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introduction of Danish Jazz:ジャズ・クインテット60から辿るデンマーク・ジャズ入門(with playlist)
ジャズ作曲家の挾間美帆が2019年にヨーロッパを代表するビッグバンドでデンマークで活動しているDRビッグバンドの首席指揮者に就任しました。
世界的な名門ビッグバンドの首席指揮者就任は単純に快挙だと思います。これまでに首席指揮者として招かれたサド・ジョーンズ、ボブ・ブルックマイヤー、ジム・マクニーリーは全員ジャズ・ビッグバンド史の重要人物。つまり彼女はその系譜に連なることになるわけですから。
とはいえ、よほどのジャズマニア以外は「デンマークでジャズ?」って考えると思うんですよ。「イギリスでもフランスでもドイツでもなく北欧のデンマーク?」みたいな。ジャズが盛んなイメージってそんなにないかもしれません。なので、ここでは超大雑把ですが、デンマークのジャズを掻い摘んで紹介してみようと思います。
以下、デンマーク人ジャズ・ミュージシャンたちが主に60年代に録音した重要作を集めたプレイリストも作りました。BGMにどうぞ。
◉ヤズフス・モンマルトル(Jazzhus Montmartre)
まず最初に紹介したいのがヤズフス・モンマルトル(Jazzhus Montmartre)。英語ではカフェ・モンマルトル(Cafe Montmartre)と呼ばれています。
ここは1959年にコペンハーゲンにオープンしたジャズ・クラブです。マイルス・デイヴィス『Kind of Blue』が録音/発売されたこの年はデンマークのジャズ史にとっても重要な年になりました。
このヤズユフ・モンマルトルはすぐにデンマークのジャズ・シーンの拠点になりました。特に大きな意味を持ったのがアメリカの大物たちがヨーロッパ・ツアーの中でここを訪れてライブを行ったこと。本場のジャズを体験できる拠点が生まれたことはデンマークのジャズが開花するきっかけになったと思います。
ベント・アクセン「1959年は刺激的な年だった。スタン・ゲッツとオスカー・ペティフォードが夏にコペンハーゲンにやってきて、オープン間もないヤズスフ・モンマルトルに出演していた。(中略)デンマークにもジャズ・ミュージシャンがいないわけではなかった。でも、きちんとお金を取って、毎晩ジャズを聴かせてくれるような場所はまだ存在しなかった。もしも、”ダニッシュ・ジャズ”というものが存在するとしたら、その歴史はヤズスフ・モンマルトルがオープンした1959年に始まったんだ。」
(※ヨルゲン・フリガード執筆のベント・アクセン『アクセン』ライナーノーツより)
これはデンマークのジャズ・シーンにおける最重要人物の一人のピアニストのベント・アクセンの言葉。
スタン・ゲッツは1958年から1961年までスウェーデン人と結婚していて、コペンハーゲンを拠点に北欧で活発に活動していたので、彼の演奏を度々聴くことができました。
またオスカー・ペティフォードはそのままとどまり、1960年に亡くなるまでの時間をコペンハーゲンで過ごしました。そこでペティフォードはコペンハーゲンのミュージシャンたちとジャズ・セッションをしたり、レコーディングをしたりと深い交流をしたことで、たった一年ちょっとの時間ではありましたが、デンマークの若手たちに大きな影響を与えることになります。
以下の『Montmartre Blues』(『My Little Cello』のタイトルでデンマークでリリースされていたもののアメリカ・リリース版)に収録されている。デンマーク人はドラムのヨルン・エルニフ(Jørn Elniff)、トランペットのアラン・ボッチンスキー(Allan Botschinsky)、ヴィブラフォンのルイス・ホルマンド(Louis Hjulmand)に、スウェーデン人はピアノのヤン・ヨハンソン(Jan Johansson)、サックスのエリック・ノードストルム(Erik Nordström) がペティフォードと共演しています。
◉ヤズフス・モンマルトル以前のデンマーク・ジャズ
ヤズユフ・モンマルトル以前だと、1950年以前のデンマークのジャズが『Dansk Guldalder Jazz』シリーズにまとまっているので、おススメです。1933-1938、1940-1941、1942-1943、1943-1949の計4枚。
vol.4ではベント・アクセンが影響を受けたというKjeld Bonfils Trioの音源が聴けます。
◉ベント・アクセンとジャズ・クインテット60
そんなデンマークのシーンから出て来たのが上記のベント・アクセンらの世代。ベント・アクセンはオスカー・ペティフォードらから得たものを形にするために活発に活動をし始めます。
1960年録音の『Let's Keep the Message』はペティフォードの死後に録音されたもので、前半の4曲は彼に捧げたもの。ベント・アクセン(当時25歳)が、ペティフォードとの録音にも起用されていたヨルン・エルニフ(当時22歳)、アラン・ボッチンスキー(当時19歳)、そして、サックスのベント・イェーディッグ(当時25歳)らを集結させたこの録音はDebutレコードからリリースされ、19歳から25歳までの超若手によるデンマーク・ジャズの開花を捉えた瞬間を記録したものとなりました。
※ベント・アクセンのDebut音源の編集盤Bent Axen『Axen』に全曲収録されています。
そして、デンマーク国内で高い評価を受けたアクセンはレコーディングを続け、同1960年にベント・イェーディッグ、アラン・ボッチンスキーらデンマークの若手を集めてジャズ・クインテット60(Jazz Quintet 60)を結成し、まずは4曲入りのEP『Jazz Quintet '60』をDebut Recordからリリースします。ここではオスカー・ペティフォードに捧げた「Message from Oscar」など、ペティフォードへのオマージュも含まれています。
※編集盤Bent Axen『Axen』に全曲収録されています
1961年にはベント・アクセン・トリオ名義で『Axen In Action』『Jingle Bells』『The Man I Love / Laverne Walk』の3枚のEPをDebutからリリース。アクセンを中心にシーンができていっているのがわかります。
※Bent Axen『Axen』で全曲聴くことができます。
このトリオでのEPでベースを演奏しているのが初レコーディングの時期のニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン(Niels-Henning Ørsted Pedersen)。後に世界屈指のジャズ・ベーシストとなる彼は当時なんと14歳!!こうやってアクセンの周りに徐々に才能が集まっていきます。
ビヨルネ・ロスヴォルド名義でベント・アクセン、アラン・ボッチンスキーらと『Bjarne Rostvold Quartet & Trio – Jazz Journey』(1961)を録音したりと、徐々にこのコミュニティの音楽性が固まっていきます。
そして、デンマークのジャズ・シーンを刺激する歴史的な事件がエリック・ドルフィーのヨーロッパ・ツアー。1961年にコペンハーゲンで現地のミュージシャンたちとライブをして、それを翌1962年にDebutが『In Europe』としてリリースします。その後、1964年にアメリカのPrestigeレーベルが『In Europe, Vol. 1』『In Europe, Vol. 2』『In Europe, Vol. 3』としてリリースしたことで、世界的に知られることとなり、エリック・ドルフィーのライブ録音の傑作として評価されることになります。
この時に共演したのがベント・アクセンとヨルン・エルニフ。
その翌年1962にはアメリカから移住していたサックス奏者のブリュー・ムーアのデンマーク録音が行われます。
スウェーデンに移住していたサックス奏者のサヒブ・シハブとお隣のスウェーデンのサックス奏者のラース・ガリン以外はデンマークのミュージシャンで、アクセン、ペデルセン、オスカー・ペティフォードのデンマーク録音に起用されていたヴィブラフォンのルイス・ホルマンドが参加しました。
こうやって録音が残っているだけでも、様々なきっかけがあり、それらで得た刺激を糧に進化していったベント・アクセンらはジャズ・クインテット60名義でのデビュー・フルアルバムのレコーディングの機会を得ます。満を持して1962年に『Jazz Quintet 60』をスウェーデンのレーベルのメトロノームから発表します。
ベント・アクセン、ニールス・ペデルセン、アラン・ボッチンスキーに加え、ドラムにビョルネ・ロスヴォルド(Bjarne Rostvold)、サックスにニルス・ハサム(Niels Husum)の5人。アメリカのハードバップやクールジャズ、モードジャズを消化したデンマーク人によるジャズアルバムです。
翌1963年には2作目の『Presenting Jazz Quintet 60』をリリース。
この時期にデンマークのジャズの基盤ができたような感じでしょうか。
アクセンのピアノにはバド・パウエルやビル・エヴァンス、アーマッド・ジャマルが、ボッチンスキーのトランペットにはマイルス・デイヴィスが、ぺデルセンのベースにはポール・チェンバースが、と言った感じで、アメリカで起きたことを吸収しながら、なんとか自分たち独自の表現を探ろうとしている様子が聴こえます。
◉1960年前後のヨーロッパ・ジャズの胎動
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