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interview JOSE ARIMATEA - Brejo Das Almas:バイーア×モーダルの新たなアフロブラジレイロ・ジャズ

ブラジルのリオデジャネイロにあるホシナンチは今、最も面白いレーベルのひとつだと思う。

ホシナンチはシンガー・ソングライターでギタリスト、詩人で作家でもあるシルヴィオ・フラーガが2010年代に設立し、運営している新しいレーベルだ。リオに構えた自身のスタジオを拠点に、レーベル独自のサウンドを追求している。様々な作品をリリースしているが、レーベルのイメージを大きく高めたのは2019年から始まったレチエレス・レイチ関連作のリリースだろう。シルヴィオレチエレス・レイチのコラボによる『Canção Da Cabra』レチエレス・レイチ・キンテート(5重奏団)の『O Enigma Lexeu』(ともに2019年作)のリリースはホシナンチの価値を高めただけでなく、ブラジル音楽における重要作を世に出す役目も果たした。

レチエレス・レイチはブラジル北東部バイーア州生まれの作編曲家でサックス/フルート奏者。アフリカ系ブラジル人=アフロブラジレイロの文化に根付くカンドンブレ由来の要素をメロディーやリズム、ハーモニー、そして、カンドンブレで用いられる太鼓アタバキのような楽器に至るまで様々な形で取り入れた音楽で、ブラジルにおけるアフリカ系の文化への理解を広め、その歴史的意義を強調するのみならず、それらを現代の音楽として響かせる作編曲の才能に溢れていた。これまで行ってきたインタビューでも、何度もその功績について言及されているので、詳しくはそちらを参照してもらいたい。

シルヴィオもまたレチエレスの音楽に魅了され、その関心をレーベルの運営にも反映させてきた。レチエレスの右腕でピアニストのマルセロ・ガルテルによる初リーダー作『Bacia Do Cobre』(2021)、そして、レチエレス自身の楽団であるオルケトラ・フンピレズ『Moacir De Todos Os Santos』(2022)をリリースし、一躍、現代版アフロブラジレイロ・ジャズの重要レーベルとして認知されるようになった。そして、シルヴィオは自身の作品でもマルセロ・ガルテルとがっつり組み『Robalo Nenhum』(2022)を制作。レチエレスの音楽や哲学を受け継ぐ門下の若手たちとも積極的に録音を行い、北東部のアフロブラジレイロ・シーンを支えている。

前置きが長くなったが、ジョゼ・アリマテアによる本作『Brejo das Almas』は、ホシナンチが行っているアフロブラジレイロ文脈に沿ったアルバムのひとつだ。そして、これまでのレチエレスやマルセロの作品とは異なる新たなチャレンジをしているアルバムでもある。ジョゼがバイーアのレチエレス人脈とは異なるリオ拠点のプレイヤーであること。カンドンブレ由来のリズムやアタバキを使用しつつ、そこにまるでECMレーベル諸作のような即興演奏を組み合わせたこと。そして、ブラジル屈指のトランペット奏者であるジョゼ・マリアテアの即興演奏のポテンシャルが引き出されたこと。それにより、ブラジルのみならず世界中のどこにもないオリジナルな音楽が生まれてしまった。怪作であり傑作であるだけでなく、ホシナンチが新たな章に移行したことを示すレーベルにおける重要作であると、僕は思っている。

◆取材・編集:柳樂光隆 , 江利川侑介| ◆通訳・編集:島田愛加

José Arimatéa ジョゼ・アリマテア
Marcelo Galter マルセロ・ガルテル

◉初期の経歴

――あなたは子供の頃から教会(=Evangelical church)で音楽に触れてきたと思います。教会ではどんな音楽を演奏していたのでしょうか? 

ジョゼ・アリマテア(以下ジョゼ)「私が生まれ育った地域には福音派の教会があり、私の家族もそこへ通っていました。音楽が大好きな父は教会でトランペットを演奏し、合唱団の指揮も務めていました。私も礼拝に参加し聖書の勉強をしたりもしました。

 教会で演奏していたのは基本的に福音派の讃美歌など宗教音楽です。その後、私は様々な種類の音楽を演奏してきましたが、ここで学んだことはエッセンスとして私の音楽に現われていると思います。私が音楽を始めた場所でもありますし、インターネットがない時代、聴く音楽と言えば父がラジオで聴いている讃美歌だけだったこともあり、私の中に根付いているんです。讃美歌は非常に繊細な部分があり、それを含めて私の音楽に反映されていると思います」

――これまでに師事してきたトランペットの先生がいたら教えてください。

ジョゼ「12歳までは教会で学んでいましたが、13歳の頃に音楽活動から離れることにしました。思春期ならではの反抗というか(笑)、15歳で家を出て、自立しようと試みたんです。その間、パン屋や溶接工などいろんな仕事をしましたよ。18歳から19歳になる頃に子供を授かって、その時に偉大な音楽教師セザーリオ・コンスタンチと出会いました。彼が教会での音楽活動を再開するきっかけを与えてくれたんです。セザーリオはトロンボーン奏者で、私の友人の父親でもあります。彼は「君には音楽の素質があるのに、なぜ他の仕事をしているの?」と言ってくれたんです。そして彼は私にプロとしてのはじめての仕事を与えてくれました。それがオルケストラ・トゥピー(Orquestra Tupi do Rio)というダンスホールで演奏するバンドです。

また21歳になる頃まで、3人のトランペットの先生に師事しました。特にお世話になったのはセザーリオと、市立劇場のオーケストラで1stトランペットを務めコンセルヴァトワールの先生であったパウロ・メンドンサです。」

――オルケストラ・トゥピで学んだことを教えてください。

ジョゼオルケストラ・トゥピーはトランペット4人、トロンボーン4人、サックスが5人とギター、ピアノ、コントラバス、ドラム、パーカッションという編成のダンスホールで演奏するビッグバンドです。私たちはありとあらゆる音楽を4時間から5時間ほど演奏します。ジャズ、チャチャチャやボレロなどのラテン音楽、サンバ、サンバ・カンサォンなど、全て踊るための音楽です。ここで楽譜を読むことや、それぞれの音楽における演奏のニュアンスを覚えることができました。ダンスホールで演奏することは、音楽家にとって登竜門のようなものだと思います。ここで様々な音楽に触れたことで、どんな音楽も演奏できる順応性が身につきました。」

◉影響を受けたトランペット奏者 アメリカ/ブラジル

――あなたがこれまでに特に研究したトランペット奏者がいたら教えてください。

ジョゼ「私が特に分析したのはマイルス・デイヴィスチェット・ベイカーアート・ファーマーですね。最近だとウォレス・ルーニーテレンス・ブランチャード。少し前の世代だとアル・ハートがとても好きでしたね。もちろんディジー・ガレスピーも。

 90年代はインターネットがない時代でしたから、カセットテープを聴きながらソロを耳コピーして勉強していました。最近では、全てインターネット上で音源や楽譜を見つけることができますよね。あ、リー・モーガンも私の偉大なリファレンスです。ウィントン・マルサリスも、私たちトランペット奏者にとって重要な人物ですね。

 そして今、最もよく聴いているのがアヴィシャイ・コーエンです。今日も聴きましたよ!ドイツのティル・ブレナーも素晴らしいと思います。私は過去の偉大なトランペット奏者から、現在活躍する奏者まで、世界のトランペット奏者がどんなことをしているのか聴くようにしています。」

――ブラジル人だとどうですか?

ジョゼ「ブラジル人なら、クラウディオ・ロディッティ。アメリカのジャズオーケストラで活躍した奏者です。残念ながらもう亡くなってしまいましたがマルシオ・モンタホヨス(Marcio Montarroyos)は私たちのリファレンスでした。

そしてバホジーニョ(Barrosinho)はずば抜けていましたね。彼はリズムに強い関心を持っていて、マラカタンバ(Maracatamba)というマラカトゥ、サンバなどをミックスしたグループを作り、私たちと同じようにジャズやアフリカ由来の音楽を引用するアプローチをしていました。そして何よりブラジリダージ(ブラジル人的気質)があります。マイルス・デイヴィスがブラジルに来た際、唯一迎え入れたのがバホジーニョだったそうです。

 一時期、クラシック音楽を聴いていた頃もありました。大学で勉強しましたが、クラシックを演奏するためと言うよりは、テクニックを身につけるためでした。私の魂はジャズのように、もう少し自由なものを求めているので。」

◉1stアルバム『Music of  Roberto Menescal』

――あなたはエミリオ・サンチアゴジョアン・ドナートレニー・アンドラーヂパウロ・モウラなど、様々な伝説的なシンガー・ソングライターや器楽奏者と共演してきたと思います。

ジョゼ「全ての共演者からそれぞれ少しずつ影響を受けて、それが混ざっていると思います。オルケストラ・トゥピー入団のあと、口コミのおかげで仕事が増えていったんですが、その時に「50 anos de Bossa Nova」というプロジェクトに参加することになりました。そのツアーでレニー・アンドラーヂジョアン・ドナートエミリオ・サンチアマルコス・ヴァーリホベルト・メネスカルらと共演しました。この仕事がきっかけでバイアォン・ヂ・シンコというキンテートが生まれました。グループのリーダーはフェルナンド・メルリーノというピアニストで、残念ながら昨年12月に亡くなってしまいましたが、彼のおかげで沢山の出会いに恵まれ、エミリオ・サンチアのグループで演奏することになりました。バックバンドとして最初に共演した有名な歌手はクルーナーのペリー・ヒベイロ、そのあとボサノヴァやサンバジャズの編成が定着し、エミリオレニー・アンドラーヂジョアン・ドナートのバンドで長年演奏することになりました。

この「50 anos de Bossa Nova」の流れでパウロ・モウラにも出会いました。彼は繊細な木管楽器とトランペットが一緒に演奏する時の音色の作り方について教えてくれました。柔らかい木管楽器の音色に比べると、金管楽器は大胆ですから、何度も「冷静に!落ち着いて!」と言われたのを覚えています。こんな風に、全ての人から少しずつ影響を受けています。エミリオは私がサンバ・ヂ・ガフィエイラのスタイルでソロを演奏するといつも喜んでくれました。」

――なるほど。

ジョゼ「そしてもう一人の欠かせない人物、それはレチエレス・レイチです。エミリオが亡くなった少し後に、シルヴィオ・フラーガと出会いました。私たちはお互いの音楽性を気に入り、私は特に彼が作るハーモニーの違いやリズムに魅了されました。シルヴィオの3枚目のアルバム『Cancao da Cabra』を制作する時に、私はレチエレスと会う機会に恵まれました。彼はアフロブラジル音楽のリズムを熟知している重要なマエストロです。レチエレスはシルヴィオのアルバムにてアレンジを務めました。そこから、私たちはバイーアの音楽のリズムやメロディについて話すようになりました。そしてレチエレスはマルセロ・ガルテルルイジーニョ・ド・ジェージレジソン・ガルテルら、バイーアの素晴らしい仲間たちを連れてきてくれました。私は自分の人生において、人との素晴らしい出会いにいつも感謝していますが、レチエレスはその中でも印象的で、彼がいなかったら『Brejo das Almas』は制作されなかったでしょう。この巡り合わせに心から感謝しています。」

――あなたはホベルト・メネスカルの曲集を収録しています。彼のどんなところに魅了されたのでしょうか?

ジョゼ「「50 anos de Bossa Nova」に携わった頃にメネスカルと知り合ったのですが、彼は自身のスタジオを持っていて、そこにハイムンド・ビッテンクールというプロデューサーがいました。このスタジオは沢山のボサノヴァ作品が録音されている場所です。ハイムンドは私の演奏を気に入ってくれて、彼のスタジオ専属ミュージシャンになりました。おそらく4~5年、大学に入るまでの間、そこで仕事をしました。そこで働いていたら、ボサノヴァの曲をトランペットで収録した作品が少ないことに気づき、それがアルバムを制作するきっかけになりました。

ここではブラスセクションのアレンジやダンスパーティや大学のビッグバンドで演奏していた経験を活かし、インプロヴィゼーションよりもメネスカルの曲のメロディの美しさを活かすことにしました。ボサノヴァやサンバジャズにおいて管楽器がインプロビゼーションすることは多くありますが、メロディ自体を表現するアルバムは少なかったんです。幸運なことに、エミリオレニーがゲストとして録音に参加してくれました。その後、私はもっと音楽を勉強したいと大学に入学し、仕事の量を調整するようになりました。」

◉2ndアルバム『Brejo das Almas』

――では、その次のアルバム『Brejo das Almas』のコンセプトを教えてください。

ジョゼ「アルバムを作るのが決まったとき、私が今までやってきたこととは異なるものを作ってみることにしました。これまではボサノヴァ、ジャズなど、比較的トラディショナルな音楽に長い間携わってきましたから、シルヴィオ・フラーガがそう提案してくれたんです。楽曲は既にシルヴィオとも演奏していたマルセロ・ガルテルが書いてくれることになりました。私たちは4回ほど非常に集中した特訓を行い、一週間、毎日話し合いを行いました。「Guru Guru」など、いくつかの楽曲は既にマルセロの頭の中にあったメロディで、マルセロはこのアルバムにバイーアの柔軟性ある気質を取り込んでくれました。このように、これまでにやってきた音楽とは異なる方向性に変える事は私にとって興味深い出来事でした。インプロビゼーションにおいても型にハマらずに、常に相互の作用を活かしたモーダルな感じでやったのも新しい方向性でしたね。」

――マルセロに質問です。あなたは『Brejo das almas』のプロデュースを手掛けるにあたって、どんなヴィジョンを持っていましたか?

マルセロ・ガルテル(以下マルセロ)「はじめは、私のアルバム『Bacia do Cobre』の編成(一般的なピアノトリオの編成におけるドラムを、パーカッション2人に代えた)に近いものをイメージしていました。そのため最初のリハーサルではトランペット、ピアノ、アタバキという編成に、数曲だけシルヴィオがガットギターで入る編成を試しました。私たちは音が詰め込まれているのではなく、空間を大切にしたものを作ろうとしていました。この空間が新鮮なアイデアを生み出し、大編成の音楽とは異なる演奏をもたらしました。この後、コントラバスを編成に加えました。

楽曲はモードを沢山使用し、よくあるスタンダードな楽曲構成をなるべく避けました。そして何より、アリ(ジョゼ・アリマテア)のメロディアスなトランペットの素晴らしさを活かしたいと思いました。彼は即興でも、まるで既に楽譜に書かれているかのような美しいメロディを披露してくれますから。」

――なるほど。

マルセロ「メロディアスな演奏の他に、彼の長年の経験から培った、「バンド内で今何が起こっているのか」に対する理解の速さと柔軟性を活かしたいと思いました。アリは自分のソロの間、自分だけが目立てばいいと思ってるようなミュージシャンじゃないんです。だから、このアルバムではソリストだけが独立しているような部分は作っていません。アリがソロをとれば私が反応しますし、アリも私がソロをとれば反応してくれます。それを自然にやっています。私たちとアリは異なるプロセスで音楽を学んできましたが、沢山の共通点があります。例えば、メンバー全員が都市近郊の低所得層が多い地区で育ったことです。こういった経験は、音楽的な部分にも繋がってくるんです。」

――ジョゼに聞きたいんですが、ここではどんなことを考えて、インプロビゼーションをしていましたか?

ジョゼ「インプロビゼーションは自由で、型にハマらないようにしました。そして何より、今起こっていることに反応することを重視しました。メロディを演奏するときはメロディの美しさを表現するために繊細かつ安定を心掛け、インプロビゼーションは周りに反応することを心掛けています。例えば、柔らかい雰囲気の曲だと感じたら、それに合うような音色とフレーズを演奏します。私は主役ではなく、グループの一員であることを常に意識していました。」

◉『Brejo das almas』のインスピレーション

――『Brejo das almas』のインスピレーションになったものありますか? 

ジョゼ「マルセロが紹介してくれたコドナ(Codona)のアルバムです。コドナはシタールが入っていたり、ブラジル出身の素晴らしいミュージシャンであるナナ・ヴァスコンセロスが参加していたり、少し風変りですが、天才的なアルバムだと思います。このアルバムを聴いたのは初めてでしたが、そこから多くのことを受け取りました。例えば、トランペット奏者のドン・チェリーは、まさにグループの一員の立場でソロを演奏しています。コドナが残した3枚のアルバムは何度も聴きましたね。リハーサルに向かう途中の車の中でもひたすら聴いていたほどです。」

マルセロ「コドナについては、彼らの編成というよりも、非常に自由で圧迫感のない彼らの音楽に対する姿勢を参考にしています。コドナ以外で私たちがよく聴いたのはメアリー・ルー・ウィリアムス(Mary Lou Williams)です。特に『Black Christ of the Andes』での彼女の軽快な弾き方やアプローチは欠かせないインスピレーションです。結果、アルバムには彼女のオマージュ「Mary Lou」も録音することになりました。彼女はセロニアス・モンクらの先生でもありました。このオマージュは主に『Black Christ』からのインスピレーションです。彼女のハーモニーは、当時からすると非常に奇抜で先を行ったものでした。ハーモニーだけでなく、柔らかなタッチなど、彼女の存在は現在聴かれている音楽のルーツだと思います。

――なるほど。

マルセロ「私が作曲した曲だと「Corneteiro Lopes」はバイーアで最も有名であるアフォシェ(ストリートで行われるカンドンブレ)のグループ、アフォシェ・フィーリョス・ヂ・ガンジー(Afoxé Filhos de Gandhi)の1枚目のアルバムからインスピレーションを受けています。アルバムを聴きながら作曲し、イントロにあるガンジーのラッパの音程のズレをハーモニーで再現しようとしています。この作品の歌い手の在り方などは私に強い影響を与えています。バイーアの魅力が秘められた素晴らしいアルバムなんですよ。

「Guru Guru」は故レチエレス・レイチとの最後の会話の中にあった楽曲です。レチエレスは普段から私が作るハーモニーや作品に興味を示してくれていたので、その頃作り始めたこの楽曲も彼に見せていました。その週にレチエレスは亡くなってしまい、彼に完成した作品を聴いてもらうことができませんでした。私はレチエレスと長い間演奏していた経験を活かし、もし彼が生きていたらこのように楽曲を書き終えるだろうと想像しながら、オマージュとしてこの作品を完成させたんです。そんな曲も収録されたこのアルバムは、バイーアの音楽を広めると言う意味でも私にとって非常に重要な作品となっています」

――「Três peças para clarineta solo」ストラヴィンスキーの無伴奏クラリネットの有名曲です。なぜ、この曲を取り上げたんですか?

ジョゼ「曲を提案したのはシルヴィオでした。クラリネットのために書かれているアカペラの曲ですから、もちろんトランペット的な要素がある作品ではありません。そのため、どのように再現するかよく考えなければなりませんでした。そこで我々のマエストロ、マルセロが天才的なアレンジをしてくれたんです!」

マルセロ「シルヴィオが私達にこの曲を提案した際、彼はクラリネットの楽譜だけを渡してきたんです。私はストラヴィンスキーが大好きですが、実はこの曲を知りませんでした。そこで私たちは敢えて元の作品を聴かずに、楽譜だけを分析しながらどのように演奏するか考えることにしました。楽譜にはクラリネット特有の装飾音符などもありましたが、私は11拍子の中にあるメロディの一貫性が気に入ったので、それを活かすようにトランペット、ピアノ、コントラバス、そしてアタバキとシンバルにアレンジしました。ストラヴィンスキーをバイーアに連れてくる気持ちで書いた感じですね。イヤフォンで聴いていただくとわかると思うのですが、楽曲の中で私はドリヴァル・カイミの楽曲の一部を口ずさんでいます。なぜなら楽曲はドリヴァルの「Promessa de pescador」をピアノで引用したものをベースにしていて、それを終止繰り返しているからです。

あと、第一楽章におけるD♭ペンタトニックは、ブルースや日本の音楽だけでなく、バイーアの音楽にも用いられる世界共通の音なんです。メロディは流動的に変化をしますが、常にペンタトニックに戻ってくる特徴があります。私はできるだけメロディを活かしつつ、ピアノによる反復的なフレーズを土台に置いて、アリのソロに入る前のブリッジを書きました。ちなみに原曲は3楽章まであるんですが、私たちは2楽章の冒頭のメロディを最後のフレーズとして引用していますね」

――最後にタイトル『Brejo das Almas』が意味するものについて教えてください。

マルセロ「これはシルヴィオの提案でした。ブラジルの作家カルロス・ドゥルモンド・ジ・アンドラージ(Carlos Drummond de Andrade)の作品から引用しています。「Brejo」(沼、水田、湿地。Brejo das Almasは直訳すると”魂の沼地”となる)というのは私たちが生まれ育ったような地域において、新しいアイデアが生みだされるエネルギーがある場所なんです。シルヴィオはアリの創造性を考慮したんだと思います」

ジョゼ「「Brejo」にはいろんなアーティストの良い所を混ぜて濃厚なスープにしたような意味もありそうですよね。私たちが沼に集まっているようなアートワークもシルヴィオの提案です。マルセロが話してくれたように、私たちのコミュニティにおいてBrejoは少年たちが集まり、自分たちの表現を作り出す場所でもあります。私もマルセロも、ルイジーニョもレジソンも同じような環境で生まれ育ちましたから、私にとってこのBrejoは、音楽について話す場所であり、夢を実現する場所でもあるんですよね」

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