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【DIC川村記念美術館】を再び訪問。美術館の「いのち」を感じ取った日のことを書いておく。
1月22日(水曜日)、DIC川村記念美術館を訪問しました。
ついに閉館が決まった美術館に、きちんとお礼とお別れを言うために。
「作品」と「鑑賞者」とが出会う「場」
誰かが心血を注いで表現した「作品」があり、
それに対峙する「鑑賞者」がいる。
作品と鑑賞者が相対する「場」がある。
芸術を鑑賞するという行為で根源的な要件とは何か。
突き詰めると、この3つに集約されると考えています。
「作品」とは、就中(なかんづく)「現代アート」とは、
文脈や形式や説明などを取り払い、あるいは意図的に歪ませることで、
作品と鑑賞者との接点をより異化して先鋭化して突きつけてきます。
だから、作品の発するエネルギーは変化し得る。
時代の風に影響されて陳腐になることも、普遍性を獲得する時もあり得ます。
「鑑賞者」は、疲れているかもしれない。攻撃的で、反抗的かもしれない。
受容する感受性がひどく傷ついているかもしれない。
乾いた海綿のように全てを吸い込んでしまうかもしれないし、
厚い鎧で弾き返してしまうかもしれない。
鑑賞者はだからこそ、決して慣れることがなく、
作品に対峙してたじろいだり、衝撃を受けたり、覚束なさを感じたり、できる。
こんなふうに作品と鑑賞者の属性は移ろい、変化しますから、
両者の接点も、移ろい、変化します。
穏やかな場合も、摩擦が強い可能性もあります。
作品と鑑賞者とは、互いに出会い、波動を交わし合うものだから。
だからこそ、作品と鑑賞者とが対峙する「場」だけは、
安定した繭のような存在であってほしい。
繭の内側には安定した空間が広がっていてほしい。
DIC川村記念美術館での幾たびもの鑑賞体験から受けたインパクトから、
こんなふうに考えるようになりました。
特に「鑑賞者」を「私」と限定する場合には、そうなのです。
特に、DIC川村記念美術館という繭の内側は、ものすごく上等だったから。
検査の翌日
絶対に、1月22日(水曜日)に行こう、と決めていました。
大晦日にクリニックから届いた郵便には「再検査・精密検査の受診を推奨」
と書かれていて、それを読んでから3週間、
再検査の結果を受け取る日が1月21日(火曜日)だったからです。
どんな結果を告げられても、翌日には必ずDIC川村記念美術館に行き、
閉館する美術館の姿を見て、胸に刻んでこよう、と決めていたのです。
結論からいうと、私は病気ではなく、治療や投薬の必要も認められませんでした。ただ、異常値が検出された臓器については、
暮らしの中で気をつけていくことになりました。
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ずっと、いろんなことをぐるぐる考え続けて屈託を持て余し、
夫以外には誰にも言えず、何をするにも
「無邪気でいられるのはこれっきりかもしれない」
と考えていました。まさに悲劇のヒロインの状態でした。
宝塚を観るひとときだけは忘れていられたのが可笑しいのだけれど、
「鑑賞者」である私のコンディションは、こんなふうにグラグラだったのです。
検査の結果がシロでよかったです。
大好きな作品
◆リュネヴィル
美術館の入り口の脇に聳え立つ「塊」。フランク・ステラのリュネヴィル。
これを観ると、映画『冒険者たち』のヒロイン、レティシアはきっとこんな作品を目指していたんだろうなと、毎回思います。
ステラは、美術館2階の巨大な部屋にかかった絵画作品群も見ものです。
作品と自分との距離感をミニマルな状態で感じ取ることができる。
リュネヴィルに対峙する時とは違った感受性の冒険旅行を楽しむことができます。
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◆広つば帽を被った男
レンブラントが29歳の時に描いた「広つば帽を被った男」。
1階のポピュラーなタブローが並ぶ部屋から出ると、廊下の突き当たりに壁龕のような部屋があります。そこで遭遇するこの作品のインパクトの大きさは壮大です。
私は「この絵はレンブラント本人の表情を写したもの」という、自分の脳内のイメージが好きです。29歳の男のエネルギーに満ちた自画像、というストーリーで観るのが好きなのです。
室内に、ただ一枚架けられた、1635年に描かれたこの絵と対峙する時間は、タイムマシンのようです。さすがに混んでいることが多いのですが、タイミングによっては一対一で対峙することができ、そんな時には密かに心の中でガッツポーズを決めます。
◆ジョセフ・コーネルの箱
ジョセフ・コーネルと初めて出会ったのは、この美術館で、でした。
魔法で閉じられた秘密の庭にうっかり踏み入れてしまったような衝撃でした。
息が詰まり、涙が滲んだ自分に驚きました。
2022年9月16日に投稿された公式のインスタグラムには、
美術館のコレクションは箱7点とコラージュ10点だと書かれています。
常設展示ではコレクションの中から4点ほどがピックアップされています。
2024年9月16日に観にいった時と違う作品が出ているかもしれない、と、
ちょっぴり期待しましたが、展示替えはありませんでした。
◆マーク・ロスコの〈シーグラム壁画〉
そして、マーク・ロスコ。20代半ばに初めて旅したニューヨークで、
期待にパンパンに膨らみながら訪問したMOMAで、
直面した瞬間に魂を奪われた、ロスコの絵。私にとってはMOMAのハイライトでした。(もう一つはブランクーシ。ブランクーシもDICにある)
DIC川村記念美術館には〈シーグラム壁画〉7枚だけが架けられた薄暗い「ロスコ・ルーム」があるのです。
その後カート・ヴォネガットの「青ひげ」を予備知識全くゼロで読んでいたら、
ロスコに遭遇して、ものすごく驚いたっけ。
あの小説ではポロックとも知り合いになれたっけ。
*****
ロスコ・ルームでグルグルにかき回された私は、螺旋階段をよろめきながら登る。
すると白く明るく広い部屋に入り、バーネット・ニューマンの『アンナの光』が視界いっぱいに広がる。
大きな窓から見える借景は下総國の緑の植生、真っ赤な大きな絵に呼吸が整えられ、文字通り「癒される」感覚を味わう。
まさに、作品と鑑賞者と美術館とが三つ巴で格闘するような体験でした。
でも、既に2度と体験することはできない体験です。『アンナの光』は売却されてしまったのです。2013年10月のことで、絵は103億円だったそうです。
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冬の美術館
ここは、何度も訪れた、大切な魔法のお城です。
間もなく、悪い魔法使いに負けて、
お城は崩壊してしまうのです。
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冬枯れの美術館を訪れるのは初めてでした。
ロスコ・ルームで、〈シーグラム壁画〉に囲まれた部屋で、
突然、血管の中を泳いでいるかのような錯覚に陥りました。
自分が血管の中を流れていく、そんな感覚です。
ほの暗い照明に浮かび上がる画面に薄く塗り重ねられた赤い絵の具。
血液が太い血管の中を勢いよく流れるさまだ、と感じたのです。
真っ赤な動脈血は毛細血管へとしみ通って、
細胞から老廃物を受け取って青黒い静脈血となって進み、
弁の間を抜け、肺で酸素を得て真っ赤な血に戻り、
再び勢いよく太い血管の中を流れていく。
命の流れそのものを体感したのでした。
検査結果に怯えていた余韻を引きずっていたためだったのでしょう。
血液検査のために血管に何度も針を刺した新しい記憶が、
錯覚にリアリティを加えていました。
私が感じ取ったのは、命の循環です。
間もなく、この部屋は消えてしまう。
生命の終わりが見えてきた生命体の、
最期に向かう鼓動の音に、じっと耳を澄ませた時間でした。
お城の外は、晴れた、冬枯れの景色でした。
冬は、春をはぐくむ、内側にいのちを含んだ季節です。
それなのに、このお城には、
もうわずかないのちしか、残っていない。
途方に暮れるような思いでした。
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反省と、未来への想い
改めて、検査結果がシロで、本当に良かった。
もしも思わしくない結果だったら、
臆病者のわたしは、どうやってココロのバランスをとれただろう。
思いがけず自分の弱さに直面した3週間でした。
3週間を経て、訪れた美術館で過ごした時間を通じて、
弱さも含めて全部が自分なのだと、腑に落ちたような気がしています。
ヘタレな自分を発見して、少し驚いて呆れながら、反省もしています。
生命力のあるうちにできる(やるべき)ことから、逃げずにいきたいです。
DIC川村記念美術館で、私は、現代美術を観る楽しみを体感し、学びました。
…できれば散逸させたくない…
いまだに未練で、いまだに悔しいです。
唯一無二の空間を、しっかり記憶しておきたいです。
ロスコの絵はどこかでまた生き続ける。
コーネルの箱もきっとどこかに運ばれて、また誰かの心を刺すだろう。
「場」が失われたとしても、きっと、「作品」は残る。
そうしたら、「誰か」がきっとその作品の前に立つでしょう。
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2025年1月31日(金)、この記事のファクトチェックをするために美術館の公式サイトを訪問したら、なんとなくアクセスが不安定でした。休館日で西川勝人の企画展が終了したばかりだったので、工事中だったのかもしれません。
〈何か〉が確実に進行しているのを感じます。
公式サイトは、閉館したら消えてしまうのかもしれません。
美術展ナビのリンクを貼っておきます。
3,900文字を超えてしまいました。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。