エスペランサ・スポルディングが音楽シーンにおける、というか、少なくともアメリカのカルチャーにおいて最高の才能のひとりであることは否定のしようがないだろう。そんなエスペランサがミルトン・ナシメントとの共演作を発表した際に幸運にも取材することができた。以下のRolling Stone Japan の記事でそれを読むことができる。
短い時間だったが、ミルトン・ナシメント とのエピソードだけではなく、ウェイン・ショーター との関係、アマゾンの先住民の権利を侵害する法律の制定に反対する曲を作ったことへの想いなど、を語ってくれた。
その後、ビルボード・ライブでの来日公演が決まった。記事の執筆のオファーをもらって引き受けたのだが、エスペランサはインタビューを受けてくれると言っていると連絡があった。そんなチャンス、逃すわけはない。それが以下のBillboard Japan に掲載されている。
アルバム・リリース時とは違って、少し落ち着いたタイミングだったからか、アルバムの楽曲について、そのディテールやエピソードをしっかり話してくれた。
例えば、「Morro Velho」 の解説を読めば、実に彼女らしい眼差しでミルトンを捉えていて、『Milton + Esperanza』 にはそれが反映されていたのがわかる。
エスペランサ :あの曲を選んだ理由は、歌詞が最高だから。ぜひ歌詞の翻訳を調べてみてほしい。ストーリーが本当に深くて美しい。ブラジルのカースト制度 における人種差別 の歴史はとても深くて、痛々しくて、国中に蔓延してる。この歌詞は、ブラジルの黒人と白人の現実の格差 について、頭ごなしにそれを叩くのではなく、ただただその事実を伝えている。とても力強く、とても美しく、心にしみる歌詞。歌で支えながら美しくそれを伝えることによって、私たちにそれについてじっくり考える空間を与えてくれているように感じる。この曲をやると決めた時は、まだ歌詞の内容を完全に理解していたわけではなくて、とにかくこの音楽が大好きだっただけ。でも、レコーディング・セッションの準備を始めて、歌詞を学んで理解していくうちに、この曲の深さがどんどんわかってきた。これはミルトンが曲と歌詞の両方を書いた曲のひとつでもある。
https://www.billboard-japan.com/special/detail/4607 以下のnote記事にも書いたのだが、このアルバムにはあまりに巨大で多様で捉えづらいミルトン・ナシメントというレジェンドを今、どう聴けばいいのかをエスペランサが教えてくれているような側面もあると僕は思っている。
そのBillboard Japanの記事には未掲載部分が6000字 ほどあった。Billboard Japanの既定の分量があるというので、それを超えた部分はこちらに掲載させてもらうことにした。未掲載分なのでアルバムの話から外れた部分も多い。その分、エスペランサに深い関心がある人にとっては興味深いエピソードも多いのではないかと思う。
Billboard Japanの記事の続きとして、Rolling Stone Japanの補足として、読んでもらいたい。
取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:原口美穂 協力:Billboard Japan
◉「Saudade Dos Aviões Da Panair」のこと ――「Saudade Dos Aviões Da Panair」 ではあなたのレギュラーバンドだけでなく、ブラジルのミュージシャンたちも参加しています。この曲の制作の経緯を聞かせてください。
「最初に一緒に作業したのはパーカッション奏者のホベルチ―ニョ・シルヴァだった。彼のお父さんもパーカッション奏者として有名。このレコードの最初のレコーディングは、多分2023年の1月3日だったと思う。その時にいたのはリアン・ラ・ハヴァス、ホベルチ―ニョ、ミルトン、そしてエンジニアのアーサー・ルナで、皆ミルトンの家にいた。その環境で最初にやったのが「Saudage〜」で、私たちがホベルチ―ニョとプレイして、リアンが歌った。最初は私とミルトンが歌ってたんだけど、そのあとリアンに歌ってもらった。始まりは、そんな感じのコラボレーションだった。
それから、作業しながら流れでその都度私が必要だなと思ったものを加えていった。そして、私の親友のマリア・ガドゥ がブラジルにいたから、彼女にもきてもらうことにした。チン・ベルナンデス に関しては私は彼の音楽を知らなかった。でも、ミルトンの息子がおしえてくれて彼の音楽を知った経緯がある。そしたら、たまたまチン・ベルナンデスがミルトンの家でやったバーベキューに来た。その時にまたオーバーダブ・セッション用のマイクがセットされたままだったから、彼にも歌ってもらった(笑)。そういう小さなことが重なって、最終的にそのラインナップになった
――「Saudade Dos Aviões Da Panair」にはホベルチ―ニョ・シルヴァやカイナン・ド・ジェジェ(Kainã Do Jêje) の二人のブラジル人打楽器奏者もいますよね。彼らが起用された理由は?
ホベルチ―ニョはミルトンと長年プレイしてきた人だから。私も彼に会ったことがあったし、会話をしたことも、2022年にミルトンが彼のフェアウェル・ツアーをした時に一緒に演奏したこともあった。だから私もミルトンも、レコーディングをしている時に彼を呼ぶべきだと思った。 そして、アレンジをフレッシュにしたいなと思っていた時に、エンジニアのアーサー・ルナがカイナンを勧めてくれた。彼は最高のドラマーであり、パーカッショニスト。カエターノ・ヴェローゾと何度も演奏しているミュージシャン。アーサーが自信たっぷりに彼が最適だというから、彼にお願いすることにした。実際一緒に作業をしてみて、彼は本当に最高だった
◉ウェイン・ショーターと仏教からの影響 ――「Wings for the Thought Bird」 には仏教のチャントが入っています。この曲に敬意に関してはRolling Stone Japanでのインタビューで伺いました。もしかしたらあなたにとって仏教もインスピレーションになっているのかなと思ったのですが、もしそうだとすればどんなインスピレーションになっているのでしょうか?
私は、子供の頃からずっと仏教に興味があった。私には兄がいて、彼は私より7歳上なんだけど、彼が禅に興味があって、禅僧の本を持っていた。子供の頃に私もそれを読んで、すごく興味深いと思ったことを今でも覚えてる。読みながら、これこそが真実なんだと思った。それから、私はいつも仏教について学んだり、本を読んだりするようになった。
――もともと興味があったと。
そして、ウェイン・ショーター とカロリーナ・ショーター の夫婦に会った時、彼らがお題目を唱えていて「一緒に練習しよう」と誘ってくれた。私はそれに影響を受けて、彼らと一緒にお題目を唱えるようになったし、その行為が好きになっていった。私は彼らの家に行くたびに、彼らと同じことをしたくなった。私だけがただ座っているだけなんて嫌だったから。次第に私も彼らと一緒にお題目を唱えるようになり、修行や哲学について学んでいった。それによってショーター夫妻の修行に対する尊敬の念も伝わってくるようになった。そこで仏教が彼らの人生に与える影響を目の当たりにしたってこと。彼らがそれを活用し、多くの葛藤や困難を乗り越えるために心の支えにしているものをこの目で見て、実際に経験し、私もそれを練習するようになった。そして、私自身もそれに救われるようになっていった。
――ウェイン・ショーターがきっかけだったと。彼の音楽も仏教からの影響を受けていますからね
そう。そして、私は、今も仏教に関する勉強をずっと続けている。釈迦の言葉を学んでいるし、シッダールタが何を説いたかについては様々な解釈があることも知った。だから私は、自然と仏教を超えて、色々な視点からのさまざまな解釈を研究している
――一方的に受け取るのではなく、あなたなりに仏教を捉えようとしていると。ところで、ウェイン・ショーターがしていた仏教にまつわる話の中で、あなたのインスピレーションになったエピソードはありますか?
ウェインは熱心な仏教徒で、すごく深く勉強していた。私たちはいつもその話をしていたんだけど、もし私がウェインでなく他の誰かから仏教を学んでいたら、私はこれほど感銘を受けていなかったかもしれない。ウェイン夫妻の説明の仕方が本当に素晴らしかったこそ、ここまで影響されたんだと思う。彼らは、仏教の主な教義について本当にたくさんのことを教えてくれた。そしてウェインの話し方は簡潔で、深くて、面白くて、彼の言葉はとにかく心に残っている。誰もが、ウェインと話せば必ず彼の言葉が頭に残って、それが人生の役に立つ。後になって、自分自身を助けるためにその教えを使う時がくるんだろうなって思ってる
――ところで、僕には『Milton + esperanza』 と『Songwrights Apothecary Lab』 には共通するものがあるような気がしましたが、どうですか?
そう?それは面白い意見。何が共通しているかと聞かれたら、答えは私だと思う(笑)
――『Songwrights Apothecary Lab』を作ったことは、他人と一緒に作品を作るということに対するあなたの考え方に変化を与えたのかなと思ったんですよ。それが『Milton + esperanza』にも反映されているのかなと想像したのですが、どうですか?
それもまた面白い意見。私はそれよりも前の作品に戻ろうとしていた部分がある感じていたから。ミュージシャンたちは私が『Emily’s D+Evolusion』と『Twelve Little Spells』で共演した人たちだから。『Songwrights~』は、それらの作品と『Milton〜』の間の橋渡しのような作品だと思う。例えば、レオ・ジェノヴェーゼが参加しているところとか。私はレオとは20年ずっと一緒に仕事をしているのに、その2枚だけは彼が参加していないから。今回の作品には、昔の作品にミルトンのサウンドとスピリット、そしてレオを加えた感じ。あの2枚とこの作品では、機能するとわかっているものに頼り、リラックスしている。つまり、一緒にスタジオに入れば必ず気分良く作業ができて満足できる作品を作ることができると保証されている仲間たちと作業している。そして今回はさらに、そこにミルトンの影響と強さ、そして洗練が加わっている。皆が作品を聴いて感じられる変化や成長は、確実に彼の鬼才と人柄がもたらしてくれたもの。彼の音楽の近くにいると、私自身も成長することができたから
◉「Não Ao Marco Temporal」とアフロブラジレイロ ――あなたはアルバムのリリース前に「Não Ao Marco Temporal」 をリリースしました。その曲は『Milton + esperanza』 と同時期の録音ですが、そレコーディングの写真を見ると「Não Ao Marco Temporal」ではアルバムに参加していないアフロブラジリアンのミュージシャンとともに制作していました。「Não Ao Marco Temporal」に限って、アフロブラジリアンを起用したのはなぜですか?
私はミルトンの家に滞在して制作をしていたけど、実はその合間にはアマゾンを旅していて。
――へー、実際にアマゾンに。
その時にブラジル政府の一部の人たちが通そうとしているおかしな法案(マルコ・テンポラル :先住民族の領有権を制限する法案)について色々と学び、それに大きな影響を受けた。そしてある朝、あのメロディが頭に浮かんで目が覚め、慌てて歌詞を書いた。で、エンジニアのアーサーに、ミルトンのヴォーカルのレコーディングが終わったらこの曲をレコーディングしたいからスタジオに来て欲しいと頼んだら、彼が文字通り全てのミュージシャンを集めてくれた。ミルトンとのレコーディングが終わったのが夜の7時で、スタジオについたのが夜の8時。そして、レコーディングが終わったのは朝の4時だった(笑)つまり、バンドではなく、アーサーの知り合いとか、色々な関係の人たちが集まった感じ。
――あなたが集めたわけではなかったと。
でも、スタジオで一緒に作業をする私たちを見て思ったのは、私たちが皆、アフリカの先祖を持つ黒人のグループであり、私たちが彼らから受け継いだ才能を使って何かを作り出している、ってことだった。原住民の友人たちやグローバル・コミュニティのために、皆で集まり私たち黒人の才能を主張しているのが本当に素晴らしいと思った。それにそこに集まった人々は皆、寛大な気持ちを持った人々だった。お金の話もしなかったし、ただ作品に自分の声を添えたいという思いで参加してくれた人たちだった。私は、それが本当に嬉しかった。それもあってレコーディングは喜びに満ちていた。 特にパーカッションを担当したPretinho da Serrinha 。私は彼をプロデューサーと呼び、クレジットに入れることにした。なぜなら、彼はサンバの作り方に関する知識を全てもたらしてくれたから。私はメロディとコード、そして歌詞を作ったけれど、彼が全ての知識をもたらし、あのサウンドと質感を作り出してくれたと思ってる