標本とか、剥製とか、骨格標本とか、
ホルマリン漬けの標本とか、化石とか、鉱物とか、
ガラスの瓶に入った根っことかが、ずらりと並ぶ室内。

博物館の楽しさは、世界は、何(なに)でできているのか、どうなっているのか、
知りたい、知りたい、知りたい、知りたい、知りたい、知りたい・・・
という思いに後押しされて、
ひたすらにあつめてきた「モノ」が積み重なっている、その空気感にこそ、
あります。

「モノ」なんて、格好つけて呼んでしまうのは、面映いですね。

かつて、命を持ってそこに生きていた動物や、暮らしの中で使われていた道具、
もう、動くことのない存在たちが、生きていた時とは違う命を与えられて、
そこに居る。

「エピオルニスの卵殻」カードに書いてある言葉がまた、素敵です。
卵は自然界から生み出された完全無欠な「かたち」の代表であり、
生命を裡に宿すことから、万物を内包した宇宙球にもたとえられる。

初めて見たインターメディアテクの展示は、集積された大量の標本そのものからの波動と、「あつめたぞ」という想いの熱を強く感じるものでした。
それが、小さな文字で書かれたカードを添えられて、延々と積み重なっている。

これって、ほら、あれですよ、アレ。

ヴンダーカンマー。「驚異の部屋」。

ルドルフ2世のプラハ城のコレクションも、かくやと思わせる室内の景色。

レトロ感が滲む建物や、展示用の棚のデザインや、壁にかかった凸面鏡などが、
その連想を強く喚起しているのでしょう。
撮影はしなかったのですが、明治初期に数多く招かれていた外国人学者たちのことも紹介されていました。
外国人の学者たちも「極東の不思議な国」に足を踏み入れて、どれほどの冒険を体験し、興奮を味わいながら暮らしていたことでしょう。
これぞ、帝大(一貫して「東大」と表記されていました)。おそるべし。

マンモスの牙。来歴不詳だそうです。ケースの内側は鉱物標本。
東大の教室を再現したコーナー。肖像画の先生方は(もちろん)全員男性でした。
こんな額縁を見たのは初めてです。

博物館は、歴史や芸術(げいじゅつ)、科学技術(ぎじゅつ)、自然などに関する資料(しりょう)を収集(しゅうしゅう)・保管(ほかん)、研究、展示(てんじ)する場所です。また、実は美術館や動物園、水族館、植物園、科学館などさまざまな名前が付けられていますが、みんな博物館のなかまです。中学生以下の方は作品を無料で見ることもでき、館によっては、作品に詳(くわ)しい学芸員からの説明が受けられたり、家族で参加できるイベントがあったりと、子供から大人まで楽しめる場所です。

文部科学省のH P キッズページより

https://www.mext.go.jp/kids/find/bunka/mext_0010.html

ちなみに、インターメディアテクは、特別展示も常設展示も入場料無料です。


(3)JPタワー・KITTE、ほぼ初めての訪問。

インターメディアテクが入っているJPタワーは2013年3月に完成したそうです。
でも、私はこの夏まで全くその存在に興味を示すことなく生きていましたよ。

2013年ころの私を思い出すと、脳味噌の内側の何かが麻痺したままで動いていたような、無我夢中でやたらに充実しているんだけど、同時になにか気色悪いような感覚がよみがえってきます。
担当していた仕事の密度の高さはいつもきつい上がりの坂道のよう、締め切りがあるのに次々に湧き上がる案件にもれなく対応するため行程に修正が重なって、常に一定レベル以上の前回以上の成果を期待されていて、
さらに同時期の家庭では、夢にも想像すらしていなかった出来事もありました。
インターメディアテクは職場から歩いて行けるほどの距離なのに、当時話題を集めた新しい商業施設への興味なんて完全に失われていたのですね。
あのゾワゾワするような感覚がやってきました。
当時のことを本格的に思い出して振り返るには、まだ早すぎるのかもしれません。
でも考えてみれば、あれはすでに済んでしまったこと。私はこうしてサバイバルしているわけですから、あの頃のことはもう棚にしまった標本みたいなもの。必要以上に恐れる必要はもう無いのかもしれません。

そういえば、政治家(H氏だったよね)が、ここの再開発での建物取壊しに対して唐突に異を唱えたために計画が急遽見直された、というエピソードがありました。上層部からの唐突な発言でプロジェクトが右往左往するストーリーに、その当時、言いようもない反発を覚えたことを思い出しました。
私の行動パターンから類推すると、「無視スタンス」は、そこからスタートしていたのかもね。

(日経クロステックの記事 ↓)
https://xtech.nikkei.com/kn/article/building/column/20131217/645061/

(件の政治家の発言は2009年のことだったようです)

完全にスルーだったこの建物に素敵な博物館があるってことを知らなかった
つまり、それが驚きでした。新聞記事で気がついた今年の8月7日までに、
干支が一巡以上してしまうほど時間が経っていましたよ。
めぐりあうべき時がようやくやって来て、
行くべき時になったので、行くことができた、ということなのでしょうね。

気がつけば2時間半、博物館の中をうろつきまわっていました。

1人で過ごした夏のいちにち。とても楽しかった。

特別展示の会期は10月6日までです。


(4)大森貝塚でモース博士と再会しちゃいましたよ。

この記事を書いているとき、京浜東北線大森駅付近に行く用事ができました。
「待ち合わせ場所は大森駅北口の・・・」と、指定されました。
行ったことのない駅だったので事前にGoogleマップを開いてみたところ、
すぐ近くに大森貝塚の碑がある、というじゃありませんか。
大森貝塚って、小学生の教科書で知った、あの、縄文式土器が出土したところ。
歴史に燦然と輝く、記念すべきその場所の近くまで何故か行くことになった偶然の幸運に、またもや鼻を大きく膨らませてしまいました。

びっくり仰天。博物館に行ってからまだ1週間も経過していないのに。
この石碑は電車の窓から見えますね。
NTT大森山王ビルの脇にあるモース博士の看板。
列車の窓から貝塚を発見したのだそうです。

モース博士の肖像写真をインターメディアテクで見たばかりです。
こないだバイバイしたばかりなのにまたお会いできましたね、博士。

都道421号線を少し北上すると品川区に入り、そこには「大森貝塚遺跡庭園」がありました。ビルの谷間にある大田区の石碑とは全く趣の違う、夏草の生い茂る遺跡公園で、そこでもまた鼻息荒く過ごしてしまいました。

貝塚が出土した地層のイメージと縄文の意匠が組み合わさっている。


縄文時代、東京湾は、深々と、野田、古河のあたりまで海だったんですね。

この看板を見ているだけでも関東地方に吹いていた豊かな潮の香りが胸に沁みてきます。
「縄文」は英語で「cord marked」なんですね。モース博士、命名ありがとうございます。

大森貝塚訪問記は、別の記事が書けるかもと思うくらい衝撃的だったのですが、
夏空のもとで味わったこの気持ちは、インターメディアテクでの体験と地続きの「拡大博物館」だったな、と感じられたので、1章を追加することにしました。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。




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