ベッカ・スティーヴンスはどんなアーティストだろうか?
ギターやチャランゴ(南米のウクレレみたいな楽器)を弾きながら歌う彼女は《シンガーソングライター》然とした佇まいをしている。
ただ、彼女のことをずっと追っていると、ギターを持ってバンドの真ん中で歌っている彼女は活動の中のひとつの側面でしかなく、どちらかというと《コンポーザー》なんじゃなかろうかと思うようになった。
そもそも最初から彼女は弾き語り的な曲を書いていたわけではなかった。バンド全員でのアンサンブルを重視し、器楽奏者でさえコーラスも担わされる曲作りをしていたし、ライブでは再現不可能な多重録音やプロダクションを駆使したものもあった。
だからこそ、2021年に『Wonderbloom』 収録の「Slow Burn」 で、2022年には『Becca Stevens | Attacca Quartet』 収録の「2 + 2 = 5」 (Radioheadのカヴァー)で、グラミー賞の最優秀編曲・器楽・ボーカル部門に2度ノミネートされている。ベッカ・スティーヴンスの音楽の中心は作曲と編曲にあった。
ベッカの夫でコラボレーターのネイサン・シュラムはこんなことを言っている。
ネイサン:思ったのはベッカが作った曲が想像以上にきちんと作りこまれていること。シンガーソングライターって認識でいた僕としては、そんなに複雑なことはやってなくて、割とシンプルに書かれたものって印象があった。でも、実際に演奏するためにしっかり眺めてみるとフォームがしっかりした曲を書いていることがわかった。結論として、ソングライターというよりはコンポーザーって呼ぶのがふさわしいって思った。彼女は心で書くソングライターみたいなイメージだったんだけど、心で書いたようなニュアンス的な細かいところも実はすごく洗練された作曲になっているんだ。
本作『Maple to Paper』 はそんなコンポーザー的な志向を持つベッカが敢えてシンガーソングライターとして製作したアルバムだ。
普段のような緻密に構築していく方法とは全く異なるやり方で、自身の歌とアコースティックギターにすべてを託した。ベッカ版『声とギター』とも言えるこのアルバムからはベッカのトレードマークと言えるようなサウンドは聴こえてこない。でも、それらを使わなかったからこそ可能になった表現もある。そして、ベッカが真正面からティピカルなシンガーソングライターに挑んだらどうなるのかをついに聴かせてくれたアルバムにもなった。
取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:染谷和美 協力:ブルーノート東京 山室木園 | COREPORT
◉アコースティックギターでの弾き語りのこと ――新作はあなた一人でのギターの弾き語りです。今回はなぜ弾き語りで作ったんですか?
今回の曲作りについては「普通に曲を書いて自然に出てくるままに」と思って作り始めたんだけど、いざレコーディングに取りかかったら、私にとってはお馴染みの本能が襲ってきた。それはつまり「つい足していってしまう」こと。バックグラウンド・ヴォーカル、ハーモニー、インスト・パートと、どうしても付け加えたくなってしまう。でも今回の歌詞は、親密で生々しく自分を曝け出したネイキッドな表現が多い。だから、あえて加えることを拒んでみようと思うようになって、曲だけに語らせようとした。レコーディングされた形で曲が存在するために、それ以上のものは必要としない。そういう曲づくりをしてみたかった。それで曲に任せた結果、この形になった。
◉悲しみを癒すプロセスとしての作曲 ――普段は足していくとのことですが、ギター弾き語りのために作曲するのと普段の曲作りではやり方は違うんですか?
いちばん違うのは感情面。ごく初期の段階、レコーディングすることやアルバムを作ることを考える前から曲は書いていたんだけど、それは母が病床にあって、その悲しみを癒すためのプロセスでもあった。(亡くなった母を思って書いた曲もあるんだけど)母が亡くなる前から曲作りは始まっていたということ。というのも母の癌が再発してしまい、もう治らないとわかっていたので、彼女がいなくなってしまう前から私が悲しんでいたことで生まれてきた曲が結構あった。ということは当然重たいこと、気軽には口に出せないことが歌詞になっていくことは自分でも意識していた。だから、「レコーディングしたところで聴きたい人はいるんだろうか…」と思いながら、何を目指すわけでなく、曲を書いていたのが6ヶ月くらい続いていたと思う。
――作曲は自分の気持ちと付き合うためのプロセスだったと。
最終的にやっぱりこれを発表してみようと思った時はやはり怖くなった。みんながどう受け止めるのか考えるとね。でも、周りの人が励ましてくれて、まず弾き語りでデモを作ってみた。そうしたら「もうこのまま出せるじゃん」って言ってもらえて。しかも、「スペシャルなものが生まれるかもしれない」って言ってくれる人もいた。だから、今回はスタイルの違いというより、その背景にあったエモーションの部分が大きかったと思う。
――なるほど。
あと、ギターとヴォーカルだけってなると、その曲のハイマウント・スペースが広がるので、曲そのものを大切にしようという気持ちがとても強くなった。曲単体で成立するもの、他に何も乗せなくても大丈夫なものを作らなきゃって意識が生まれた。それはソングライターとしてはとても満たされるアプローチだった。曲のために自分がいる。曲に仕える自分がいる。もちろんいつも曲を大事にして作ってはいるんだけど、一方ではプロダクションもある。例えば、『Wonderbloom』の時は曲よりもプロダクションを重視してたし。今回はそこがいつもと大きく違っている。
◉Serving a song=曲に仕える ――「曲そのものを大事にする」ってところをもう少し詳しく聞かせてもらえますか?
「Serving a song=曲に仕える」っていう言い方は、デヴィッド・クロスビー がよく言っていた言葉。彼もこのアルバム制作中に亡くなっているので、天国から力を送ってくれているひとり。曲に仕えるってことは、私からしたらマントラ的なことかもしれない。
――マントラ?
アーティストとして、クリエイターとして、何か作っているとき、私は気持ちがいつの間にか自分自身が抱えている怖れに向いてしまうことが多い。「この曲を誰か聴いてくれるだろうか」「この曲ではダメなんじゃないか」「やっぱりこの曲は捨てたほうがいいんじゃないか」とか。それは自分にとって気持ちのいいプロセスではない。 でも、本当はそんなことを思う必要なんてない。なぜなら曲は《あなた》ではないんだから。どこからかインスピレーションを受けて、あなたを通じてアートとして外へ出て行こうとしているだけ。それをいちばんいい形で出してあげられればそれでいい。私にとってのミューズ的存在が私を通して何かを言おうとしているのに、自分をそこに組み込んだら、自分の存在がブロックになってしまう。「ミューズが私を通して言おうとしていること」に対して正しい選択をして、私の心を震わせるエナジーをそのままの形で出すこと。つまり、それ。《私》ではなく《曲》なんだって意識することね。
◉もっともやりやすい自己表現としての作曲 ――あなたはここ15年で7枚のアルバムを発表してます。だいたい2年で1枚のペースです。おそらく同世代のアーティストの中でも作品が多いほうだと思うんです。今回は、お母さまが亡くなられたり、出産もあったり、そんな中でもあなたはずっと曲作りをしていた。あなたの人生において作品を作ることってどういう行為なんでしょう?
まずはありがとう!そう言ってもらえて嬉しい。自分ではスロウだと思ってたから、生産的だと感じてもらえるなんてとても嬉しい。 曲作りの意味。ひとつには私には書く必要がある。曲作りはいちばんやりやすい自己表現の方法だし、いちばん好きな方法だから。 でも今作に関してはサバイバルだった。重い悲しみを背負っていたし、私にできることといえばこれだけだった。そういう意味では、曲作りとは自分にとって何なのかを考えるための例としては今回は極端な気がする。でも、やっぱり曲を書くことは大好き。レコードを作るのもね。アーティストとしてやっていることの中で最も楽しい部分だと思う。インスピレーションが降りてきて、それが花開いて形になって、誰かが反応してくれるプロセスに私はいちばん満たされる。それに(アルバムを作って)2〜3年空いてしまうと、頭のどこかでチクタクと時計が鳴り出す。また何かやらなくちゃ!ってなる。なんでそうなるのかはわからないんだけど(笑)。
――そうなんですね。特にここ数年は出産・子育てもあり、時間が取れない期間だろうと思っていたので、それでもすぐ出すんだ!と思ったんですよね。
今、オフブロードウエイでミュージカルもやっているんだけど、二人目の妊娠中には、この子が生まれたら、たっぷり休みをとって、可愛い赤ちゃんと一緒に過ごして、メールも無視して、って思っていたんだけど、現実ではそうはならならなかった。ミュージカルはオーディションを受けたんだけど、この姿を娘に見せたいなって思うと励みになった。両親が情熱を持って仕事しているところを見てくれたらいいなって思ったから。うちに帰ってきた時の家族といる喜びもあるし、上の子は2歳なんだけど、両親が頑張って仕事して、自分たちに喜びや満足感を与えてくれているんだってことが伝わったらいいなと思ってる。すごく疲れるけど、今、とても満たされています。
◉自分をさらけ出すような歌詞 ――今作は歌詞がかなり重いです。社会に対する思いや、ダークな情感もある。お母さま以外では、どこから出てきたんでしょうか?
確かに重いチャプターがある。それはさっきも言ったとおり、母が亡くなる前からの悲しみが表れているのだと思うけど、その感情がアルバム真ん中にあって、その前と後ろはそれとは違うもので挟んでいる。 たとえばシングルでリリースした「I’m Not Her」 はアイロニー。ふたりの女性インフルエンサーのことを面白おかしく茶化している。ここで名前を出すのはフェアじゃないから伏せておくけど、一人はスーパーモデルで、もう一人はパートナーとのセックス&ラブ・ライフをジャングルという設定でフルーツとか使って演出していて、いつも裸って人。「彼女たちと私は全然違うのに、なんでいつも彼女たちを見てしまうんだろう…」って歌。やっぱりそこには憧れがあったり、一方でそういうことができない自分の中のやっかみがあったりするんだろうなって思う。そんな気持ちを曲にすることは今までやってこなかった。でも、今回は自分の頭の中を曝け出して書いてみようって思って、楽しくチャレンジしてみた。いつも友達と話すようなプライベートな会話を曲にしてみたってこと。
――ありのままの自分の思考を綴ったと。
母になること、母になったことを書いた曲もある。子どもが生まれてから新しく母親になって格闘していることを曲にしてみたものもある。「Paying to be Apart」は、実をいうと娘をデイケアに預けて仕事に行かねばならない悲しさや罪の意識を書いたもの。でもそこには娘を思うことの美しさがある。
あとカヴァー曲「Rainbow Connection」 は、カーミットが出てくる長女が好きなマペット・ショウから。この番組がお気に入りの娘に捧げた曲です。
――「Rainbow Connection」はとても好きな曲なのでカヴァーしてくれて嬉しいです。
あ、そうなんだ(笑)
◉詞先での作曲と吟遊詩人的な感覚 ――カーペンターズのバージョンが最高なんです。これまでのあなたの曲は「実際の経験」「直接的な感情」をそのまま出すというよりは、「物語」にして出していた気がします。今回は、幸せな面も辛い面も、とてもパーソナルで生々しい切実な内容を出していますよね。こういう歌詞を書くと作曲も変わってきますか?
今回は歌詞が先だったから。全部ではないけど、歌詞に音楽をつけていく感じだった。歌詞とはいっても一行だけだったり、コンセプトだけだったり、思いついたことやそのときの気持ちをジャーナル的に書いておいた程度なんだけど、そういったものも含めて、ほぼほぼ歌詞が先。
――それは大きな違いですね。
たとえば『Regina』 はバンドが一緒だったので、バンドがどう演奏するかが頭にあって、ギターだけでなく、ベース、ドラム、キーボードを意識しての音作りが先にあった。
『Wonderbloom』 はプロダクション重視で作ったから、ツアーでギターをどう弾くかは後付けで考えなきゃいけなかった。
――へー。相当違いますね。
今回はトルバドール=吟遊詩人的な感覚。旅する人のような削ぎ落とした感覚だった。自分でもまだよくわからないんだけど、このアルバムは、もっといい言葉があるかもだけど…いつもよりフォーキーなやり方で表現することを許してくれたアルバムだと思ってる。どこかでそんなインスピレーションがあった気がしてる。ハーモニーもシンプル。その理由はこのアルバムはナラティブが主役なんだから、それ以上の複雑な伴奏は必要ないし、曲が言いたいことの土台を作ったら、必要な部分を歌でやればいいと。よりシンプルでストレート・フォワードな演奏が出てきたと言えるかもしれない。
◉アコースティックギターのサウンド ――ここまでギターがメインのアルバムはこれまでにないと思います。ギターの演奏に関して何か工夫やチャレンジはありました?
今回すべての曲でテイラーのアコースティックギターを使っている。スモールサイズだけどパンチがあって甘い音が出て、かつ力強くて大好きなギターなんです。 弦はアコースティック弦の代わりにジャズ・ミュージシャンがよく使っているトマスティック社製のフラットワウンド弦を使っている。ゲージがうんと細いからアコースティックに反応する。そこから結果的にウッド的な音のクオリティ、パーカッシヴな感覚を得られた。あとピアノの弦の下に布を引くように弦の下に布を仕込んで響きを調整している。
ーー音色には工夫があるんですね。
レコーディングの時は基本マイク2本で、自分の顔に向けたものとギターの音を録音するもので弾き語りをライブ録音した。いろいろトライした結果、ギターの音が十分に響いてこない時もあって、どうしてもこの音が必要だってところはスタッフが工夫をしてくれてたし、上手にいかないからこそ生まれる弾き語りのマジックも生かしてる。足りなかったところはエンジニアのニックがフェイクのようなもので補ってくれて、マイク1本で拾った音で違うトーンを作って重ねて、あたかもギターが2本あるような音を作ってくれたりしています。
◉アパラチアンのブルースとSSWからの影響 ――あと、弾き語りになると、あなたのご両親のルーツであるアパラチアのフォークに近くなった部分もあるなと思いました。制作していて繋がりを感じたアーティストや感じた影響などがあったら聞かせてもらえますか?
(沈黙があって)あ、赤ちゃんが泣いていたので音声をOFFにしてた!ごめんなさい。でもミルクもちゃんと冷やしてあるから大丈夫(笑)続けましょう。
ーーいえいえ、気にしないでください。時間はあるので。
ギター・パートなんだけど、さっきの答えでいつもよりフォーキーな感じがあるって言ったけど、そこにはアパラチアのピードモンドブルース的なものが含まれているのは感じる。特に右手のクラッキングのやり方。昔のブルース・ギターでやっていたような、オルタネイトなパターンでピンピンやる感じ。あれはギターを始めた最初の頃、父親から受けたレッスンの影響があると思う。基本的にはそこから離れようとしているんだけど、戻っていってしまうんだなと思います。
あとはエリオット・スミス やニック・ドレイク の影響が深く出ていると思う。二人とも大好きだし、ギター・プレイも大好き。そういう意味ではジョニ・ミッチェル もそう。彼らはとてもいい例だと思う。ギターとヴォーカルだけで素晴らしい音楽を作る。弾き語りとは思えない、シンフォニーのような音を作る。その優れた例だと思う。今回、私は作りながら何か足りないんじゃないかって思われることをどう避けられるか、それを意識していたから。
◉ベッカ・スティーブンス一家のクリエイティブと子育ての両立 ――最後に、ふたりのお子さんが生まれてからも、あなたは作品を出し続けて、ミュージカルにも出演しました。その時期はあなたの夫のネイサン・シュラム も忙しく活動していましたよね。最近もビリー・アイリッシュ『Hit Me Hard And Soft』 にもネイサンの名前がありました。才能豊かな二人が、クリエイティブな活動を続けながら、子どもたちとも暮らしていくためにどんな計画を立てているんですか?
私たち二人ともどうかしてるから(笑)。スケジューリングに関しては悲惨なくらい管理できない。でも、二人とも楽観的。それがいいのか悪いのかわからないけど、やりたいことはやってしまってから考えるようにしている(笑)
――ははは、ベッカらしいですね。
出産後すぐに仕事のオファーが来た時、つい「絶対無理、受けたら娘たちと離れている時間が増えるし、家族に影響が出る」と言ったら、ネイサンは「家族って単位で考えなくていいんじゃないかな」と言ってくれた。「家族が何を必要とするかは後から考えられる。いま君がやりたいならやるべきだ」って言ってくれた。そんなふうに言ってくれるパートナーがいるのって本当にありがたいことだと思う。実際、彼にも家族にも負担がかかっていると思うし、ソーシャルメディアでは見えない部分ではすごく大変。ここ3週間くらいは具合も悪くて、疲れていた。ちょっとパニックになっていたりもしたし。そういう意味では日々、本当に大変。でも、基本的に私は昔から”YES”の人。やりたいことはどんどんやるタイプ。やってしまってから考える。それって合理的ではないけど、私はそういう性格なんだろうなって思う。
――さすがに大変だったんですね。でも、僕もあなたはいつだってどんどん前に進んでいってる印象があります。
あと、私をフォローしてくれている人の中には、数は多くないかもしれないけれど、若い女性で同じような悩みを抱えている人がいると思ってる。その人たちに対して「大変だけど可能だ」ってことを伝えていくことは大事だって思う。振り返ってみると、私が20代の頃にはそれを教えてくれる人がいなかったわけで。だから、私は現実を見せながら、でも、できないことではないんだってことを伝えていきたいと思ってる。