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interview Stella Cole:Z世代が歌うスタンダードが届ける時代を超えた”癒し”
2020年代の、もしくはパンデミック後、興味深い流れがいくつもあった。その中のひとつがTikTokやYouTubeもしくはInstagramなどでのショート動画で人気が出たアーティストだった。その多くは20代前半。若いアーティストばかりだったが、そこで興味深かったのが、トレンドとは無縁と思われる過去の音楽からのインスピレーションだった。
例えば、レイヴェイ(1999年生まれ)。いわゆるグレイト・アメリカン・ソングブックと呼ばれる1930-1950年代ごろの映画やミュージカルにも使われていた名曲や1950年代のブラジルで生まれたボサノヴァなどの影響を消化した彼女のポップソングは若いリスナーに熱狂的に受け入れられ、ムーブメントのようにさえなっている。
またリアナ・フローレス(1999年生まれ)。ボサノヴァやジャズに加え、イギリスのトラッド・フォークをインスピレーションにした彼女の音楽もまた幅広いリスナーを獲得している。
パンデミック中に自身の表現を模索する中でノスタルジックなサウンドを巧みに取り入れた音楽は他にもいくつも出てきていた。グレイト・アメリカン・ソングブックはともすれば「保守的」とも受け止められそうなものだが、それを自分にとって「新鮮」であり、同時に「オーセンティック」なものとして解釈した彼女たちの表現は実際、どこか古くて、でも、確実に新しいものとして響いていた。あらゆるコンテンツを自由にいくらで選択でき、それらをすべてフラットに捉えることができる時代の若者にとって、グレイト・アメリカン・ソングブックもボサノヴァも新しい音楽なのだろう。
レイヴェイやリアナ・フローレスと同じように古き良きジャズのサウンドを歌い、TikTokで人気を集めている若きジャズ・ヴォーカリストがいる。それがステラ・コールだ。
まるで1950-1960年代のセピアの色のフィルムの中にいるジャズ・ヴォーカリストのようにグレイト・アメリカン・ソングブックを歌う彼女もまたレイヴェイらの同世代だ。TikTokのフォロワー数もSpotifyの月間リスナーも80万人を超える。60年も70年も前の曲を彼女はその時代のムードも意識したようにノスタルジックかつロマンティックに歌う。近年のチャートを意識して、最新の手法を導入したりもしていない。でも、そこには今の時代に歓迎されそうな何かが確実にあるのは感じられる。
ステラ・コールは2024年にデビュー作『Stella Cole』を発表した。クラウドファンディングで制作費を集めて作ったこの作品では、サマラ・ジョイのグラミー受賞作でも知られるマット・ピアソンがプロデュースを手掛け、ヴォーカリストの伴奏に定評のあるアラン・ブロードベントがピアノと編曲を担当し、ロマンティックかつオーセンティックなサウンドに仕上がった。そのムードはそのままにビリー・アイリッシュ「My Future」のジャズ・アレンジでのカヴァーが収録されているのもこの世代ならでは、だった。
この新たなスター候補はどんなキャリアを経て成功し、どんな経緯でこの音楽性に辿り着いたのか。東京と大阪での初の来日を前に彼女に話を聞いた。
取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳・執筆:丸山京子
協力:コットンクラブ、ブルーノート東京
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◉古い映画やミュージカルとの出会い
――10代の頃、どんな音楽が好きでしたか?
10代どころか、2〜3歳の頃から、ジャズ・スタンダードやグレイト・アメリカン・ソングブックが大好きで、古いアメリカのミュージカル映画ばかり観てた。『雨に唄えば』『サウンド・オブ・ミュージック』『若草の頃』『メアリー・ポピンズ』…。高校生になって、周りがテイラー・スウィフトや、ケイティ・ペリー、ジャスティン・ビーバーを聴いてた時も、私は変わらずジュディ・ガーランドやナット・キング・コール、バーブラ・ストライサンドに夢中だった。
――へー、子供のころから今のような趣味だったと。そんな過去の音楽や映画に触れるようになったきっかけは?
2歳の時に観た『オズの魔法使い』。まだ言葉も話せない頃から、映画の曲を歌ってたらしい。「『オズの魔法使い』が観たい」と毎日親にせがんで、1年間それを繰り返してた。よちよち歩きの子供ですら惹きつける何かがそこにあったんでしょうね。
――ってことはご両親が古いミュージカル映画ファンだったんですかね?
もちろん、彼らも子供の頃から親しんできたと思う。まだNetflixやAmazon Primeはなかったけど、『オズの魔法使い』や『サウンド・オブ・ミュージック』は(アメリカじゃ)テレビで年に1回とか2回は必ず放映される映画だから。でも私が『オズの魔法使い』にあまりに興味を示したので、「他にもミュージカル映画はないんだろうか?」って探して、観せてくれてた。ある意味、両親も私と一緒にその世界を知っていったということだと思う。
――子供の頃に、そういったジャズやグレイト・アメリカン・ソングブックを聴き、どんなふうに感じてたんでしょうね。
さすがに3歳の頃のことは覚えてないんだけど(笑)。中学や高校の頃に感じたのは、ストリングのアレンジがとても豊かだったことや、歌声の音色が他とは違うな、ってこと。聴くと心が穏やかになるヴィンテージ感が心地よかったんだと思う。今の音楽って「誰が一番高い音を出せるか」「誰のリフが一番派手か」ということが重視されがちだけど、私は昔のシンプルな歌に惹かれるし、自分でもそういう歌い方をしたいと思ってきた。ただしシンプルと言っても、楽曲自体がシンプルなわけではなくて、実際、ハーモニーはとても複雑だったりするから。
◉ジュディ・ガーランドとバーブラ・ストライサンド
――お好きだったボーカリストは誰だったんでしょうか?
(『オズの魔法使い』の)ジュディ・ガーランドから始まって、高校生の頃はナット・キング・コールやエラ・フィッツジェラルド、そしてフランク・シナトラの3人を一番よく聴いていた。
その後、バーブラ・ストライサンドに夢中になり、ニューヨークに移り、ジャズシーンに出入りするようになってからは、ビリー・ホリデイやサラ・ヴォーン、カーメン・マクレエといった、より本格的なジャズシンガーを聴くようになった。そしてボーカルものだけでなく、色んなタイプのインストゥルメンタルを含めたジャズを聴くように心がけた。必ずしも自分のスタイルではないとしても、学べる何かがあると思ったから。
――ジュディ・ガーランドはどんなところがお好きでしたか?
声が美しいからレコードで聴くのはもちろん好きなんだけど、それ以上に、動く彼女を見るのが好きだった。私自身も演技をするので…といってもプロの役者ではないけど、演劇学校に通ったこともあるから、パフォーマーとしてのジュディ・ガーランドにすごく惹かれてる。彼女の表情は本当に豊かで、それはバーブラ・ストライサンドと同じ。二人とも歌で物語を語ることができる。私はミュージカル映画で観る二人が本当に好き。残念ながらエラ・フィッツジェラルドがミュージカルに出ることはなかったけど、もし出ていたらきっと素晴らしかっただろうなと思う。そうやって物語に深く入り込んで、それを歌で語れるところが好き。
――バーブラ・ストライサンドはどんなところがお好きですか?
ジュディとバーブラは…と言いながら、今、ベッドルームにいるんだけど。目の前の壁に二人の写真があるの(と言って、スマホを壁に向ける)
――あ、ほんとだ。
二人の話をしながらこの写真を見てるって、なんだか不思議。彼女たちのユニークさはその歌声だと思う。聴けばすぐに「あ、バーブラ・ストライサンドだ」ってわかる声でしょ? 私も子供の頃から歌い続けてきて、大学時代も、自分の声やスタイルが周りの誰とも違うことに気づいた。でもバーブラやジュディを見ていたら「それって素晴らしいことなんだ。自分が感じるままに歌えばいいんだ」と改めて感じることができた。バーブラは誰の物真似でもなく、バーブラ・ストライサンドでい続けた。そういう点にインスピレーションを感じてる。
――特に好きな作品をあげるとしたら?
2年前くらいに出た『Live at the Bonsoir』。NYのウェストヴィレッジにある小さなクラブでカルテットと(1962年に)録音されたライヴアルバムで、コロンビアからのデビュー作になる予定だった。ところが音質が良くないという理由でボツになっていた。バーブラというと、大編成のオーケストラを従え、何千回とテイクを重ねる完璧主義者として知られている。だから100人くらいの小さなクラブで、ワンテイクで歌う自然体のバーブラを聴けるのは滅多にない機会。(デビュー作『Stella Cole』で取り上げた)ハロルド・アーレンの「When The Sun Comes Out」を初めて聴いたのも、この『Live At the Bonsoir』だった。
◉ヴォーカルを学んだこと
――さっき演劇を学んだとおっしゃってましたが、音楽はどこで学んだのですか?大学とか?
大学(Northwestern University)では副専攻みたいな形でミュージカルシアターの資格を取得したので、音楽を学ぶというよりは、「歌を通して演技する」ことを学んでいた。なので、本当の意味では、大学卒業後にNYで暮らすようになった2年間、ジャムセッションに顔を出し、朝4時まで演奏を聴いたり、ミュージシャンやシンガーと知り合ううちに音楽やジャズを学んでいった。そしてNYのバーで夜中4時間、毎晩演奏をしていた。ギャラは50ドルと安かったけど、そこでたくさんのことを学んだ。
それに…この話はいつもするので正直に話すけど、在学中は歌に挫折をし、何年間かまったく歌ってなかった。声楽の先生から「君の声は売れる声ではない」「君がやりたい音楽はもう需要がない」と言われ、ポップシンガーに転向しようとした時期もあった。でも好きじゃないことはできないと思い、大学の数年間、歌うのを辞めた。だからまさかこうしてプロのシンガーになるとは思ってもみなかった。
――えー、それはひどすぎる。でも、ボーカルコーチについて習ってはいないとここまでうまくジャズは歌えないと思うんですよ。
ええ、最初のコーチは、さっき話した「私に歌うことを諦めさせた人」(苦笑)。その後、また歌うようになったのはコロナ禍、SNSで自分の動画をあげるようになってから。その頃、NYにいるジョーン・レイダー(Joan Lader)という超有名なボーカルコーチのZOOMレッスンを受けた。彼女はブロードウェイのあらゆるシンガーを教えているレジェンド。ボーカルコーチでトニー賞を受賞したのは彼女ただ一人。彼女から歌うことの全てを教えられた。今、週6〜7日ペースで歌い、しかもそのうちの5日は飛行機の移動だったりする中で、ジョーンの教えがなければ到底スタミナは持たなかった。彼女はとにかく誰かを真似することなく、自分らしく歌うことを推奨してくれた。インスタグラムのフォロワーが少しいる程度の大学生の私が、ジョーンのレッスンを受けられたことは本当に光栄としか言いようがない。
――ってことはつまり、ジャズに関しては、NYのジャムセッションで歌うことくらいしかしていない、いわゆる”叩き上げ”ってことですね。すごい。
ええ、それに近い。数ヶ月だけ、ジョーンの紹介でラターニャ・ホール(La Tanya Hall)について学んだ以外はね。彼女は素晴らしいジャズシンガーで、オーバリン大学のジャズプログラムで教えている人。ジョーンから発声の配置とか呼吸法といった技術的なことを学んだとしたら、ラターニャからはスウィングや即興、スキャットを教わった。私、即興やスキャットはあまり得意じゃないので、何度も歌わされたし、聴くべきアルバムを教えてもらった。あとは出会ったミュージシャンたちから教わって、聴くアルバムやシンガーから学んだかな。
◉TikTokをはじめたきっかけ
――音大のジャズ科でジャズを勉強してジャズのシーンに入っていく人が多い中、そうじゃなかったのはすごいです。ギャラが安かったみたいですが、ということは昼間に働きながら夜に歌っていたりしたのですか?
ええ、しばらく犬を散歩させる仕事をしてた。NYに出てきたばかりの頃に住んだアパートはとにかく小さくて、廊下のようなところで寝泊まりしてた。だから稼ぎもなかったけど、出ていくお金もなかったので、昼は犬の散歩のバイトをしたくらい。夜になるとレストランやバーで歌ってた。いろんなところに「NYに出てきたばかりのシンガーです。どうか私を雇ってください」ってメールやDMを送り、普段は生演奏をしない所にも売り込んだ。どこでもいいから歌いたい一心だったから。
――すごい話。それってTikTokとかやる前の話ですか?
詳しく順を追って説明すると、大学3年の時にコロナで全てがロックダウンになり、授業もZOOMになった。でもZOOM授業にお金を払うのもなんだか馬鹿らしい気がして、半年間休学したの。
そんな時、父と散歩をしながら「しばらく歌っていないのが寂しい」と話したら、「YouTubeに動画をあげたらいいんじゃない?」と言われて。最初は恥ずかったけど、やってみたら、1ヶ月後には再生回数が何百、何千回と増えていった。でもまだ21歳の大学生にとってTikTokはあくまでも趣味で、それをキャリアにしようとは思ってなかった。正直、ジャズシーンなんてものがあることすら知らなかったし。こういう音楽は私が勝手に一人で夢中になっていることで、私の歌を聴きたい人なんてどこにもいないと思っていた。だって大学ではそう言われ続けてきたから、そう思い込んでた。NYに出ていった時、TikTokではフォロワーが20万人、インスタグラムでは2万人くらいいたので、「少しは私の歌を好きな人がいるはず」と思うようになっていた。だから。ホテルやレストランで歌おうと思ったってこと。というかジャズミュージシャンとしてツアーをする選択肢があるなんて、当時の私は考えてもみなかった。すべて手探りで一歩ずつやった、という感じ(笑)
◉NYのジャズ・シーンへ足を踏み入れたこと
―― NYではどんな所で、どんなミュージシャンと歌っていたのですか?
Mezzrowの Singers' Jam Sessionにいつも行ってた。あとはもちろんSmalls。1st EPを出した直後のサマラ・ジョイもMezzrowで歌ってた。私はNYに来たばかりで、彼女はちょうど注目され始めていた頃。以来、彼女のライヴはたくさん観た。サマラが初めてブルーノートに出たのも観ている。それ以外だと…今も親友のジョー・ブロック(Joe Block)。同じ25歳でジュリアードを卒業したピアニスト。NYに来て最初に一緒に演奏したのがジョーと、彼のジュリアードからの友人のサックス奏者だった。彼らがきっかけでジュリアードのジャズ科の学生と大勢知り合いになることができた。「ジュリアードみたいな素晴らしいジャズプログラムを受けてる彼らが、どうして私なんかが?」と少し気後れしていたくらい。そうやって同世代の、私にとってはこれまで聴いた中で最高のミュージシャンたちと友達になり、彼らの演奏を聴きに行くようになった。他にもバードランドやヴィレッジ・ヴァンガードにもよく行った。NYには素晴らしいクラブがいっぱいある。生演奏が聴ける所にはどこだって行ける限り、足を運んでいた。
――全部一歩一歩前に進んでいたって話で本当にすごいです。ところで、最近、エメット・コーエンの動画に出てましたね?
ええ、この月曜日にEmmett's Placeに出たばかり。前に出た時は、「予定していたシンガーがドタキャンになったんで来て歌ってもらえないか?」と1時間前くらいにメッセージがあって。公園でランニング中で汗だくだったんだけど「行くから待ってて!」と返して大慌てで向かったのを覚えている(笑)。なので、今回がオフィシャルな出演としては初めてってことになる。
エメットの他は、ベースは前にも共演したことがあったフィル・ノリス、ドラマーは私のバンドのハンク・アレン・バーフィールド。彼も最近ジュリアードを卒業したばかり。最高のバンドだった。ある意味、私もエメットと似た経歴だと思う。彼はYouTubeというソーシャルメディアで今のキャリアを築き上げたわけで、そういったプラットフォームを使えることで、ここまで多くの人に音楽を届けられるのは本当にすごいことだと思う。
◉古いスタンダードがTikTokで歓迎された理由
――あなたがYouTubeやTikTokにあげた動画のほとんどは、今のチャートと関係ない古いスタンダードをシンプルに歌ったものです。YouTubeやTikTokでも変わったコンテンツだと言えます。それであれだけの人気を獲得できたのはなぜだと思いますか?
正直、いまだに「私のあげたバカみたいな動画がなぜ受けたんだろう?」って不思議に思ってる!でも書き込んでくれたコメントを読んだり、ショーの後や街で実際に会った人たちに言われて思うのは、私の音楽を「癒し」だと感じてもらえている…ということ。
――癒しですか。
ここ5年くらい、特にコロナ以降、世界中でストレスの多い出来事が続いていて、私が歌手として知られるようになったのもコロナ禍だった。人は、常に癒しを必要としていると感じる。12月のショーでは、癌と闘病中だという人から「今日を励みに闘病を頑張ってきた」と言われ、私にとっても特別な夜になった。そんなふうに言われると涙が出そう。だってミュージシャンにとって、人を元気づけたいことは唯一の願いだから。音楽で人に喜びを与えられるなら、それが私の目標。それに、いわゆるグレイト・アメリカン・ソングブックは親や祖父母を思い出させる音楽で、子供の頃に聴いていたけど忘れていた、という人もいる。若い世代だと「これ、何ていう音楽?」と名前すら知らなかったり、「ジャズはエレベーターでかかる音楽だ」と思い込んでる人も多い。そんな中から、私の歌をきっかけに曲を調べて、エラ・フィッツジェラルドやチェット・ベイカー、マイルス・デイヴィスにたどり着くなら、嬉しいこと。だって、ジャズもグレイト・アメリカン・ソングブックも時代を超えた良い音楽だから、それまで触れる機会がなかった人も含め、誰が聴いても、嫌いだという人はあまりいないはずだから。
◉同時代のポップソングをレパートリーにすること
――加えて、マイリー・サイラスをはじめ若い世代が共感できる曲のカバーもやってますよね?そういった若い感性があったことが、あなたが成功した理由なのではないかと思うのですが、どうですか?
それは絶対にあると思う。でも、そのカバーをしてたことは忘れてた(笑)。Postmodern Jukebox との「Flowers」のカバーはすごく好評だったし、アルバムでもビリー・アイリッシュ「My Future」のカバーは人気曲の一つ。新しい曲をジャズアレンジで、ちょっとヴィンテージ感を出すのは、まさにPostmodern Jukeboxがやっていること。プロダクションをシンプルにすることで、歌詞が際立ち、より届くんだと思う。同じ曲だけど、違って聴こえてくるっていうか。
――ビリー・アイリッシュ「My Future」にはジャズとの親和性を感じてたのですか?
ええ。でもあれをやったのは、プロデューサーでマネージャーのマット・ピアソンのアイデア。彼はグラミー受賞経験もあるベテラン・プロデューサー。そんな彼と仕事が出来たなんて、本当にラッキーだった。最初、言われた時は「ビリー・アイリッシュ?私が歌うのはコール・ポーターやガーシュインの曲なのに」と思った。でもビリー・アイリッシュとフィニアスが書く曲は昔から大好きだった。ただ、自分が歌うとは思ってもみなかった。もちろん今じゃ大好きな1曲。現代のラヴストーリーだという点で、タイムレスな物語を歌った他の曲を引き立てる、いいアクセントになっていると思う。
――では、TikTokにあげていたセレステ「Strange」は?
大好きな曲。『Ted Lasso』(TV番組)で聴いて以来、何週間も頭から離れなかったから。セレステは素晴らしいアーティスト。いずれちゃんとカバーし直したいと思ってる。やったのは2021年とか…ちょっと前のことだから。
――他にもTikTokにはありましたよ。すごく前だとアデルとか。
ちょうど大学のボーカルコーチに「ポップスを歌うべきだ」と言われてた頃にやった曲。アデルやセレステのようなポップなスタイルは、割と私は得意なんだけど、そういったものも含め、今後私の音楽がどんな方向に進んでいくのか、自分でも楽しみ。最近、オリジナルも書き始め、ジャジーだけどモダンな曲を、ポップソングも含めて書いているところ。リリースするかどうかは分からないけど、自分では興味深い挑戦だと思う。私自身はレトロで40年代や50年代のものが大好きだけど、同時に2025年を生きる25歳でもある。今の時代の影響も確実に混ざり込んでくるものだから。
――レトロだけど、今の時代も入り込んでいると言えば、レイヴェイの曲「from the start」もカバーしてましたよね。彼女もグレイト・アメリカン・ソングブックが好きだし、あなたと同世代。彼女へのシンパシーを感じますか?
ええ、レイヴェイは大好き。というか、大ファン。彼女がスタジアムを満杯にしてるのを見るとすごいなって驚かされる。だって若い子たちが「It Could Happen To You」(1944年に書かれたポピュラーソング)を一緒に歌ってるんだから。ジャズが再びクールな音楽だと見なされていることの証拠だと思う。これってすごく素敵なこと。私がTikTokで動画をあげ始めた頃、レイヴェイには既に8万フォロワーくらいいたけど、相互フォローしてたし、互いの動画にコメントをし合っていた。お互い、コロナ禍の大学生だった2021年の話。私はそんなレイヴェイやサマラからは大きな刺激を受けるし、「自分のやっていることもキャリアになるのかもしれない」と思える勇気をもらえた。だから、私は彼女を心からリスペクトしてる。
◉オーセンティックの魅力とヴィンテージへの愛着
――あなたやレイヴェイに共通するのは70〜80年も前の古い曲にインスパイアされていることで、それを若い人たちが熱心に聴いていることです。これってすごく面白い現象だと思うんです。そんな古い音楽に影響された音楽の何が人々の心を捉えているんでしょうね
理由はいくつかあるけど、一つは、巷の音楽とは違うから。ポップミュージックはプロデュースされ尽くされていて、ミュージシャンが全員スタジオに集まって演奏するなんてことは、滅多になくなってしまった。もうそういう作られ方をする時代じゃない。でも私やサマラやレイヴェイのアルバムにはそれがある。そのオーセンティックさに惹かれているんだと思う。
――なるほど。
ポップミュージックがオーセンティックじゃないわけではないし、私自身、大好きなポップミュージックもたくさんある。でも、ヴィンテージな感覚への愛着は、ここ10〜15年くらいのアナログ復活を見てもわかるんじゃないかな。私が10代の頃、アナログレコードを買うのがクールだった。今じゃ、カセットを古いヘッドホンで聴くのがさらにクールでしょ。私自身、ヴィンテージな音楽に魅力を感じるのは、今の時代があまりにも速く、テクノロジー主導で進んでいて、誰もがスマホをいじりながら延々とスクロールしているから。それに対して、例えば30年前、CDやレコードを聴いて、今みたいにSpotifyで1曲だけ聴くのではなく、アルバム全体を楽しむ時代だった頃には一種のロマンを感じる。そう考えるとすごく理にかなってる。音楽をどう聴くか、その聴かれ方も当然変わってきているのだと思う。
――一方で、あなたの音楽にしても、レイヴェイにしても、それが若い人たちに届いているのは、そこに「今の時代らしい何か」が含まれているからだと思うのですが、それって意識してそうしていますか?
ええ、だって1950年代に作られてたのと同じアルバムを今作る意味はないし、そもそも今と50年代のミュージシャンとでは演奏の仕方が全然違うので、そのまま再現したら、オーセンティックではなくなる。私だってドリス・デイやジュディ・ガーランドが歌ってたのとまるっきり同じ解釈で歌ってるわけじゃないしね。でも古い音楽を真似たくないのと同様、無理に新しくしようとか、違うものにしようと、こだわってもいない。
例えば、ナット・キング・コールのストレートな歌い方は、それ自体、とてもシンプルで美しいので、あえて今風にしようと思わない。私は2025年を生きる女性なのであって、今は1955年じゃない。生きているのはナット・キング・コールとは違う世界、違う時代だし、彼らが使っていたものとは録音機材も違う。そこにさらにビリー・アイリッシュやセレステの曲を入れたりすれば、自然と昔とは違う「今の時代のもの」になると思ってる。70年前に書かれたヴィンテージな曲からはインスピレーションをたくさんもらっているけれど、私は自分が日々の生活で経験する体験や感情を通じて歌いたいと思っているから。私がやりたいのは古いものと新しいものの出会い、ということ。
――古いスタンダード・ソングを若い人たちに届けるために、どういう基準で曲を選んでいますか?
歌う曲を選ぶ時、人が何を好むかを考えすぎないようにしている。最終的に私が好きな曲を、皆好きになってくれるとわかったから。私が楽しんで歌っているのが伝われば、彼らも耳を傾けてくれるってこと。例えば、デビューアルバムで選んだのは、どれも私がこれまで夢中になってきた曲。何週間、何ヶ月とその曲しか聴かないというくらいに聴いた曲ばかり。それはきっと80年前、時には100年前に書かれた歌詞でありながら、まるで私の人生が歌われてるみたいに感じられるからだと思う。そのくらい共感を覚える歌詞やメロディに出会えた時、私は「これを歌いたい!」って思う。だから選曲はとても大事。多くの人から曲を勧められ、聴いてみたりもしたけれど、本当に夢中になれる曲じゃないとなかなかレパートリーには加えられないかな。
――あなたはTikTokで『ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812』の「No One Else」や『マジソン郡の橋』の「Another Life」といった、2010年以降の新しいミュージカルの曲も取り上げていますよね。意識して新しい作品も取り上げていますか?
ええ、それは間違いなく。ジェイソン・ロバート・ブラウンは大好きだし、『マジソン郡の橋』も大好きだった。私は昔からオタクって呼んでいいくらいのミュージカル・ファンだから。音楽はグレイト・アメリカン・ソングブックとは違うけど『ハミルトン』も大好きだったしね。ブロードウェイにはできる限り足を運んでいるし、いずれ自分もブロードウェイの舞台に立ってみたい。それが私の大きな夢。
今は音楽活動に専念してるけど、もしそれが成功したら、次は舞台の仕事をしてみたい。ミュージカルが好きなのはそこで語られる物語が好きだから。最近はチャペル・ローンやサブリナ・カーペンターといった素晴らしいストーリーテラーが復活してるけど、私が高校生の頃のポップミュージックからは物語が聴こえてこなかった。だから音楽で人の感情を解放してくれるミュージカルが、余計に特別だと思えたんだと思う。
――そうですか。今はジャズ・シンガーかもしれませんが、今後ミュージカルなのか、ポップスなのか…どこに進むのか楽しみですね。
ええ。オープンマインドでいるのは大事。スタンダードやグレイト・アメリカン・ソングブックを歌うことを、2歳の頃からずっと好きで続けてきたわけだし、今後も私の大きな部分であり続けるとは思う。でも5年後、何をしているかはわからないし、将来的には世界を広げて行きたい。だって誰も先のことなんてわからないんだから。
――最後に来日公演はどんな感じになりそうですか?
NY出身の素晴らしいピアニスト、マイケル・ケイナンとのステージになる。私のショーを観た人からは「まるで別の時代のジャズクラブにいるみたいだった」と言われることがある。私もロングドレスで50年代風の雰囲気を演出するつもり。それでいて、すごく親しみやすく、誰かの家のリビングに集まって歌っているかのような雰囲気でもある。華やかでシックだけどカジュアル、そんなステージになるはず。アルバムからの曲、ジャズ・スタンダードをたくさん歌うけど、ピアニストと毎回新しいスタンダードを1曲入れるようにしてる。たくさんのショーをこなす中で、自分たちも新鮮さを忘れないよう、二人で初めて演奏する曲を必ず入れている。だからSNSでも、アルバムでも聴いたことのない新曲を楽しみにしてもらえたら、嬉しい。
◎ステラ・コール 来日公演:丸の内コットンクラブ・大阪ブルーヤード
2025 1.22 wed.@BLUE YARD (大阪)
LIVE: 19:30 ~
Music Selector: 18:00 ~ 21:30
Close: 23:00 (L.O.22:00)
*1ステージのみ、30分程の公演となります。
*ミュージック・チャージ : ¥2,200(tax in)
2025 1.23 thu., 1.24 fri., 1.25 sat.
■1.23 thu., 1.24 fri.
[1st.show] open 5:00pm / start 6:00pm
[2nd.show] open 7:45pm / start 8:30pm
■1.25 sat.
[1st.show] open 3:30pm / start 4:30pm
[2nd.show] open 6:30pm / start 7:30pm
MEMBER
Stella Cole (vo)
Michael Kanan (p)
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◎アウトテイク
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