教授回診
「教授回診」と聞くと、あのドラマのあのシーンが、それぞれの世代の財前教授で再生されるだろう。
私は唐沢寿明。
いつもは総合病院でお世話になっているが、一度だけ大学病院に入院したことがある。
日曜日に入院し、月曜日に手術。
手術の日が4/2、年度初めの日だった。
朝8時半か9時からの手術、朝食抜きで、点滴がつながれる。
手術センターまで点滴押しながらテクテク歩いていくのが少し間抜けで、拍子抜け。
手術室の前で手首にはめたユポ紙のブレスレットに印字されたバーコードと名前、どういう手術をするのかを念入りに確認された後、椅子に座って待機。
そうしているうち、各手術室の入り口あたりにぞろぞろと医師や看護師が集まってきた。
「あ! 〇〇先生、今年からここなんですねー、よろしくお願いします!」
「また戻ってきましたー、よろしく!」
などなど、年度初めっぽい挨拶がところどころから聞こえていた。
そんなこんなで、手術台に寝ころび、追加の点滴がつながれ、ぼんやりと天井を眺めていたら、主治医が手術着を身にまとい登場。
「がんばりましょうね」と声をかけられ、私は「はい」と答えながらも、内心「お前がな!」と思ったことまでは覚えている。
気が付いたら手術が終わり、ベッドでゴロゴロと病室に戻された。
全身麻酔すごい。
この時受けた手術は「外鼻形成手術」というもの。
私の持病である再発性多発軟骨炎は、鼻や耳や喉の軟骨に炎症が繰り返し起きる。
炎症を繰り返すうち、激しい炎症なら一度だけで、軟骨の組織が弱って形を保つことができなくなり変形してしまう。
私の場合は鼻の炎症を何度も繰り返し、鼻の軟骨がなくなり、鼻の真ん中あたりが凹む鞍鼻(あんび)という状態になった。
鞍鼻をそのままにしておいても特に生活に支障はないので、10年くらいはそのままだった。
主病の症状が安定して2年経ったころ、鼻の形成手術でもしてみるかなーと、気軽な気持ちで手術を決めた。
かかりつけの病院には形成外科がなく、紹介状を持って大学病院を受診。
そこで初めて会った形成外科のN先生は穏やかな人だった。
「鼻の手術、できますよー。かなり痛いですけどねー」ニヤリ。
超絶インドア派の私は、これまで大きな怪我も骨折もしたことがない。
そもそも怪我しそうなことをしないから。
外科手術も経験がない。
だから、外科系の痛みは想像できない。
だから、N先生のニヤリも、「そうですかー」と軽く見ていた。
……甘かった。
……完全に私が甘かった。
そうして病室で意識が戻った時、「ちょっと待って、こんなのアリ?」と脳みそがバグるほどの痛みを感じた。
まぁ、顔の真ん中を切ったり貼ったりしたんだから、そりゃあ痛いよね。
鼻に入れた骨は腰骨から切り出しているので、左の腰骨あたりも痛い。
まぁ、人工的に骨折してるんだから、そりゃあ痛いよね。
「手術を決めた自分バカ!」と半年前の自分を心底恨んだ。
それでも、その日は痛み止めが点滴で入れられていて、痛みは鈍く、頭はぼーっとしていた。
N先生が夕方あたりに回診に来てくれた。
「どうですか?」という質問に、「軟骨炎の鼻の炎症がいちばん痛かったときよりはましです」と強がってみた。
そうしたらN先生は、「明日からもっと痛くなりますよ」ニヤリと去っていった。
N先生の予言通り、その翌日、翌々日と痛みは増していった。
ちなみに、そんな状態なのに、その日の夕食は通常食だった。
ムリ、食べられない。
そんなこんなで、ベッドの上でほぼ動けず痛みに耐えていた数日後の朝、「教授回診の日です」というアナウンスが流れた。
おおお!
あの教授回診か!
そうだ、ここは大学病院!
看護師さんがいつもよりも早めに朝の作業を終わらせるべく忙しそうに走り回っている。
私は、相変わらずベッドに寝ているだけ。
入院していた病棟は整形外科&形成外科だった。
教授回診も整形グループと形成グループがやってくる。
4人部屋、私以外の3人は整形グループで、私だけが形成グループ。
まず、整形グループが最初にやってきた。
若い担当医らしき数人が先に病室にやってきて、カルテを何度も確認する。
しばらくすると、病室にぞろぞろと人が入ってきた。
私はベッドに寝たままだったので詳細は分からなかったが、かなり大人数だったことは分かった。
だけど、誰が財前教授(仮)か分からなかった。
……隊列は組まないんだな。
整形グループの後、形成グループがやってきた。
N先生ではない若手の先生が私のカルテを見ながら、病状・手術内容・経過・治療計画を形成外科の財前教授(仮)に伝えた。
財前教授(仮)はふむふむと聞いた後、「しばらくしたら良くなりますからね」と私に声をかけ、形成グループは病室を出て行った。
その間、数分?
そうか、教授回診っていうのは、財前教授(仮)が治療内容について担当医にダメ出しして、権力を見せつける場じゃないんだな。
患者と教授を目の前にしたプレッシャーのかかる場面で、いかに端的に情報を伝えるかを学ぶための場でもあるんだな、と。
なるほどー、隊列組んで行進するんじゃないんだ……。
その後、紆余曲折ありながらも痛みから徐々に解放され、2週間経った朝、また教授回診の日がやってきた。
ただ、その前日から県外で開催されていた形成外科学会のため、数名の先生を残して形成グループの主要メンバーは不在だった。
それでも財前教授(仮)がいるなら教授回診はあるのかな?と思いつつ、もう起き上がれるようになっていた私は、ベッド周りを整えたりしながらワクワク待っていた。
よし、今日は正面から教授回診を受け止めるんだ!
その時、看護師さんがダッシュで病室に入ってきた。
「小田さん! 今日は形成の教授回診はありません!」と言いながら、カーテンをシャッと秒速50mで閉めたのだった。
……。
……。
……ベッドの上に取り残された私。
……ぽつん。
やる気満々だったのに、「今日は出番ないから」と言われ檻に戻されるサルの救われない気持ちよ。
その日は晴れていて、廊下側の私の場所までピンクのカーテン越しに朝陽が差していたその時の景色を、今でも覚えている。
朝の短時間で全患者を回らなきゃいけないから、関係ない患者のカーテンは閉めたほうがいいよね、と思いながら。
そうして出番を失ったサル(私)は、カーテンの背後で忍者のように息をひそめて気配を消した。
なんとなく、存在がバレたらいけない気がして。
その間、整形グループがぞくぞくやってきて、ぞくぞく去っていた。
カーテンの隙間から、白衣を着た人たちが病室の入り口で渋滞し廊下にまであふれている様子が見えた。
ああ、こんなにもたくさんの医師や医師を目指す人がいるんだと、一生医療のお世話になるであろう私は心強く感じた。
今は中に入れない人が数年後には財前教授(仮)にプレゼンするようになり、そのうち数名は財前教授(仮)になるんだろうな。
私のいつもの入院はリウマチ内科で、たいてい点滴や服薬だけ。
この形成外科での入院手術は、私にとっては初めての外科だった。
先に書いたように、幼いころから外科には全く縁がなかった。
そういえば、外科手術とその後の処置をするとき、医師や看護師が必ず処置に先んじて言ってくれる一言がとても安心感を与えてくれた。
「少し痛いですよ」
「押された感じがしますよ」
「このくらい時間かかりますよ」
「触りますね」
「動かしますね」
何が起きるのかさっぱり分からない不安や恐怖が、この一言でふわりとなくなる。
特に見えないところの処置の場合。
必ず、これからする処置の内容やどう感じるかを教えてくれた。
その上、N先生の口癖は「ごめんなさいね~」だった。
手術後の痛みはあるけれど、それ以上の苦痛はなかった。
処置の内容を事前に知らせてくれるのは、この数年後に別の病院で別の小さな手術を受けたときも同じだった。
結局、3回目の教授回診の前に退院した。
ということで、私の教授回診は、一回出場一回欠席。
退院後、状態が落ち着いてからは半年ごとに定期観察のために通院している。
今年4月の通院は第一波の最中だったので、感染予防のために取りやめた。
10月は行けるかな?
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