どうすれば人に頼れるか?

ブログのほうにも書いたのですが、noteにも同じようなことを書いときます。

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僕の過去話


昔の僕は身の回りのことをすべて自分一人でできるようになるのが強い人間だと思ってました。

誰かに頼るのは弱いことだとおもっていました。

鋼のように強い人間になりたかったんです。

でも本当は、弱くて脆い自分を認めその苦労をねぎらうことが、僕には必要でした。

しかし、身の回りのすべてを一人でなんて、まだ自立できていなかった僕には、こなせるわけもなかったんです。

そしてそんな自分を責める毎日でした。

ある意味完璧主義でしたね💦

結果的に、パンクして、部屋は散らかりっぱなし、大学も行けず、レンタルDVDすら返せませんでした。

そして人に頼れないことが原因で、統合失調症になりました。

そんなにつらい思いをするまで、僕にとって誰かに頼って裏切られ自分が傷つくより、今のままの生きている実感のない人生のほうがマシだったんですよね。

人を頼るためにはどうしたらいい?


弱い人間、統合失調症を患っている人間は、勇気を出して人に頼ることが必要だと、声を大にして言いたいです。

そのためには人を信頼する必要があります。

しかし、それまで人を信じられない人がいきなり人を信じるのは難しいことです。

僕もそうでした・・・

人を信じるために、僕が思いついた二つの手段があります。

話を聞く
ほかの人に効果があるかはわかりませんが、僕のした行動を書きます。

それは、ひたすら他人の人生相談や、つらかった時期を経て幸せになった人の経験の話を聞くことです。

聞いているうちに、「ああ自分もいまの絶望を乗り越えて、あんな風に幸せになりたいなあ」「ほかにもつらい人がいるけど、必ず道はあるんだな。俺にもあるのかな?」と憧れや希望が出てきます。そのエネルギーが自分の殻を破る力になります。

参考までに僕の心に響いた動画を載せておきます。

瀬戸内寂聴の人生相談1 「娘が自殺しました」

瀬戸内寂聴さん(日本の小説家、天台宗の尼僧)

何も打ち込めるものがない、趣味がない人へ【無力感からの脱出】
みのるさん(パニック障害を経験、現在は動画はあげていない)

うつ病で仕事を頑張れない時の心の在り方
大愚元勝さん(曹洞宗の僧侶)

ぼくはできるなら絶望はしないに越したことはないと思ってますが、しかし絶望はその人の人生にとって最大のチャンスであると思ってます。

人生のつらさがわかれば他人にやさしくなれるし、乗り越えられたら絶対の自信になるからです。

ぜひそうなった自分をイメージしてほしいです。

頼れる環境を用意する
また、人を信じるには周りのサポートも必要な場合が多いです。僕も、大学の指導教員が自宅まで駆けつけてくれなかったら、人に頼る経験ができなかったと思います。

僕は人に頼るのにきっかけが必要でした。

人を頼る勇気もないし、頼れる環境もない人は、自分の行動を抑制してしまう傾向が強いのではないでしょうか?(僕がそうでした。)

安全範囲内での活動のみで人生を終えようとしてしまう。

そして、生きる熱を失ってしまう。

もしかしたら、部屋に篭りきりになったりするケースもあるかもしれません。

僕は、将来こういう人にたよる環境を用意したいとも考えています。

依存と頼るの違い


人に頼るってなんか他力本願でよくないのでは?と思う人もいるでしょう。

ここで単なる依存と頼るの違いを説明しますね。

依存
消極的に他人を当てにするのが依存です。

人生の支柱が他人になっています。

他人に期待しながら生きることです。

他人やアルコール、ドラッグ、恋愛などの刺激、自分以外がよりどころです。もしそれらがなくなれば、生きていくのが困難になるでしょう。

頼る
積極的に他人に働きかけるのが頼ることです。

勇気を出して「助けて!」と叫ぶ、主体的な行動です。

もし頼ってだめでも、次どうするかを考えます。

自分がよりどころの人は頼ることができます。

皆さんも授業受けていてわからなかったら、手を挙げて先生に「そこ、わかりません!」っていうの勇気必要じゃないですか?

おそらく、みんなに「そんなこともわからないんだ・・」とか思われたり、無視されたらどうしようとか、迷惑かなと考えたり、すると思うんですよね。

そういうリスクを背負うのが頼ることでもあります。

本当の他力本願の意味

そして、他力本願の本当の意味はまさにこの「頼る」ことだと僕は思ってます。

他力本願を唱えた、歴史上の偉人に浄土真宗の開祖、親鸞がいます。阿弥陀如来という他力の力にお任せする教えを説いた人です。

今では、他力本願には悪いイメージがありますが、それはさっきの「依存」とごっちゃになっているからだと思います。

どうしようもできない宿命や環境、世界、周囲の人に心を開くことを説かれたんだなと僕は解釈しています。

他力に頼る、心を開くのは勇気が必要です。

そのためには自力の限界を知り、自力を諦めることで僕は道が開けました。

諦めるとは、否定的な意味でつかわれることも多いですが、その語源は「明らかにする」ことだと言われています。

今まで暗闇でわからなかったことに光がさし明らかになることで、見える道があります。

僕はそのようにして、生きるのが楽になりました。


もし、この記事が誰かの生きる苦しみを少しでも減らす一助になれば幸いです。


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