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エリーツ座談会「あの頃」のゲームセンターと『トウキョウヘッド』 

「エリーツ5」から、巻頭座談会を無料公開します。
本誌は現在BOOTHにて発売中!



 それぞれの近況



pha 今年はついにめろんさんが関東に戻ってきたのですが、みんな本業が忙しくて集まれないので、今回もリモートで話しましょう。まずはそれぞれの近況報告をしましょうか。滝本さんは最近どうですか?
滝本 小説を書き、スタジオに通い、音楽の勉強をするというサイクルを延々とくり返しています。
めろん 滝本さんのインスタを見ると、ルーティーンが完成されてる感じがするよね。
佐藤 うらやましいなあ。僕なんてもう終わってますよ!
pha 佐藤さんはここ最近、ずっと締め切りに追われてるんですよね? スケジュールが破綻しそうとか……。
佐藤 破綻しました!
滝本 でも佐藤さん、新刊が出ましたよね。
佐藤 あ、そういう明るい話をしようか(笑)。新刊、『青春とシリアルキラー』(発行・ホーム社 発売・集英社 2022年)が発売しました。推薦文はなんと滝本竜彦さんです。
滝本 エリーツ内で仕事を回すという……。
佐藤 真面目な話、いろんな名前が推薦文の候補に出たけども、やっぱり滝本さんでしょうということでお願いしました。ポップでかわいい本なので買ってね。
pha ロベスさんはどうでしょうか。
ロベス 僕は毎朝5キロほど散歩してるんですが、最近はそのうちの半分を走ってます。爽やかでいいですよ。
滝本 若さをたもつ秘訣ですね。すばらしい生活です。
ロベス 編集の仕事は、最近は翻訳ものにも携わってます。中国の出版社とやりとりしているんですけど、すごいですよ中国、ぐいぐいきますよ(笑)。phaさんはどうですか?
pha 僕はやる気がないですね……。
一同 ずっとそれじゃん!
pha でも冬くらいから本当に元気がないんですよね。
佐藤 春も夏も秋もそう言ってましたよ。
めろん あれ? phaさんの部屋、なんか雰囲気が変わった気がするけど。
pha 模様替えしたんですよ(カメラの位置を動かす)。
めろん おお、ちゃんとした部屋になってる(笑)。
pha テレビも買い換えたんですよね。そういえば模様替えしてから、ちょっと元気になったかも。部屋がダメな状態だと、自分もダメな感じになっちゃいますね。
佐藤 部屋をめちゃくちゃ綺麗に片づけると、やる気も出るしスランプも治るって、平山夢明さんが言ってましたよ。
めろん 俺、今その話をしようと思ってた。
pha そんなに有名なエピソードなんですか(笑)。
めろん 平山さんと精神科医の春日武彦さんが対談した、『「狂い」の構造』 (扶桑社新書 2007年)って本に出てくるんだよね。「めんどくさいが極まると、人はだんだん狂ってくるから、掃除をすると正気に戻る」って話。
佐藤 部屋は綺麗にしておこうね!
めろん 俺は最近、自分の部屋をDIYしてるよ。ホームセンターで材料を買ってきて、それで机とか作ってる。近況はそれくらいかな。
佐藤 いやいや、『TOKYOHEAD NONFIX』を書いたばかりじゃないですか! それもあってゲーセン特集を組んだんでしょ!
pha では本題に入りましょうか。ゲームセンターについて語りましょう。

 「あの頃」のゲームセンター

めろん この企画のために、ゲーセンにまつわるアンケートを前もって募集したんだけど、たくさんの人が答えてくれました。
滝本 某有名作家さんや、各著名人の名前がありましたね。むだに豪華なアンケートになりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
めろん じゃあさっそく読んでみようか。「初ゲーセンはいつ?」って質問に対して、40代男性が、「小学校1年生かな? 兄がナムコ信者だったので」と答えてます。この「兄」ってのは俺のことね。
佐藤 まさかの弟さん登場(笑)。
めろん 俺、当時のナムコが異様に好きだったんだよ。
滝本 それなら、あの変なゲームを知ってますか? レバーが2本の……。
めろん 『リブルラブル』(ナムコ 1983年)でしょ! このあいだNintendo Switchでアーカイブが発売されたよね!
滝本 一瞬で出てきた(笑)。
pha 『リブルラブル』、僕のゲーセンの原体験的なゲームなんですよ。今回のエッセイにも書きました。Switchで出たのをこないだみんなでやったんですよね。
滝本 2つの矢印を別々に動かすのが脳トレみたいで大変でした。
佐藤 僕はあのゲーム、全然知らなかったです。子供の頃、ほとんどゲーセンに行ったことないんですよ。
めろん ゲーセン文化は時代によって断絶がめっちゃあるからね。ちなみに今回のアンケートを年齢分布してみると、回答者の6割以上が40代で、2割が30代。20代なんて1人しかいない。
ロベス ゲーセンが流行った時代と合致してますね。今の若い人たちはゲーセン体験があまりないんでしょうか?
滝本 アンケートを読んでみますと、20代の回答者さんは、「段差や壁紙の色でゾーニングされたスロットなどのメダルコーナーが怖くて近寄れなかった」と書いています。やはり抵抗があるのかもしれませんね。
ロベス でもゲーセンって亜空間ではありましたよ。それは昔からそうです。
pha いまは綺麗になりましたよねえ。
佐藤 昔のゲーセンってあれでしょ、ヤンキーのたまり場でしょ。
滝本 カツアゲもありましたよね。たむろしてる高校生がこわいんだよ……。
佐藤 「ヤンキー! カツアゲ! 汚い!」がゲーセンのイメージ。
めろん そういうイメージを持ってるのはだいたい40代以上だよね。
ロベス ずっと昔、『クレージー・クライマー』(日本物産 1980年)をやってる人の横で、クジつきのアイスを食べてたんですよ。棒に当たりとか書いてあるやつ。途中まで食べたらハズレっぽかったので、「こりゃ、見込みないなあ」って言ったら、ゲームやってる人が自分のゲームスキルのことを言われたと勘違いして、ケンカをふっかけられたことがありました。
pha 僕も『鉄拳3』(ナムコ 1997年)で同じ相手に20連勝くらいしたら、その相手がキレて筐体をこっちに倒してきて、押し潰されそうになったことがあります。
めろん どれも狂ってる(笑)。
滝本 昭和は殺伐とした時代でしたね。
佐藤 アンケートを見てると、「ゲーセンにまつわるエピソード」の大半がトラブルですよ。やれカツアゲだとか、やれリアルファイトだとか……。
ロベス でもカツアゲって、実際にされたことはないですよね。
pha ないですね。
滝本 僕はありますよ! 小学生の頃、北海道の江差の生協にゲームセンターがあって、そこで高校生にからまれて、1人あたり50円くらい取られました。まわりの友人たちは払っていましたが、僕は「絶対払わないぞ!」って必死に抵抗しました。集団意識には呑まれないぞと。
めろん 俺も姫路のゲーセンでカツアゲされたことがあったけど、「カネ持ってないです」って言ったら大丈夫だった。
佐藤 なにこの、北海道と関西の温度差。
pha アンケートを見たら、「カツアゲにあった際、『ゲームで俺に勝ったらお金あげますよ』といったら、ドツかれて金取られて終了した」ってあります。
佐藤 こっちはカツアゲじゃないけど、「60代カップルのオジイの方が、ギブスにも関わらずめちゃめちゃ両手をつかってプレイしているのをみて、あ〜シゴトは当たり屋なんだななるほどねと思った」と。
滝本 アウトサイダーな世界ですね。
pha こちらは年齢が50代以上の、ペンネーム、犬飼博士の回答です。「出禁になったことがある」とのことです。
佐藤 なにをしたんだよ博士……。
(注※犬飼博士さんはeスポーツプロデューサーである)

 よみがえる昭和の狂気

滝本 たしかに「あの頃」のゲーセンは怖いところでしたが、今よりもゲームという存在がキラキラしていた気がします。『ワルキューレの伝説』(ナムコ 1989年)のグラフィックの圧倒的な綺麗さと音質に、当時の僕はときめきました。
佐藤 僕はそれ、PCエンジン版(ナムコ 1990年)でやりました。
めろん 佐藤さん何歳だっけ?
佐藤 41歳です。1980年生まれ。
pha 僕が43歳。1978年生まれ。
滝本 僕もphaさんといっしょです。
めろん 俺は47歳で、1973年生まれ。ロベスさんは?
ロベス あ……年齢非公表なんで。
めろん えええ(笑)。
ロベス でもみなさんとそんなに変わりませんよ。僕が子供のときは『ハイパーオリンピック』(コナミ 1983年)をやってましたからね。めっちゃ連打が必要だから、みんなで金尺を持ち出して……。
滝本 『ハイパーオリンピック』って、ゲーセンだったんですか?
めろん ファミコンの印象が強いけど、アーケード版の移植なんだよ。
滝本 知りませんでした。
めろん ファミリーコンピュータが出たのが1983年。それ以降から、ゲーセンに対する思い入れが人によって大きくちがってくるかもしれない。俺はゲーセンもファミコンも両方やってたけど。
ロベス ファミコンを何歳のときに買ってもらえたかで、その後の文化が変わりますよ。エッセイにも書いたけど、ウチはしばらく買ってもらえなかったので、ファミコンを持ってる友だちの家でやったのが原体験です。「すげえ、まるで家がゲーセンだ!」ってショックを受けて、ファミコン版の『マリオブラザーズ』(任天堂 1983年)をやりまくった思い出があります。たしかにそれくらいから、ファミコンが中心になってゲーセンに行かなくなったかもしれません。
めろん 俺ん家はゲームだらけだったから、友だちが入り浸ってたなあ。そういえば実家の近所に『うかいや』っていうドライブインがあって、筐体がたくさん置いてあったんだけど……。
ロベス 当時はいろんなところに筐体がありましたよね。
めろん あるとき友だちから、「無限にゲームができるよ」って教わってさ、それが、ライターの火花をコインの投入口に入れると、クレジットが無限に増えるっていう方法なの。
滝本 めろんさんの育ちの悪いところが出てきた。
佐藤 犯罪自慢だ。
ロベス 電気を使って機械を誤作動させるって、『ゲームセンターあらし』(小学館 1978年)に出てくる秘技、エレクトリックサンダーとおなじ理屈じゃないですか(笑)。
めろん それをやろうとした覚えがある。やらなかったけど。
滝本 僕も当時、その方法を聞いたことがあります。本当にできるんですか?
佐藤 都市伝説かも。
滝本 ネットのない時代でも、口コミの伝播はすさまじいものだったんですね。北から西まで、おなじ噂がとどいていたわけですから。
めろん そのビリビリって電流を発生させる機械、100円ガチャに入ってなかった?
一同 あった!
ロベス なんであんなものがガチャに入ってたんでしょう。意味がわからない。
滝本 闇ですよ昭和は。さすが飛行機の中でタバコを吸える時代だけあります。

 ゲームセンターと人間関係

佐藤 そういえば昭和のゲーセンって、対戦格闘ゲームがまだありませんよね。
pha 『ストリートファイターⅡ』(カプコン 1991年)が大ブームになったのは、僕が中学生の頃でしたね。初代『バーチャファイター』(セガ 1993年)がそのちょっとあとですが、どっちも平成に入ってからなんですよね。
めろん 今回の『TOKYOHEAD NONFIX』を書くにあたって取材したとき、町田の聖地って呼ばれてた『アテナ』ってゲーセンの名前がよく出てきて……。
滝本 大学が町田の近くにあったので、もしかしたら行ったことがあるかもしれません。
めろん 『アテナ』はもともと、やばいスコアラーがたくさんいることで有名な店だったんだ。
佐藤 スコアラーっていうのは?
めろん ハイスコア(高得点)を競う人たちのこと。格ゲー以前の80年代は、ハイスコアを競うことがメインだったわけ。
佐藤 それはシューティングゲームで競うんですか?
めろん 一番有名なのは『スペースインベーダー』(タイトー 1978年)だよね。同時代にはじまった『ゲームセンターあらし』も、スコアを競うマンガだし。俺は『ゲームセンターあらし』が好きだったんだけど、単行本を買うと、マンガに出てくるゲームの攻略情報がちょっとだけ載ってるんだよ。みんなそういうのをチェックしてハイスコアを目指してた。
佐藤 僕がファミコンをやってた頃にも、シューティングゲームで点数を競うマンガはありましたけど、全然興味なかったですね。
めろん もう少し時代が下って『ファミコンロッキー』(小学館 1985年)くらいになると、点数よりゲームをクリアすることがメインになってくる印象があるかも。ゲームをクリアしたあとで「ウイニングカセット!」みたいな。
pha なんですかそれは。
めろん そのマンガの主人公、帽子にファミコンのカセットが刺さってて、クリアしたら「ウイニングカセット!」って叫んでカセットを空に投げるんだ。
pha 聞いても意味がわからない(笑)。
めろん あれ? もしかしたら……『ファミコンロッキー』じゃないっぽい……検索したら出てきたわ。『ファミコンCAP』(小学館 1986年)だったわ。俺、今日までずっとかんちがいしてた。どうりで友だちと話が合わないと思った。
佐藤 僕は『ロックンゲームボーイ』(講談社 1989年)が好きでした。ゲームボーイっ子だったので。
めろん そう考えたら、ゲームじゃなくてゲームセンターをテーマにしたマンガって、『ゲームセンターあらし』以降は、『ハイスコアガール』(スクウェア・エニックス 2010年)まで一気に飛んじゃうのかな。いやまてよ……『ゲームセンターあらし』のオマージュで『アーケードゲーマーふぶき』(アスキー 2000年)があったな。
佐藤 アンケートを読んでも、「ゲーセンが描かれたおすすめのマンガ・小説・映像作品」の項目は、ほとんどが『ハイスコアガール』と『ピコピコ少年』(太田出版 2007年)ですね。押切蓮介さんが無双してる。
ロベス あとは大塚ギチさんの『トウキョウヘッド 19931995』(アスキー出版局 1995年)がいくつかある感じです。
滝本 1人だけ『エアマスター』(白水社 1996年)を挙げている方がいますね。「14巻の駒田シゲオVS.ジョンス・リー戦アツいです」とのことです。言われてみれば『エアマスター』が、もっとも『バーチャファイター』を描いているマンガかもしれません。
佐藤 でもやっぱり一番メジャーなのは『ハイスコアガール』かなあ。
pha 作者の押切さんは僕とほぼ同年代の1979年生まれなので、描いてるゲーセンの風景がまさに、「完全にわかる……!」という感じなんですよね。あのマンガみたいに女の子は全くいなかったですが。
佐藤 あのマンガが描いているのが、まさに「あの頃」のゲーセンですよね。
めろん でもなかなか、「あの頃」の共有がむずかしいんだよね。年齢が下になればなるほど、どんどん理解されなくなってくる。俺たちより上の世代に、ボーリングブームがあったでしょ? でも俺らにとってボーリングはダサくてマイナーなものじゃん。
pha そうですね。「おじさんたちが好きなもの」ってイメージですね。桑田佳祐とか『20世紀少年』(小学館 1999年)とか。
めろん だからゲーセンも、下の世代からすれば、「おじさんたちが好きなもの」なんだよ!
ロベス 実際そうなってるから否定はできない(笑)。
滝本 ゲーセンは下火かもしれませんが、ゲームは市民権を得ましたよ。eスポーツもはじまったから、古びないどころか未来は明るいかもしれません。
めろん でもeスポーツになったら、ゲーセンとは文化がちがうんだよなあ。ストリート感がうしなわれる気がする。
佐藤 ギチさんの『トウキョウヘッド』も、めろんさんの『TOKYOHEAD NONFIX』も、どちらもゲーセンを主戦場とした人間関係の話でしたね。
ロベス あとゲーセンには、「こんなことやってなんの意味があるんだ?」って問いがつねにあるけど、eスポーツにはありません。スポーツというのは一種の利権であり職業ですからね。「意味ある?」って自分にツッコミを入れながら、それでも夢中になってしまうのがゲーセンという文化だという気がします。古い感覚なのかもしれないけど。
pha 『ストⅡ』のキャッチコピーである、「俺より強いやつに会いに行く」じゃないけど、すごい相手と戦いたいっていうワクワク感が、ゲーセンに集まる理由のひとつになってたのはわかります。たとえば『TOKYOHEAD NONFIX』を読んでおもしろかったのは、各地にバーチャの猛者たちが集まる、「虎の穴」みたいな部屋がたくさんあったこと。なんて名前でしたっけ?
めろん 人間学園。原黒部屋。あと豪傑部屋ね。
佐藤 ネーミングセンスがひどい。
pha 行き場のない若者たちが強い相手を求めて、知り合いの部屋とかゲーセンにたむろしているのが印象的でした。今の子たちはどうなんでしょうね。
めろん それで思い出したけど、「川崎市中1男子生徒殺害事件」が2015年にあったでしょ。被害者も加害者も、親が夜にいなかったりして行き場がなくてさ、ゲーセンに入り浸ってるところで知り合うんだよ。みんなで『機動戦士ガンダム バトルオペレーション』(バンダイナムコゲームス 2012年)やってんだよね。『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社 2017年)はトラウマになりそうになるからおすすめです。でもさ、みんなもゲーセンに入り浸ってなかった?
佐藤 僕はちゃんと家にいました。
めろん 俺は毎週ゲーセンに通ってた。『TATSUJIN』(タイトー 1998年)とか、『グラディウスII GOFERの野望』(コナミ 1998年)とか、ずーっとやってたよ。あとエロ麻雀やってる人の後ろにはりついて、脱衣シーン見てた。『スーパーリアル麻雀 PⅡ』(セタ 1987年)、『スケバン雀士竜子』(セガ 1988年)……。

 そして『バーチャ』へ

pha 今、ゲーム年表を見つけました。わかりやすいのでリンクを貼りますね。
滝本 この年表によれば、僕の生まれた1978年は『スターウォーズ』が公開された年ですね。『スペースインベーダー』が稼働しています。
佐藤 僕の生まれた1980年はジョン・レノンが殺されて、『パックマン』が出てます。あ、『ドルアーガの塔』(ナムコ 1984年)は記憶にありますよ。親戚の家のリビングに筐体があったので。
めろん まじか(笑)。
ロベス 『ドルアーガの塔』はものすごく流行ったし、僕もやりました。でもあれ、妙なゲームなんですよね。ゲーム内で完結するんじゃなくて、クリアするためには「○ボタンを押す」とか、「レバーを一定方向に何度も動かす」とか、そういう特殊なことをしないと先に進めないんです。
佐藤 ずっと疑問だったんですが、ネットもない時代にどうやって攻略したんですか?
めろん 当時は閉鎖的だから、みんなに攻略を教えるって感じじゃなかった。隠すんだよね。『ドルアーガの塔』もスコア要素あるから。
佐藤 『TOKYOHEAD NONFIX』にも、そんなシーンがありましたね。うっかり攻略を漏らしちゃって仲間から干されるっていう。
滝本 それにしても年表を見ると、『ドラゴンバスター』(ナムコ 1985年)、『魔界村』(カプコン 1985年)、『源平討魔伝』(ナムコ 1986年)、『R-TYPE』(アイレム 1987年)……。名作の密度がやばいです、80年代。
佐藤 どれも家庭用ゲーム機でしかやったことないなあ。
滝本 僕も本格的にゲーセンに通うようになるのは大学に入ってからですよ。中でも一番ハマったのは、『Dance Dance Revolution』(コナミ 1998年)です。
pha 『DDR』は流行りましたねえ。
佐藤 プーチン大統領の豪邸に、『DDR』専用の部屋があるんですよね。
滝本 町田のゲーセンで『DDR』するのが、僕の大学時代の唯一の楽しみでした。
めろん 滝本さん、『アテナ』には行ってた?
滝本 大学1年のころちょっとだけ町田の古本屋でバイトしてたことがあって、『アテナ』かどうかわかりませんが、いろんなゲーセンに行きました。青春だなあ……。
めろん 『アテナ』は町田駅からちょっとはなれたところにあったんだ。
佐藤 よくそんな辺鄙なところが、『バーチャファイター』シリーズの人気に火をつける店になったものですね。

『トウキョウヘッド』と『TOKYOHEAD NONFIX』

めろん そういえば、俺の書いた『TOKYO
HEAD NONFIX』はどうでした?
滝本 この座談会のために、僕たちは先に読ませていただきましたが、おもしろかったです。
佐藤 ギチさんの書かれた『トウキョウヘッド』を彷彿とさせる文体で、知るはずもない「あの頃」の東京にいるような、新鮮な読書体験でした。
めろん 『トウキョウヘッド』は、『バーチャファイター2』(セガ 1994年)が流行ったまさに「あの頃」に出たこともあって売れたらしいよ。でも結局、ギチさんから最後まで部数を聞かなかったんだよね。かなり売れたらしいんだけど。
pha 僕も読んだことはなかったけど『トウキョウヘッド』っていうタイトルは知ってましたね。
めろん あと『ファミコン通信』(現・ファミ通)でも連載されてたし。
佐藤 僕は当時、『ファミ通』を毎週買ってたので、新聞連載みたいな気分で『トウキョウヘッド』を読んでました。あれは『ファミ通』の連載を本にまとめたものなんですか?
めろん じつは佐藤さんが読んでたやつは、『トウキョウヘッド』の別バージョンなんだよ。
佐藤 ええ! 今日までずっと、あれが本編だと思ってた。じゃあ僕、連載バージョンしか読んだことないかも。
めろん そういう人も多いみたい。俺もあの連載がなんなのかよくわかんなくて。
佐藤 めろんさんはギチさんと親交が深かったわけですが、あれについて本人から聞いたことは?
めろん 事務所にいたコヤマシゲト君に聞けばわかるかもしれない。
佐藤 今ざっと調べたら、タイトルが微妙にちがう『東京ヘッド』とか、復刻版の『TOKYOHEAD RE:MASTERED』とか、あと完結編もあるっぽいですね。バージョンちがいがこんなにあるとは。
めろん 大丈夫! 今回の『TOKYOHEAD NONFIX』にあわせて、ギチさんの『トウキョウヘッド』も復刊するんで! セットで読んでもらったら、いろんなことがわかるよ。『TOKYOHEAD NONFIX』は、ギチさんの作った世界観に構造を合わせたり、文体を寄せたりと、めっちゃ仕掛けを入れたからね。書くのはマジで大変だったけど! あとがきにも書いたけどさ、ギチさんが遺したものは『バーチャファイター』のプレイヤーたちのインタビューテープだけだったから。
佐藤 それだけ?
めろん それだけ。ギチさんは原稿を1文字も書いてない。
佐藤 ってことは、作品の設計図はまっしろですよね。どうやって作り上げたんです?
めろん 最初は普通にひとりずつインタビューまとめてドラマ書いていったんだけど、どうしてもまとまらなくて。このままじゃやべえぞ……ってことになって、ちび太さんっていう有名なプレイヤーの物語を前後編にして、そのあいだにほかのプレイヤーの物語とインタビューをはさむというやりかたならまとまるかなと思って。ちび太さんのインタビューとれたのが一番最後だったから、ほんとにギリギリまでやばかった……。
佐藤 それはギチさんのプランなどを参考にしたわけじゃなくて?
めろん 『トウキョウヘッド』の構成は借りたけど、あとは俺が考えた。インタビューのテープ、すごいからね。酒飲んでしゃべってるだけ。
佐藤 なるほど。ギチさん本人は、プランを組み立てる前に亡くなられたと。
めろん いや、プランはあったみたい。『バーチャ』の20年分の歴史をまとめるために100人にインタビューするとか言ってたからね。だからギチさんが生きてたらまだ本になってないよ(笑)。
佐藤 話をうかがっていると、伊藤計劃さんが書いた冒頭部分をもとに、円城塔さんが『屍者の帝国』(河出書房新社 2012年)を書き上げたのとおなじレベルという気がしました。つまり、「ほぼほぼ自分で考えた」と。
めろん そういう意味じゃ、俺は大塚ギチ本人じゃないから、『バーチャ』中心の構成で作った本がどんなふうに読まれるのかまだイメージできなくて。『バーチャ』を知らない読者が、『TOKYOHEAD NONFIX』を読んでどう思うのかってのがイメージできない。
ロベス 僕、『バーチャ』はセガサターン版でしかやったことがなかったんですが、当時のゲーセンの空気感はわかるので、読んでいるうちにセンチメンタルな気分になりました。
pha 僕は『トウキョウヘッド』を読んだことがなかったけど、ゲーセンのことを知らない人にも楽しめるものになってると思いました。居場所のない若者が街をさまよって、自分と似たタイプの人間が集まっている場所を見つけて、仲間やライバルができて成長していく、というのは、普遍的な物語ですし。
滝本 漢たちによる戦いを重層的に描くことで、ひとつの時代を切り取った群像劇になっています。
ロベス しかもその物語パートのあとで、「あの頃」を終えた彼らのインタビューが入るじゃないですか。そこがよかった。大人になってたり、なってなかったり……。
めろん ちび太さんもね、30歳すぎてんのに「神」や「鉄人」にこだわっててすごいよ。あと今、ロベスさんがサターン版でしかやってないって言ってたけど、ぶっちゃけ俺も似たようなもので、『バーチャ』があんまり強くないんだ。
佐藤 エリーツ全員そうですよ。今回の企画に合わせて、『バーチャファイター決定戦』をやったけど、みんなジャッキーのサマーソルトキックしかやらなかった(笑)。
めろん そんなわけで今回、ゲームの描写をバリバリやったわけじゃないんだよ。でもおもしろいことに、『バーチャ』にまつわる人間関係をしっかり書いたら、『トウキョウヘッド』になってるんだよね。『トウキョウヘッド』ってのはゲームの物語だけど、それと同時に人のつながりの物語なんだってそのときに気づいた。もちろん、監修に入ってもらったトッププレイヤーのSHUさんには、バトルシーンから事実関係まで、かなり細かくチェックしてもらったけども。だいたいギチさんの『トウキョウヘッド』に事実関係のミスがあるんだよね(笑)。
pha 『TOKYOHEAD NONFIX』は、時系列や事実関係をかなりきっちりチェックしてますよね。これ書くの大変だっただろうなー、と思いながら読んでました。
佐藤 僕はルポルタージュに近いと思いながら読みました。印象的だったのは、『バーチャーファイター3』(セガ 1996年)の話です。ほら、『バーチャ』がコケたのは『3』のせいって意見が一般論じゃないですか。でもここに出てくるプレイヤーのほとんどが、『バーチャファイター5』(セガ 2006年)が悪いと言っていたのが意外でした。
ロベス 『バーチャ』シリーズは、よくも悪くもシステムの進化や変化がおもしろいのに、『バーチャファイター4』(セガ 2001年)から『5』はなにも変わってないってみなさん言ってましたね。
めろん 俺は今回、エビデンスをとろうと思ったんだよ。どのシリーズが何本売れてるのかがわかればすべて明確になるからさ。ところがゲーセンの筐体って、売上データが公開されてないの。
佐藤 そうなんですか?
めろん 数字さえわかれば、どれがヒットしてどれがコケたのか一目瞭然なんだけど、その数字がまったく出てこなかった。とはいえ『2』が一番売れてるし、『3』で一時期下火になったのは事実だと思うよ。そのあと『4』が実は一番ブレイクしたらしい。

 『トウキョウヘッド』は終わらない

滝本 僕がもっとも気になったのは、めろんさんとギチさんの関係ですね。お二人が出会っていなければ、この作品は生まれなかったわけですし。ちなみにギチさんは、『トウキョウヘッド』を何歳のときに書かれたんですか?
めろん 19歳か20歳。若すぎなんだよ。
滝本 『TOKYOHEAD NONFIX』のあとがきで一番おもしろかったのは、まだ若い頃のめろんさんが、はじめてギチさんと会ったときの話ですね。めろんさんが「小説家になりたい」となにげなく言ったら、ギチさんがいきなりブチギレて、「俺はおまえみたいなやつが大嫌いなんだよ! おまえみたいなワナビーを100人くらい見たけど、 全員口だけで小説なんて書いてきやしねえ! おまえもそうだよ!  一生口だけなんだろ?」って言ったところ(笑)。
pha 僕は大塚ギチさんってよく知らないんですが、どういう人なんですか?
めろん アンダーセルっていう会社の社長で、そこにはコヤマシゲト君とか西島大介さんとか、いっぱい面白い人がたんだよ。
滝本 僕は『NHKにようこそ!』のマンガ版のときに何度かお世話になりました。
ロベス ずっと前にアンダーセルとお仕事させていただいたことがあります。でも、ギチさんとは結局一度しかお会いできませんでした。
佐藤 僕も一度きりでしたけど、ギチさんとは生まれ故郷が本当に近かったので、地元の話をしたような気がします。あと僕はそのとき小説家だったから、ギチさんはとても優しかった。
めろん ワナビーじゃなかったから(笑)。
滝本 ギチさんって、小説にものすごいこだわりがありましたよね。
めろん コンプレックスの裏返しだと思う。ずっと本が書けなかったから。
佐藤 結局、『トウキョウヘッド』しか書けなかったんですか?
めろん たしか『ジョジョの奇妙な冒険』(集英社 1986年〜)のノベライズもやってたような? そのあと『フォー・ザ・バレル』(角川書店 2000年)っていう、ガンダムの外伝的な話を『Newtype』で連載したんだよ。コヤマ君がイラストを担当してさ。
滝本 聞いたことがあるかもしれない。
めろん 結局、本にはならなかったんだよね。連載の後半なんてすごいよ。馳星周から影響を受けすぎて、「〜だった」で全部まとめちゃってるから。あとは『ダライアス』(タイトー 1987年)のスコアラーを題材にした、『THE END OF ARCADIA』(アンダーセル 2013年)って本を自分で出したりはしてた……あ、それからなぜか近年になって『トウキョウヘッド』は舞台になったんだよ。
佐藤 舞台?
めろん そうなんだよ。ヨーロッパ企画の上田誠さんから「舞台にしたい」って話がきて、たしか吉沢亮主演で2015年に舞台化したんだよ。今考えたらすごいよね。ほかにもドラマ化の話もあったみたい。確実に波がきてた。なのに死んでしまった。
佐藤 もったいない。もっとたくさん『トウキョウヘッド』で食えたのに。
めろん いやあ、忸怩たる思いはあったでしょ。だって自分が20代のときの仕事で食うなんてさ……。
佐藤 だいたいの人はそうですよ!
一同 爆笑
佐藤 成功者の大半がそうでしょ!
めろん だよなあ。ヒットしたら、ずっとそれをコスってればいいわけだし。ギチさんは生きていれば、『トウキョウヘッド』を語りつづけることができた……。
佐藤 そして、それができるってのはすごいことなんですよ。
滝本 亡くなったあとも続編が出るなんて、その時点でもうすごいです。
めろん なんでそれを書くのが俺なんだってのはあるけど(笑)。
佐藤 縁ができちゃったら仕方ないですよ。『トウキョウヘッド』は人間関係の話ですから。
めろん 死んでも人間関係が続くのか……いつ終わるんだ。
佐藤 これからはめろんさんが『トウキョウヘッド』の語り部となって、100年続くコンテンツにしましょう。
めろん たしかに! ってわけで、『TOKYO
HEAD NONFIX』よろしくおねがいします!


(了)




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